2018年2月28日水曜日

「やればできる子」でもやらない子

 私はウクレレを少し弾きます。歌に合わせてちょっとコードで合わせて演奏する程度なのですが、一時期は教室の生徒と一緒に弾いて楽しむこともありました。アメリカにいた頃に何となくウクレレの可愛さに惹かれて衝動買いしたのですが、やっぱり大人になって楽器を始めるのって、あまりに下手クソなのが恥ずかしいじゃないですか。というか、下手な楽器を弾くのって、聴く側からすると迷惑ですよね。誰にも練習場面が見られないようにインターネットで動画を見ながら、練習しました。最近は簡単なコードの弾き方から簡単に弾ける曲の弾き方まで、色々と動画で見られるんですよね。それを見ながらちょこちょこ自分で練習して、下手クソながらも基本のコードぐらいは弾けるようになりました。全くYouTubeって嬉しいですよね。調子に乗って、最近ギターを知り合いからもらいました。ウクレレ弾けるんなら、ギターも弾けるのでは?大間違いですね。弦が4本のウクレレに対して、ギターは6本あるので、コードによって弦を押さえるために指があんな形になったり、こんな形になったり、痛い痛い。比較的基本に思われるコードでさえ、そんなに難しいの?と驚きです。だいたい指がそんなところまで行けるわけがないじゃない?一瞬で挫けました。
 私の生徒はだいたい一瞬で挫けます。「やればできる子」でも、何か挑戦し始めてちょっと上手くいかないと0.5秒で諦めて放り投げる生徒も多くいます。練習しようとか、頑張ろうという発想すらない感じですね。ええ?もう挫けたの?と呆れるくらいの速さで心が折れる「ガラスのハート」の持ち主ばかりです。0.5秒では、やったと言うほどやっていないのですから、できるようになるわけがありません。親からすると、失敗しても諦めずに頑張って欲しい期待があるので、自分の子が「頑張らない」とか、「挑戦しない」のを見ると、とても歯がゆいんでしょうね。つい熱が入って、「何でやらないの?」と怒ってしまい、子どもの方はすでに挫けて心が折れている上にさらに怒られて、ウキー!と教材を投げたり、逆にヘラヘラ笑ってごまかして、今度は親の方が「何でやらんの!」とキレたり、親子関係はドツボにはまって行きます。
 挫けやすい子どもというのは定型発達をしている子の中にも多いのですが、発達に障がいがあると、面白いことに挫けやすい子どもである確率がほぼ100%になります。すでに発達に遅れがるのに、挫けやすいのですから、放っておくとますます他の子と差が開いてしまう。では、「やればできるのにやらない子」と「諦めずにどんどん練習する子」は、何が違うのでしょうか?
 簡単に言えば、成功体験です。やってみたら「できた!」という成功体験を多く積んでいる子は、できないことが続いて時々しか成功しなくても、どんどん練習できるのです。やればできることに対する、いわゆる「意味のない自信」がある状態ですね。しかし成功体験の少ない子どもは、1回でも失敗すると、すぐに挫けてしまいます。行動の科学で証明されていることは、新しい行動を学習する際には、最初の段階では毎回成功させてあげることが必要で、その後時々しか成功しない状態に徐々に移行して行くことで、その行動を継続させることができます。ただ、最初の段階でしっかりと行動が成功(強化)されていないと、もしくは成功する確率が突然低くなりすぎてしまうと、行動自体がなくなってしまうのです。ですから、毎回成功させてあげる時期をしっかりと作ってあげて、徐々に成功回数を減らしてあげる必要があるのです。すぐに成功が得られなくても練習し続ける行動の背景には、最初に何千回も成功したという基礎がしっかりとしている必要があるのです。
 どれぐらいの期間、どんな風に成功させてあげることが必要なのでしょうか?私の経験からしても、「それぞれ」としか言いようがないですね。私の教室にくる発達に遅れのあるお子様の場合、最初の1回目すら取り組んでくれない状態から始めるので、最初の1回目を(スモールステップで)すごく簡単にしたり、「できたよ!」と一緒になってメチャクチャ褒めてあげる必要があります。ただし、これを繰り返して行くと、やること自体が好きになってきます。あんなに嫌いだった工作が、お絵かきが、リズム遊びが、プリントが、全般にそれ程嫌でなくなってきて、1、2年かけて、場合によっては3年ぐらいかけて、自分から手を伸ばしてやるようになる状態になってきます。諦めずにできるまで挑戦し続ける時間も0.5秒から5秒10秒と徐々に長くなります。自分で何度も練習すること自体も、少しずつ見られてきます。教育の目的は必ずしも全て教えることではなく、学ぼうとする意欲を変えることだと思います。
 しかし、親や教育者が陥りやすい間違いが、「これも教えて」「あれも教えて」と成長を焦ることです。せっかく成功していても、「それはもうできるでしょう?」「それは昨日できたじゃん。もっと新しいことやらなきゃ。」的に対応すると、「それは大したことじゃなかった(成功ではなかった)。」と伝えたことになり、せっかくの成功体験も無駄になってしまいます。子どもって、できることは何十回も何百回もやりますよね。そうやってできたことを、飽きずに褒めて行くことは意外に労力が必要なことです。しかし大変でも、「それはすごいことだよ」と褒めることが非常に大切なのです。時々、「この教室ではこんなに小さなことでも褒めてもらえて嬉しいのですが、それで大丈夫でしょうか?世の中そんなに褒めてもらえないですよね。それに慣らしていった方が良いのじゃないでしょうか?」と保護者から質問されることもあります。でも、どんなに小さなことでも「成功できたよ」と褒められる体験が大切なのです。焦ってあれこれ教えようとするよりも、本当に小さなことから何百回も褒めておくことで、失敗しても簡単にくじけない、褒めてもらえいない世の中でも「諦めずにどんどん練習する子」、すなわち将来伸びる子を育てるのです。

