2018年3月2日金曜日

自分を育てる力

 私は温泉好きです。年齢を重ねてくると、本当に良い温泉に入った時の効果というか、すごくリラックスして良く寝られたり、疲れが取れたというのが実感できるようになり、やはり本当のというか「濃い」温泉に入りたい。東京って、意外にも温泉湧いてるんですよね。東京に行った際に、東京の温泉に入って見たくて、行きました。そこは昔ながらの銭湯をちょっと大きくして、本当の温泉を引いてきた感じのところ。東京らしい黒いお湯と、もう一つ違う濁ったお湯、二つも天然温泉が出るらしく、なかなか期待が持てそう。名古屋もスーパー銭湯などで結構混雑していて、嫌だなあと思う時が多いのですが、やはり脱衣所は混んでいる。東京だから仕方ないかあ、でも露天風呂なら開放感があるかも。外に出て何気なく風呂を見ると、そこには人がひしめき合って座っている小さな風呂があり、口が開いたまま閉じないぐらい驚きました。・・・何あれ?そんなにたくさん人が入っているお風呂は初めて見ました。何かの間違いだ。見なかったことにしよう。くじけないように頑張って、奥に進みます。それにしても、なんであんなに小さいところに、満員電車みたいになっているの?裸の男がぎゅーぎゅーに積み重なって、地獄絵図か?進んでいった奥の露天は空いていました。良かった。こっちはそんなに混んでなくて。でも、あそこのお湯はどうしてあんなに混んでいたのかな?と考えながら湯に使っていると、私のすぐ隣に、肩が触れ合うぐらいの距離で人が入ってきました。ええ?そこ普通座る?肩が触れる距離じゃない?でもますます人が入ってきます。また一人。また一人。そうか、こうやってさっきの満員電車風呂も作られて行ったのか!東京は人が多いとは実感する時が多いのですが、お風呂までこの状態とは。まいった。まさか地獄絵図の一部になるとは思わなかったものの、それでもしっかり温まるまで温泉を出なかったのは、名古屋育ちの「勿体無い根性」でしょうね。元を取るまでは、出られない。しかしお湯はすっごく良くて、さすが天然温泉。それにしてもびっくりした。
 私の生徒で温泉が好きな子がいて、露天風呂の写真を指差して、その指差した露天風呂に家族で一緒に行くのだそうです。そうやって趣味というか、楽しいことが増えると良いですね。さて、なんの話でしたっけ?そう、自分を育てる力。私のところに来る生徒さんたちは、自分でやりたいことを決めて、それに打ち込むということが苦手な子が多いのです。放っておくと、なかなか好きなことを見つけられず、人から言われたことをやるだけで自発的な行動が少なく、興味の幅も狭く、同じことを繰り返すだけになってしまい、そのうちに飽きて問題行動に繋がり、注意されるばかりになってしまう、というような悪循環に陥ってしまう場合が多いのです。自分を育てる力、言い方を変えると、好きなことに取り組んで、自分で工夫して、自分で問題を解決して、成長していく、こういった能力というか行動傾向をつけていくことは、非常に大切なことに思われます。
 この「自分を育てる力」といのは、モンテッソーリ系の教育でよく言われることで、ABAのような行動系の領域は、そういうところを目標としないのではないかとよく言われます。しかし実はABAも、「自分を育てる力」を目標とすることはそれ程外れていないのです。ご褒美を使って行動を増やすことだけがABAと勘違いされている方も多く、確かにご褒美も使ってたくさんのスキルを少しずつ教えることはABAでよく行われることです。少しでもたくさん教えれば、それだけ多く「できる」ようにはなります。しかし、それだけではないのです。遠くを見据えた教育を考えると、現在1つでも多くできることが増えるよりも、将来自分自身で勝手に学んでくれる傾向を育てる方が、全体的に見ればたくさんのスキルを学習する結果に繋がることがあるのです。こういったことも考えながら子どもにとって最善なことを考慮しながら教育を続けることが本当の教育であり、それはABAだろうが何だろうが、当たり前のことだと思います。
 特に子どもが幼いうちは、子ども自身の興味の幅を広げ、自身から成長していく傾向を作ることも、当たり前に大切だと思います。ABAは行動を中心に考えるので、「打ち込む」「少しできなくても諦めずに挑戦する」「自分で選んでそれを実行する」というような行動を増やすことに焦点をおきます。これは「勝手にさせる」とは大きく違います。その過程ではご褒美を使ってでも新しいことに挑戦させたり、しっかり褒めて徐々に成功体験を積ませたり、地道に「世の中には楽しい」「打ち込むことは楽しい」ということを体験させていくのです。やり方は違うにしても、モンテッソーリとも最終目的地が似ているところもあるのかなあと思います。
 親も教育者も少しでもたくさんのことを教えたい気持ちの焦りが、子どもの将来を見据えて冷静に考えるよりも先走ってしまうことがあります。教育一般に、英語をやって、塾に行って、少しの時間も惜しんで詰め込み式に教えたくなるように、親の焦りを煽るような商売も巷には多く見られます。「自分で考えてやる」「好きなことに集中させる」「自分で練習する」「工夫する」ということを教えること自体は簡単ではありません。やり方がわからないから、「考えさせる」ではなく「答えを詰め込む」に取って代わられてしまうことも多く見られます。発達障がいを持つお子様の保護者の場合も同様です。「この子は成長がゆっくりだから、とりあえず一つでもたくさんのスキルを教えたい。」という焦りや、「うちの子には自分で考えるとか練習するなんて無理」という諦めが、好きなことを見つけて徐々に興味を広げるよりも、詰め込み式の教え方に繋がってしまうことも多いのです。学習って本来楽しいのです。「楽しいことをやろうよ。」と訴え続ける今日この頃です。
 
 

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