2016年1月8日金曜日

個別教育目標(IEP)とカリキュラム

 「学校」と言うと、どんな印象を持つでしょうか?楽しい思い出が多い方もいらっしゃるでしょうし、逆に楽しい思い出よりお辛い思い出が多い方もいるでしょう。私の場合はアメリカにいる時は学校で勤務していることが多かったため、自分自身が学ぶ場所と言うよりも、すでに職場なイメージが強くついてしまいました。大学院で心理・ABAの専門家として専門的な教育を受けながらも、卒業後は学校など教員が主にリードを取って活躍する「学校教育界」に身を置く経験が長かったので、その現場から学ぶことも多かったように思います。そこで学んだことの一つが「カリキュラム」です。
 ABAや心理的なアプローチの場合、個別を基本原則としている場合が多く、個人に合わせて目標を立てて、それを達成しようとします。しかし、学校教育的なアプローチでは、「カリキュラム」を使うことにより、個人個人ではなくクラス全体に行う集団指導を目指します。私は学校教育の専門家ではないので、カリキュラムとは何かについて説明するのもおこがましい話ですが、大きく言えば1年間生徒に何をどれだけ、どうやって教えるのか大まかな流れを示すものです。現実的には、先生自身がそのカリキュラムを決めなくても、一般にどの教科書を使うか決め、どれだけの時間をどの教科に当てるのかを決定することで、すでに何をどれだけ教えるのかが決まってしまいますから、自然に「カリキュラムに沿って」教えることになっています。
 特別支援教育ではどうでしょう?アメリカでは特別支援学級において「IEP(個別教育目標)」を立てることが義務づけられています。しかし意外かもしれませんが、それは完全個別ということではありません。学校教育ではあくまで集団での教育を目指しています。必ずしも使う教科書は決まっていませんが、特別支援でお「カリキュラム」は同時に存在するもので、それにそって学校は教えるけれど、それでは足りない個別の部分のみを「IEP」に形にしていくのです。ですから、「IEPを見れば、その子の成長がわかる」という発言は必ずしも適切ではなく、IEP以外にもカリキュラムにそって色々なことを教えているのが当然なので、それ以外の学習もあってしかるべきなのです。
 現在私は小集団の教室を運営していますが、個別の目標と、集団で行うことの両方を目指しています。集団で行うことは「カリキュラムがある」と言ってしまうと必ずしも正確には適切ではないかもしれませんが、個別の目標だけを見て教えるのではなく、集団全員に合わせたで色々な活動を積極的に用意します。こういった活動を常に続けることで、逆に個人のユニークさ、弱さ、強さがより明確になります。またさらに言えば、個人に合っていないかもしれない活動も積極的にやることで、こちらが想像しなかった教育の結果が生まれることが多いのです。もしかしたら、これは無理かなあ?とか、これはこの子には合わないかもしれないなあ、と勝手にこちらが想像したことが、結局は外れて以外に子どもが乗ってきて非常にたくさん学べるなんてことが頻繁にあるからです。逆に個別の目標に偏りすぎると、子どもの学習の機会を減らしてしまいかねないのです。
 「知的遅れのある子どもの目標」のところで話しましたが、知的に遅れがなかろうと、子どもにはいろんな活動をさせる必要があるのです。その中で実際の活動を通した体験から色々なことを学ぶ必要があるのです。ですから、個別目標だけを立てようとすると、非常に難しい話になるかもしれません。目標はあるが、それを教える活動の場が見えてこないからです。実際に何を子どもとやるのか?お勉強で教えるということではなく、そのお勉強の知識を使う活動の場を色々と用意して行う必要があるのです。