2018年2月12日月曜日

子どもの寝かせ方

 私は朝が弱いです。かなりの頻度で電車に乗り遅れそうになって、家から駅まで猛ダッシュします。私の他にも学生さんなどで息をぜーはーしながら電車に乗る人もいますが、さすがに私ぐらいの年齢でダッシュしている人は見たことがない。あまりにダッシュすると、次の駅に着くまでにまだ息が落ち着いていなかったり、汗だくになっていたりして、恥ずかしい。このおっさん、この年齢で何やってんの?もうちょっと落ち着きのある、ゆったりとした生活がしたいと思うには思うが、これはこれでありかな、と別に嫌でもなくなってきた。というのも、最近は走り慣れて来たのか、家から駅まで完全に止まらずにダッシュして、地下道を降りて上がっても含めても、そこまで息が切れなくなってきたんですよね。トレーニングの効果かな?余裕が出てきた。健康にも良いかも。だんだんポジティブにさえ思えてきた。やだやだ。
 寝起きの弱い私ですが、夜はしっかり寝たい派です。4,5時間しか寝なくても済む人ひますよね?私はダメです。だから、幼い子どもが家にいますが、絶対夜は早く寝て、朝ゆっくり起きて欲しい。
 私の療育やコンサルテーションであまり大きな力になれないことの一つが、睡眠です。行動分析をする人には、やはり行動が起こる場面に行って、その場で起こる行動を観察したい。ただ、夜寝る所にはさすがにお邪魔できないですよね。どうしてもご家庭で起こる行動のお話を聞いて、アドバイスを差し上げるだけになってしまいます。こうなると、もしたとえご家庭で、お母さまが気づいてらっしゃらないけど行動上は重大なミスを犯していたりしても、私はその場面を見ていないので、指摘してあげられないことになります。あまり役に立たないアドバイスだけで終わってしまう可能性もあるわけです。
 ちなみに長男は、アメリカ式とでも言いましょうか、1歳過ぎて卒乳したころから部屋に一人で寝かせています。ベビーモニターという監視カメラを付けて、何があっても監視できるようにしていますが、必要以上に長男の部屋に入りません。特にうちの子は親がいると(人がいると)興奮してなかなか寝付けません。バタバタ興奮して、ばたっと倒れるように寝る、という子どもの話をよく聞きますが、私の家庭では、早いうちから一人で寝かせる習慣をつけました。
 最初はギャン泣きでした。親がいるとなかなか寝ないし、部屋を去ろうとすると、すぐに足にしがみついてきます。こちらも疲れてきて、もう寝たい。他にもやることはある。「ねんこ!」と指示を出して、泣いても部屋を出ます。部屋には大人しか開けられないように、ドアに取り付けられる仕組みがあります。もちろんオンラインで購入です。ギャーギャー泣いて、ドアをどんどん叩いて、開かないからますます泣いて、結局泣き疲れて寝るようになっていきます。ひどい親ですね。最初はつらいです。最初は30分くらい泣いていましたかね。でもすぐに5分程度しか泣かなくなります。そして1ヵ月もしないうちに、ほぼ泣かなくなりましたかね。今では、ベッドに連れて行って歌を2曲歌ってあげれば、それで後は自分で寝てくれます。早く眠れますから、朝もすっきりです。長い目で見れば、親も子どもも「しっかり眠れる」ことにもつながりますし、結局一番子どものためになると思います。アメリカでは子どもは幼いうちから一人で寝ますし、当たり前のことです。「親と一緒に寝なければ」という神話は、必ずしも必要ありません。
 こういう話を生徒さんにすると、「そんな幼いころから?スパルタはできません。」と言われてしまうこともあります。そりゃそうですね。できない人もいるでしょう。でも、やれるなら早いうちからやることをお勧めです。子どもとの良い距離感も気に入ると思いますよ。
 ちなみに朝が弱いと始めたこの話ですが、夜仕事から家に帰るときも、やっぱり電車に間に合うようにダッシュしてしまう私。余裕がないのは結局しっかり寝ることの問題だけではないようだ。

