2018年2月12日月曜日

子どもの寝かせ方

 私は朝が弱いです。かなりの頻度で電車に乗り遅れそうになって、家から駅まで猛ダッシュします。私の他にも学生さんなどで息をぜーはーしながら電車に乗る人もいますが、さすがに私ぐらいの年齢でダッシュしている人は見たことがない。あまりにダッシュすると、次の駅に着くまでにまだ息が落ち着いていなかったり、汗だくになっていたりして、恥ずかしい。このおっさん、この年齢で何やってんの?もうちょっと落ち着きのある、ゆったりとした生活がしたいと思うには思うが、これはこれでありかな、と別に嫌でもなくなってきた。というのも、最近は走り慣れて来たのか、家から駅まで完全に止まらずにダッシュして、地下道を降りて上がっても含めても、そこまで息が切れなくなってきたんですよね。トレーニングの効果かな?余裕が出てきた。健康にも良いかも。だんだんポジティブにさえ思えてきた。やだやだ。
 寝起きの弱い私ですが、夜はしっかり寝たい派です。4,5時間しか寝なくても済む人ひますよね?私はダメです。だから、幼い子どもが家にいますが、絶対夜は早く寝て、朝ゆっくり起きて欲しい。
 私の療育やコンサルテーションであまり大きな力になれないことの一つが、睡眠です。行動分析をする人には、やはり行動が起こる場面に行って、その場で起こる行動を観察したい。ただ、夜寝る所にはさすがにお邪魔できないですよね。どうしてもご家庭で起こる行動のお話を聞いて、アドバイスを差し上げるだけになってしまいます。こうなると、もしたとえご家庭で、お母さまが気づいてらっしゃらないけど行動上は重大なミスを犯していたりしても、私はその場面を見ていないので、指摘してあげられないことになります。あまり役に立たないアドバイスだけで終わってしまう可能性もあるわけです。
 ちなみに長男は、アメリカ式とでも言いましょうか、1歳過ぎて卒乳したころから部屋に一人で寝かせています。ベビーモニターという監視カメラを付けて、何があっても監視できるようにしていますが、必要以上に長男の部屋に入りません。特にうちの子は親がいると(人がいると)興奮してなかなか寝付けません。バタバタ興奮して、ばたっと倒れるように寝る、という子どもの話をよく聞きますが、私の家庭では、早いうちから一人で寝かせる習慣をつけました。
 最初はギャン泣きでした。親がいるとなかなか寝ないし、部屋を去ろうとすると、すぐに足にしがみついてきます。こちらも疲れてきて、もう寝たい。他にもやることはある。「ねんこ!」と指示を出して、泣いても部屋を出ます。部屋には大人しか開けられないように、ドアに取り付けられる仕組みがあります。もちろんオンラインで購入です。ギャーギャー泣いて、ドアをどんどん叩いて、開かないからますます泣いて、結局泣き疲れて寝るようになっていきます。ひどい親ですね。最初はつらいです。最初は30分くらい泣いていましたかね。でもすぐに5分程度しか泣かなくなります。そして1ヵ月もしないうちに、ほぼ泣かなくなりましたかね。今では、ベッドに連れて行って歌を2曲歌ってあげれば、それで後は自分で寝てくれます。早く眠れますから、朝もすっきりです。長い目で見れば、親も子どもも「しっかり眠れる」ことにもつながりますし、結局一番子どものためになると思います。アメリカでは子どもは幼いうちから一人で寝ますし、当たり前のことです。「親と一緒に寝なければ」という神話は、必ずしも必要ありません。
 こういう話を生徒さんにすると、「そんな幼いころから?スパルタはできません。」と言われてしまうこともあります。そりゃそうですね。できない人もいるでしょう。でも、やれるなら早いうちからやることをお勧めです。子どもとの良い距離感も気に入ると思いますよ。
 ちなみに朝が弱いと始めたこの話ですが、夜仕事から家に帰るときも、やっぱり電車に間に合うようにダッシュしてしまう私。余裕がないのは結局しっかり寝ることの問題だけではないようだ。

