個別教育目標(IEP)とカリキュラム

 「学校」と言うと、どんな印象を持つでしょうか?楽しい思い出が多い方もいらっしゃるでしょうし、逆に楽しい思い出よりお辛い思い出が多い方もいるでしょう。私の場合はアメリカにいる時は学校で勤務していることが多かったため、自分自身が学ぶ場所と言うよりも、すでに職場なイメージが強くついてしまいました。大学院で心理・ABAの専門家として専門的な教育を受けながらも、卒業後は学校など教員が主にリードを取って活躍する「学校教育界」に身を置く経験が長かったので、その現場から学ぶことも多かったように思います。そこで学んだことの一つが「カリキュラム」です。
 ABAや心理的なアプローチの場合、個別を基本原則としている場合が多く、個人に合わせて目標を立てて、それを達成しようとします。しかし、学校教育的なアプローチでは、「カリキュラム」を使うことにより、個人個人ではなくクラス全体に行う集団指導を目指します。私は学校教育の専門家ではないので、カリキュラムとは何かについて説明するのもおこがましい話ですが、大きく言えば1年間生徒に何をどれだけ、どうやって教えるのか大まかな流れを示すものです。現実的には、先生自身がそのカリキュラムを決めなくても、一般にどの教科書を使うか決め、どれだけの時間をどの教科に当てるのかを決定することで、すでに何をどれだけ教えるのかが決まってしまいますから、自然に「カリキュラムに沿って」教えることになっています。
 特別支援教育ではどうでしょう?アメリカでは特別支援学級において「IEP(個別教育目標)」を立てることが義務づけられています。しかし意外かもしれませんが、それは完全個別ということではありません。学校教育ではあくまで集団での教育を目指しています。必ずしも使う教科書は決まっていませんが、特別支援でお「カリキュラム」は同時に存在するもので、それにそって学校は教えるけれど、それでは足りない個別の部分のみを「IEP」に形にしていくのです。ですから、「IEPを見れば、その子の成長がわかる」という発言は必ずしも適切ではなく、IEP以外にもカリキュラムにそって色々なことを教えているのが当然なので、それ以外の学習もあってしかるべきなのです。
 現在私は小集団の教室を運営していますが、個別の目標と、集団で行うことの両方を目指しています。集団で行うことは「カリキュラムがある」と言ってしまうと必ずしも正確には適切ではないかもしれませんが、個別の目標だけを見て教えるのではなく、集団全員に合わせたで色々な活動を積極的に用意します。こういった活動を常に続けることで、逆に個人のユニークさ、弱さ、強さがより明確になります。またさらに言えば、個人に合っていないかもしれない活動も積極的にやることで、こちらが想像しなかった教育の結果が生まれることが多いのです。もしかしたら、これは無理かなあ?とか、これはこの子には合わないかもしれないなあ、と勝手にこちらが想像したことが、結局は外れて以外に子どもが乗ってきて非常にたくさん学べるなんてことが頻繁にあるからです。逆に個別の目標に偏りすぎると、子どもの学習の機会を減らしてしまいかねないのです。
 「知的遅れのある子どもの目標」のところで話しましたが、知的に遅れがなかろうと、子どもにはいろんな活動をさせる必要があるのです。その中で実際の活動を通した体験から色々なことを学ぶ必要があるのです。ですから、個別目標だけを立てようとすると、非常に難しい話になるかもしれません。目標はあるが、それを教える活動の場が見えてこないからです。実際に何を子どもとやるのか?お勉強で教えるということではなく、そのお勉強の知識を使う活動の場を色々と用意して行う必要があるのです。

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