2015年10月29日木曜日

おかしな行動

 11月22日の日曜日に第1回「私もできるABA」の追加公演を行います。興味のある方はご参加ください。(詳しくはwww.kojitakeshima.comまで。)
 うちの教室の近くには、市の運営している公立の療育園があります。ずいぶん前の話しですが、教室を開いてしばらくした時ですから、2年以上前ですかね、一度ご挨拶にだけ伺いました。夕方だったので園長先生はおられなかったのですが、たまたまおられた園長代理の先生に名刺とパンフレットだけ渡して帰りました。ご近所ですから、機会があればコラボなどもできたら嬉しいですよね。先日その療育園に通いながら、うちの教室にも通ってくださっているお子様の保護者の方から、「園の先生方もここの教室のことを知っておられますよ」と報告を受けました。やはり挨拶には言っておくべきですね。
 しかし続きがありました。療育園内は内履きの靴が必要だったようでのですが、私は土足オッケーと勝手に勘違いしてしまったようで、土足でそのままヅカヅカ上がってしまっていたようでした。挨拶をした園長代理からは特にお咎めもなかったので、そんなことがあったことも全然気づかないまま、保護者の方からお話を聞くまで知らずに今まで過ごしておりました。あーあ、やっちゃった。挨拶になんか行かなきゃよかった、やっぱり。園では、「ああ、あのアメリカから来た、土足で上がる先生ね。」と言われていたんでしょうか?少なくとも「土足の先生」という覚え方をされていたでしょう。それにしても、おかしいですね。その時まだちょうどアメリカから帰って来たばかりとはいえ、アメリカでも家では土足で生活してこなかったはずです。私が教えている三重短大などは日本の学校でも土足で大丈夫だし(就学前の園ではなく大学だけれど)、そのせいかな?うーん、どうして気づかなかったんでしょう?感覚のずれとは怖いですね。だいたい園長代理も、言ってくれれば良いのに・・・でも確かに自信満々でニコニコ土足で上がってこられたら、やっぱり言いづらいですかねえ・・。
 自閉症の診断を持つ人たちは、感覚がずれていることもあるというような話を以前にもしましたが、「アメリカ帰りの土足の先生」と、どちらがずれているでしょうね?自閉症の診断の有無にかかわらず、「初めて何かをしようと試みた」人というのは、ちょっとずれた行動をとることが多いようです。例えば、今まで全然話してこなかった子ども、「最近話すようにはなったけれど、言葉にならないようなことを大きな声で話すし、困ったねえ。」と言う心配事はよく聞きます。今まで全然話さなかったのですから、突然言葉になることを期待しても、それは「望みすぎ」かもしれません。その上、音量調節までも突然はできませんよね。言葉にならないことを大きく話すこと自体が悪いのではなく、もっとたくさん話してもらって、徐々に言葉に近づけていったり、その音量調節の適切さを学ぶ必要があるのです。発達に障がいがあると、話し始める瞬間が定型発達の子どもよりもずいぶん遅かったりするために、大きい子が意味のないことを話すと不思議に思われてしまうこともあります。しかし、定型発達の子どもも1歳前後で話し始める時には、いろんな言葉にならないことを話して、毎日練習して徐々に上手になっていくのです。むしろこの時期にたくさん(意味が通じようが通じまいが)話してもらわないと、次の段階に行くスピードも遅くなります。
 同様に、これまで要求をしてこなかった子どもが要求できるようになると、時にその要求が度を越すように感じられる(特に同じものを何度も要求する場合)こともあります。こんなに何度も要求するって、おかしいんじゃないの?でも、定型発達の子どもも、成長過程では同じ絵本を何百回も要求している場合も多いのです。
 また、これは発達の遅れの少ないお子様でも同じことが言えます。例えば、人の後を追いかけるタイプで、逆に自分で判断して、自分で行動することがあまりなかった子が大きくなって、誰の行動も真似ずに、誰の指示も受けずに行動をし始めると、「ええ?この子はこんなにおかしい行動をする子だったかな?」というような行動をとることもあります。自分で考えて行動したことがないからです。だいたい思春期になって始めて、親から指示されていないことを自分からやり始めることが多いように思われますが、これはは必ずしも思春期に限りません。具体的に言えば、親の言う通り大学進学に向けて頑張ってきたけれど、ある時ポッキリ折れるというか、「もう親のいう通りにしない」と決めた子がいるとします。実はこう決めた瞬間、これまで親のいう通りに従ってきて、何も自分では考えて判断しなかった現実に目を向けなければいけません。自分で考えて何かをやったことがないのですから、自分では突然うまく行動できません。こういう場合、「ええ、こんなことをするの?」とか「こんな行動、考えたらおかしいってすぐわかるでしょう?」というような、不可解だったり、不適切だったりする行動が一時的にしても増えることが多いのです。時にはそれでトラブルに巻き込まれたりすることもあるかもしれません。
 しかし、問題はそのおかしな行動をとること自体ではないのです。これまで自分の判断を使って適切な行動をとってこなかったのですから、これから練習する必要があるということです。子どもによっては、自分からやろうという動機が最初からあまりなかった場合も多いでしょう。自閉症児の場合は本当に「やる気」というか、何かをしたい動機があまりない場合が多いです。放っておくと、手をプラプラさせたりといった自己刺激行動ばかりしています。こういう子と色々と遊んであげて「人と遊ぶのは楽しい」という経験をさせていくと、逆にすごく盛り上がって叫びまくることもあります。適切に盛り上がったことがないのですから、仕方ないでしょう。また、親が普段から間違い回避させようとするあまり、間違いする前に「それはこういう風にしなさい」と答えを教えてしまったことで、人から言われないと何をしたら良いのかわからない子どもに育つ場合もあるかもしれません。いずれにせよ、いろいろと間違えさせて、おかしな行動であったとしても自分でやらせてみせて、その自分の行動の結果から自分で行動を変えていくことを学ぶ(間違いから学ぶ)必要があるのです。
 「こんなにずれている」と感じるのは、これまでの経験の積み重なりの違いです。経験を始めるのに、遅すぎることはありません。「おかしい」と指摘・批判するだけではなく、どうやったらその子がその経験から学んでいけるのか考えましょう。