2018年2月2日金曜日

スモール・ステップで勝ち負け、「負けて悔しい」を教える

 昨年から所沢市にお仕事で行かせていただくことになり、月に2回は名古屋と所沢との往復を続けております。所沢・・・・住宅街ですね。品川から結構距離ありますよねえ。せっかくあれぐらい時間かけて行くのだから、畑が多かったり、木が多かったり、そういった田舎感を求めていた私には納得いかないです。首都圏ってどこまで行っても、ちっとも田舎にならないのが名古屋人的には驚きです。こんだけ時間かけて行ったんだったら、空気ぐらい綺麗になってよ。温泉ぐらい湧いてよ。全く。まあ住宅街なので、基本静かで日中は人もまばら。特に観光で遠くから人が訪れそうなものはなさそうですが、そう言えば、西武球場って所沢ですよね。西武ライオンズの試合の日には、きっとライオンズのファンが西武球場に集まって、さぞ賑わうのでしょう。野球ファンではないが、ライオンズ頑張れ!
 野球のようなゲームの理解は、言葉の理解のない子どもには非常に難しいです。特に、自閉症だったりすると、理解力だけでなく、勝っても負けても「しれー」っとしているというか、嬉しいとか悔しいとかの感情が湧いてくる感じが一切ない場合も多い。勝った時に嬉しくて、負けたら悔しいと言う気持ちを感じられるようにするには、一体どうしたら良いでしょうかね?これが良いという正解はないですし、色々な教え方があるのでしょうが、簡単には教えられない課題です。今回私の教室で成功した例を紹介しますね。
 教室で(小集団で)、相撲を通して勝ち負けを教えてみました。相撲・・・特に相手を押し出すとか倒すとか、人と絡むのを嫌がる子どもも多いです。おもちゃの取り合いでは白熱する子どもも、いざ「押して良いよ」と言われると、尻込みしてしまいます。まずは、相撲の「どすこい」というか相撲っぽく押す感じを見せたくて、「どすこい体操」というYoutubeの動画を見せました。「どすこい、どすこい」の部分が早くてリズミカルで、大はしゃぎになり楽しめる子どもが多いです。
 次に、人ではなくダンボールで作った鬼(たまたま節分が近かったので)を押すことを教えてみました。ダンボールの中にコピー用紙を入れて重りにして(すぐ倒れないようにして)、下には滑りやすいように絨毯を引いて、ダンボールの表面には、わかりやすいように鬼の絵を貼ったりしました。そして、その鬼を押す見本を見せます。必要であれば手伝って子どもに鬼を押させて、できたらめちゃくちゃ褒めます。このやり方で、人を直接押すのではなくダンボールの鬼を押すことなら、比較的早い段階から楽しめるようになりました。「やりたい人!」と聞くと多くの子どもが手をあげるところまで行けました。
 その次に、実際に大人を相手に相撲にしてみます。最初は、後ろから手伝ってやりますが、徐々に先生を押すと先生が大げさに倒れてくれて、それが楽しいことを学習してきます。何度も勝って、褒められて、それが嬉しいようになったところで、負けさせます。ここが勝ち負けが本当にわかるかのテストです。今まで先生を押し出して褒められていたのに、突然先生から倒されるのです。ここで「悔しい」表情を見せたり、倒されても先生を押し返そうとすれば成功です。今まで勝ち負けのあるゲームには全然「しれー」っとして何の感情も見せなかった子どもの何人もが、勝って喜び、負けてがっかりする感情を見せるようになりました。そういう感情って、やっぱりあったんですね。まさか相撲が勝ち負けを教えるのに良いとは、驚きです。ただ、まだ勝ち負けを表情に出さない子どもも中にはいます。私の頑張りが足らないということですね。教育って、思い通りに簡単に行かないからこそ、本当に面白いですね。

2018年2月1日木曜日

子どもを泣かせる派?泣かせない派?