2016年1月7日木曜日

知的遅れのある子の個別目標

 新年の抱負は立てましたでしょうか?私はフランス語で「はらぺこあおむし」の絵本を読んでうちの息子に聞かせたいと思いつつ、すでに3日坊主で終わるような気もしている今日この頃です。なんでフランス語?意味はないです。特に子どもにフランス語を教えようという気もないので、私の趣味です。なんとなく面白そうな気がしません?フランス語で「はらぺこあおむし」を読んでいるのをYouTubeで検索すると、何人かの子(多分フランス人)によって読まれたバージョンがあって(画像は絵本のままです)。本文にはないのですが、絵本の最初と最後に、多分葉っぱを食べる音を表現したであろう言葉が出てくるんです。英語で言うところの、crunch crunch (クランチクランチ:ポテトチップス等固い物をバリバリ食べる音)に近いようなことだと思うんですけれど、フランス語のRの音って特別ですよね。それがどうにも日本語のカタカナではとても表現できない音で、子供が言っていると特に可愛いんですよ。皆様も見てみてください。
 知的に遅れがあるというか、早期療育をしても普通学級に行くほどは知的な能力が伸びなかった場合、その後の目標に困る場合が多くあります。というのも、早期療育の段階の目標は、模倣だったり、マッチングだったり、物の名前を識別・弁別することを教えたり、定型発達になるべく追いつくための療育です。ABAには多数の教科書的な本も存在するので、比較的簡単にそこの中から目標を選ぶことができることが多いです。しかし早期療育がおわると急にそう言った教科書的な存在が少なくなってしまいます。その後の方向性は、必ずしも定型発達に追いつこうとするのではありません。それぞれのレベルで、将来子供がなるべく生活面・経済面でも自立していくようにスキルを教え、その子の世界を広げていくことになりますが、まあそれは定型発達の子供と同じ方向性ですね。
 私の場合、1)お勉強的なこと(読み・書き・算数)、2)人とのコミュニケーション、3)生活関連・身体自立のこと、4)趣味・自由時間のこと、5)人と一緒の活動や体を動かすこと、この5つは欠かさないように行きます。もちろん、学校で行われるべきなこと、家庭で行われるべきなこと、塾や課外活動的に行われること、などあるので、親が全てを教えるということではなく、それら全ての場面の学習を合わせるとこの5つの領域の全てがカバーできるように気をつければ良いのです。
 今までの「模倣」や「マッチング」や「物の名前を識別・弁別する」などを目標とするのではなく、そいうったスキルはスキル単独で教えるのではなく、実際の場面で実際に役立つように教えていくことになります。例えば、趣味や体を動かす領域の目標として、「踊り(妖怪ウオッチ体操、エビカニクスなど)を3つ踊る」という目標があれば、その中で模倣のスキルが使われても良いし、使われなくても良いですし、エビやカニの名前の識別がついでにできても、できなくても良いです。実際に使われる場面を大切にするというのは、定型発達の子供にも役に立ちます。ただ化学を教えるのではなく家庭にある重曹とお酢を混ぜるとどういった化学反応を起こして掃除に役立つのか、家庭で役立つ形で教えていくと、化学も面白いものになります。実際に合戦のあった場所に行って見ることで、歴史を面白いものにするかもしれません。
 DTT(ディスクリートトライアル)というタイプのABAの早期教育をたくさんやってきたご両親に良くある間違いは、実際に使えないお勉強の部分の割合を比較的多く取ってしまい、あまり本人の生活に直接役立たないことを続ける結果になってしまうことです。(DTTが良くないという意味ではありません。陥りやすい間違いがある、というだけです。)また、上記の領域の4と5の、4)趣味の時間、5)人とのやり取りに時間を使わなかった結果、放っておくとウロウロとばかりしてしまう(もしくはすぐに問題行動を起こす)場合が多く見られます。実は特に自閉症の場合、興味の幅が非常に狭く、新しいことが嫌いなために、放っておくと自分では楽しいことが見つけられない場合が多く、療育でかなりの労力と時間をかけて、楽しいことや、やりたいことを増やすことに焦点を置かなければいけない場合が非常に多いのです。勉強に力を入れた結果として、自由時間になるとお勉強の道具をお母さんのところに持ってきて、よっぽどお勉強が好きなのかと思えば、実はただ他に楽しいことがない、それ以外活躍の場がない(人から適切に注意を引いてもらう場がない)、という悲しい事実にぶつかることも多いのです。
 知的に遅れがあっても、なくても、(それぞれのレベルは違うかもしれませんが、)実はあまり変わらないことが多いと思います。子どもそれぞれが充実した生活を見つけるために、楽しい活動を見つけるためには、活躍して皆から褒められるにははどうしたら良いか?を一緒に考えることがまず最初です。そしてそれに合わせた目標を見つけることが大切になります。