2018年2月2日金曜日

スモール・ステップで勝ち負け、「負けて悔しい」を教える

 昨年から所沢市にお仕事で行かせていただくことになり、月に2回は名古屋と所沢との往復を続けております。所沢・・・・住宅街ですね。品川から結構距離ありますよねえ。せっかくあれぐらい時間かけて行くのだから、畑が多かったり、木が多かったり、そういった田舎感を求めていた私には納得いかないです。首都圏ってどこまで行っても、ちっとも田舎にならないのが名古屋人的には驚きです。こんだけ時間かけて行ったんだったら、空気ぐらい綺麗になってよ。温泉ぐらい湧いてよ。全く。まあ住宅街なので、基本静かで日中は人もまばら。特に観光で遠くから人が訪れそうなものはなさそうですが、そう言えば、西武球場って所沢ですよね。西武ライオンズの試合の日には、きっとライオンズのファンが西武球場に集まって、さぞ賑わうのでしょう。野球ファンではないが、ライオンズ頑張れ!
 野球のようなゲームの理解は、言葉の理解のない子どもには非常に難しいです。特に、自閉症だったりすると、理解力だけでなく、勝っても負けても「しれー」っとしているというか、嬉しいとか悔しいとかの感情が湧いてくる感じが一切ない場合も多い。勝った時に嬉しくて、負けたら悔しいと言う気持ちを感じられるようにするには、一体どうしたら良いでしょうかね?これが良いという正解はないですし、色々な教え方があるのでしょうが、簡単には教えられない課題です。今回私の教室で成功した例を紹介しますね。
 教室で(小集団で)、相撲を通して勝ち負けを教えてみました。相撲・・・特に相手を押し出すとか倒すとか、人と絡むのを嫌がる子どもも多いです。おもちゃの取り合いでは白熱する子どもも、いざ「押して良いよ」と言われると、尻込みしてしまいます。まずは、相撲の「どすこい」というか相撲っぽく押す感じを見せたくて、「どすこい体操」というYoutubeの動画を見せました。「どすこい、どすこい」の部分が早くてリズミカルで、大はしゃぎになり楽しめる子どもが多いです。
 次に、人ではなくダンボールで作った鬼(たまたま節分が近かったので)を押すことを教えてみました。ダンボールの中にコピー用紙を入れて重りにして(すぐ倒れないようにして)、下には滑りやすいように絨毯を引いて、ダンボールの表面には、わかりやすいように鬼の絵を貼ったりしました。そして、その鬼を押す見本を見せます。必要であれば手伝って子どもに鬼を押させて、できたらめちゃくちゃ褒めます。このやり方で、人を直接押すのではなくダンボールの鬼を押すことなら、比較的早い段階から楽しめるようになりました。「やりたい人!」と聞くと多くの子どもが手をあげるところまで行けました。
 その次に、実際に大人を相手に相撲にしてみます。最初は、後ろから手伝ってやりますが、徐々に先生を押すと先生が大げさに倒れてくれて、それが楽しいことを学習してきます。何度も勝って、褒められて、それが嬉しいようになったところで、負けさせます。ここが勝ち負けが本当にわかるかのテストです。今まで先生を押し出して褒められていたのに、突然先生から倒されるのです。ここで「悔しい」表情を見せたり、倒されても先生を押し返そうとすれば成功です。今まで勝ち負けのあるゲームには全然「しれー」っとして何の感情も見せなかった子どもの何人もが、勝って喜び、負けてがっかりする感情を見せるようになりました。そういう感情って、やっぱりあったんですね。まさか相撲が勝ち負けを教えるのに良いとは、驚きです。ただ、まだ勝ち負けを表情に出さない子どもも中にはいます。私の頑張りが足らないということですね。教育って、思い通りに簡単に行かないからこそ、本当に面白いですね。

2018年2月1日木曜日

子どもを泣かせる派?泣かせない派?