 久しぶりの投稿になってしまいました。
 私は普段、お母さん方に、または学校の先生などに子どもの教え方について指導差し上げる仕事をしています。しかし、いざ自分の子どもを連れて外に出ると、知らない方からお手伝いを受けたり、否定的なコメントを受けたりもします。教育には色々な考え方をする人がいますから、当然と言えば当然ですかね。
 ある朝長男を連れて児童館に遊びに行きました。午前中みっちり遊んだので、そろそろ家に帰ってご飯を食べようと長男に言うと、「まだ遊ぶの!」となかなか離れようとしません。「もうしっかり遊んだでしょ?また来ようね。お腹空いたよね。おうちでご飯食べよう。」と手を引いて行こうとすると、長男が足をバタバタさせて泣き出しました。すると児童館の職員が素早く寄ってきて、あやそうとしてくれます。「どうしたの?大丈夫、大丈夫!ほら、お靴履こうか?やった!履けた!」おかげで長男の機嫌も直り、そのまま帰宅することになります。
 「大丈夫」は、何か痛いことや辛いことがあった人に言う言葉ですよね。この場合は何も痛いことや辛いことはなかったのですから、結論から言えばこの対応はおかしいです。泣いた理由は「帰りたくない」ですから、ただ残念だったのです。残念なことがあって泣いたら、世の中いつも欲しい物が手に入るわけではないので、残念だけれども、他の楽しいことを考えることを学習して欲しいのです。ですから、「残念だね。でもパパが言った通り帰ると、良いことあるよ。」で良いのです。それでも泣き止まなければ、私は子どもを泣かせたまま児童館を去っても全然問題がないと思います。帰ったら、美味しいご飯が待っているわけですから。それも含めて体験させてあげることが、教育ということです。泣いたら理由も関係なくあやすのはおかしいのです。
 泣く子どもに「大丈夫」とすぐに大人が寄って来てあやすのは、痛いことや辛いことがあった場合は必要なのですが、ただ残念なことがあっただけの場合には、むしろ逆効果になります。「残念なことがあれば泣く」=「周りが寄って来て色々としてくれる」と言う構図ができてしまうと、将来何かやりたくないことがあればただ泣いてしまう行動傾向が着いてしまい、大きな目では逆効果になりかねないのです。子どもの泣いた理由によってその時の対応を変えるのが適切であり、効果的な教育方法なのです。
 子どもの泣く行動全般に対してアレルギーのある方は他の場面でもよく見られます。私が子どもにオモチャの片付けをさせて、子どもが嫌がって泣いていたとすると、「厳しいのねえ」「そんなにやらせるんですか?」というような批判的な声を聞くこともあり、「(年齢や発達に応じて)できることはやらせる」という当然のことすら嫌がる親も多いような印象を受けます。「子どもの内面からの動機を育めば、無理にやらせなくても自分からやるようになる」というような何の科学的根拠もない考え方を言う教育の専門家が多くいるからかもしれません。「餓鬼(ガキ)」という言葉が子どもを意味する言葉に使われるようになったのは、子どものうちはお腹が一杯でも好きなものは際限なく食べてしまったり、自分の好きなことだけをやって嫌なことは逃げようとしたり、そう言った側面が多く見られるからです。もちろん待っているだけで勝手に色々とできるようになる子どももいますが、だからと言ってすべての子どもにそれを期待するのはおかしな話です。子どもは大人が教育する必要があるのです。良いことは良い、悪いことは悪いと、小さい頃から少しずつ教えていくのは親の当然の義務だと思います。
 「そんなにやらせるって・・・ただ片付けさせてるだけじゃん。片付けさえもやらせないんだ・・・。」ぼんやり思いながらも、まあ親切心で言ってくれている人に対して申し訳ないので黙ったまま、そして心の中では悶々としながら帰途につく今日この頃です。