2016年1月4日月曜日

言葉の使い方を教える

 あけましておめでとうございます。出身地である名古屋に帰り、日本で療育を始めて丸3年経ちました。教室に療育に来てくださる方、講演会に来てくださる方、いつもブログを読んでくださる方、ありがとうございます。2016年もよろしくお願いします。
 昨年はどうでしたか?お陰様で私自身は公私ともに充実した一年を過ごせました。仕事面では昨年から講演会も本格的に始め、教室ではこれまで教室に通ってくださった生徒さん達が順調に成長しているところを見ることができました。個人としては子供も生まれ、今日は笑っただの、泣き止まないだの、首が座っただのと一喜一憂し、泣き止まないから一緒に階段を上ったり降りたり、歌を歌ったり絵本を読んだり。気がつけば日々は去り、手入れのされない頭は薄くなり白髪も増え、そんな時に限ってテレビの取材があったりする。ああ、もうちょっと可愛かった頃に撮ってくれれば良かったのに・・・。人生そんなもんですね。(「可愛かった」で引っかかった?そうです。その通りです。誰が何と言おうと昔は「可愛かった」ことにしておこう。)テレビについては、また放送されそうになったら報告しますね。実は全部カットされたりして・・・。
 ちなみに2回目の講演会を2月7日の日曜日に、場所は変えますが再度東京で行うことになりました。今度は言語行動(Verbal BehaviorもしくはVB)をテーマに行います。詳しくはwww.kojitakeshima.comをごらんください。
 ということで、言葉を教えることについて今回は少し話します。通常学級でも「国語」は高校まで主要科目になっていますよね。大学では「コミュニケーション」なども授業で取ることができます。話すこと、そして他人と意思疎通を図るということは、一生学び続けるといっても良いでしょう。それだけ人にとって重要で、またそれだけ難しいということでもあると思います。
 これまでの言語の理論は基本的に言語の意味について、そして「名詞」「動詞」「副詞」などの文法や構成についてが中心に語られてきました。行動分析(ABA)では「言語行動」というちょっと違った観点からの分析を使います。具体例を言えば、「その時計良いね。」という言葉があると、これまでの通常の言語分析の観点からすれば、名詞があって形容詞があってという構成を分析するかもしれません。しかし、行動分析における言語の分析では、その言葉を発する話し手にとって、話を聞く相手の喜ぶ顔が見たかったのか、実際には「その時計欲しいよ」という隠された要求だったのか、という言葉の効果によって言葉を分類しようとするものです。言語を使う人から見た、その言葉の持つ機能に中心を置いた分析になるからです。
 発達に遅れのある子どもにとっては、過去には「どうせ話せるようにはならないのだから」「知的な遅れがあるのだから仕方ない」と、もうこれ以上言語を教えようとする意図さえ諦められてしまう場合が多かったと思います。しかし、今では発達に遅れがあっても言語行動の分析を使った研究を元に、言葉を上達させることができるということはわかってきています。もちろん話せない子どもが突然普通に話せるようになるという夢のようなことではないのですが、私たちが英語を勉強して行くとちょっとずつ話せるようになるように、工夫して教えて行くと、やはり確実にコミュニケーションの力は上達はします。「コミュニケーション」と言ったのは、必ずしも口頭で「話す」ことだけにとらわずに、色んな手段を考慮しながら話し手として相手に意思を伝えることに焦点を置くほうがずっと効率的だからです。英語を学ぶ時のように、一見地味な成長かもしれませんが、それを継続することによって積み上がった長期間の成果は大きいでしょう。
 この長期間の成果を生み出すには、家庭での親の支援・教育だけでは難しいことも多いと思います。今後できれば公的機関、特別支援学校や発達支援事業などいろいろな所で、行動分析だけでなく言語療法士を含む専門的な知識を学んだ専門家がチームになって言語を教えてくれる場面が増えて行くことを切に望みます。