 久しぶりの投稿になってしまいました。
 私は普段、お母さん方に、または学校の先生などに子どもの教え方について指導差し上げる仕事をしています。しかし、いざ自分の子どもを連れて外に出ると、知らない方からお手伝いを受けたり、否定的なコメントを受けたりもします。教育には色々な考え方をする人がいますから、当然と言えば当然ですかね。
 ある朝長男を連れて児童館に遊びに行きました。午前中みっちり遊んだので、そろそろ家に帰ってご飯を食べようと長男に言うと、「まだ遊ぶの!」となかなか離れようとしません。「もうしっかり遊んだでしょ?また来ようね。お腹空いたよね。おうちでご飯食べよう。」と手を引いて行こうとすると、長男が足をバタバタさせて泣き出しました。すると児童館の職員が素早く寄ってきて、あやそうとしてくれます。「どうしたの?大丈夫、大丈夫!ほら、お靴履こうか?やった!履けた!」おかげで長男の機嫌も直り、そのまま帰宅することになります。
 「大丈夫」は、何か痛いことや辛いことがあった人に言う言葉ですよね。この場合は何も痛いことや辛いことはなかったのですから、結論から言えばこの対応はおかしいです。泣いた理由は「帰りたくない」ですから、ただ残念だったのです。残念なことがあって泣いたら、世の中いつも欲しい物が手に入るわけではないので、残念だけれども、他の楽しいことを考えることを学習して欲しいのです。ですから、「残念だね。でもパパが言った通り帰ると、良いことあるよ。」で良いのです。それでも泣き止まなければ、私は子どもを泣かせたまま児童館を去っても全然問題がないと思います。帰ったら、美味しいご飯が待っているわけですから。それも含めて体験させてあげることが、教育ということです。泣いたら理由も関係なくあやすのはおかしいのです。
 泣く子どもに「大丈夫」とすぐに大人が寄って来てあやすのは、痛いことや辛いことがあった場合は必要なのですが、ただ残念なことがあっただけの場合には、むしろ逆効果になります。「残念なことがあれば泣く」=「周りが寄って来て色々としてくれる」と言う構図ができてしまうと、将来何かやりたくないことがあればただ泣いてしまう行動傾向が着いてしまい、大きな目では逆効果になりかねないのです。子どもの泣いた理由によってその時の対応を変えるのが適切であり、効果的な教育方法なのです。
 子どもの泣く行動全般に対してアレルギーのある方は他の場面でもよく見られます。私が子どもにオモチャの片付けをさせて、子どもが嫌がって泣いていたとすると、「厳しいのねえ」「そんなにやらせるんですか?」というような批判的な声を聞くこともあり、「(年齢や発達に応じて)できることはやらせる」という当然のことすら嫌がる親も多いような印象を受けます。「子どもの内面からの動機を育めば、無理にやらせなくても自分からやるようになる」というような何の科学的根拠もない考え方を言う教育の専門家が多くいるからかもしれません。「餓鬼(ガキ)」という言葉が子どもを意味する言葉に使われるようになったのは、子どものうちはお腹が一杯でも好きなものは際限なく食べてしまったり、自分の好きなことだけをやって嫌なことは逃げようとしたり、そう言った側面が多く見られるからです。もちろん待っているだけで勝手に色々とできるようになる子どももいますが、だからと言ってすべての子どもにそれを期待するのはおかしな話です。子どもは大人が教育する必要があるのです。良いことは良い、悪いことは悪いと、小さい頃から少しずつ教えていくのは親の当然の義務だと思います。
 「そんなにやらせるって・・・ただ片付けさせてるだけじゃん。片付けさえもやらせないんだ・・・。」ぼんやり思いながらも、まあ親切心で言ってくれている人に対して申し訳ないので黙ったまま、そして心の中では悶々としながら帰途につく今日この頃です。