2015年10月8日木曜日

自立

 10月11日の講演会が近づいてきました。楽しみですね。ちなみに、ありがたいことに予想外に申し込みが多くて、申し込みは締め切らせていただきました。ありがとうございます。ということで11月22日にも同様の条件で(同じ場所、同じ時間、同じ講演内容で)再講演を企画しています。もし参加希望の方があれば、メールください。
 ということで、講演で参加者一人一人に渡す様にデータシートやパワポのコピーが入るバインダーを家で用意していました。作業をすすめると家内が赤ちゃんに授乳しながら横から口を挟んできます。「テーブルでやりなよ。床の埃がつくでしょう?」少しムカっとしながらも、仕方なさそうに(嫌そうな顔で)床からマットの上に移動して作業を続けようとするとさらに、「テーブルでやれば良いじゃん。そこだって埃がつくでしょ?」と追いかけてきます。ますますムカっとしながらもテーブルにずれて作業をすると、「ほら、できたバインダーまた床に置いたら一緒でしょう?できたのはそっちの段ボールに入れれば良いでしょ?」とますます追い討ちをかける。いちいちうるさいことこの上なし。あんまり腹が立ってきたので、「床に置いたら、埃がつくでしょ?そんなのありえない!」とかなこの真似をして、言われたことをわざと無視して床の上で作業を続けます。真似されたかなこは、「なんでそんなに感じ悪いの?こういう講演でもらったバインダーに髪とかついてたら、絶対いやだよ。」と攻め続けます。腹たっているこちらもまた真似して、「感じ悪い。髪とかついてたら絶対いや。」とやり返す・・・。どっかで見たことのある光景に思えませんか?
 障がいがある子どもを教えていると、お出かけする時に「こっちきて」「靴履いて」「ジャンパー着て」「まだママが良いって言うまで外でない」「ほら、水筒落とした。拾って。いつも水筒落とすから割れるんでしょ?」とどんどん指示を出してしまいませんか?工作しても、「顔を描くよ。ほら、目。目は丸くして。ぐるぐる。鼻は?あーあ。それじゃあ目みたいになっちゃったじゃない?(子どもが逃げ出そうとして)ええ、もうやりたくないの?」と、指示が増えやすい。親だからしっかりやって欲しい期待もあって、思わず指示の出しすぎや、批判的になりがちです。最近子どもが反抗的になってきた・・・という方、心当たりありません?子どもの障がいの度合いに関わらず(言語の多い少ないにも関わらず)あまり指示を出しすぎると、子どもが自分で何かを考えてやろうとする傾向(自発的な行動)を阻止してしまうことが多いのです。言い換えると、自発的に何かしようとする前に親が「これしなさい」とやることを特定してしまうために、自発的な行動のチャンスがなくなるだけでなく、自発的に行動すると「そうじゃなくって、いつも言ってるでしょ?」のような批判的なコメントが罰となって、結果として自発的な行動が減ってしまうこともあるでしょう。
 障がいがあるとかないとかに関わらず、人間に生まれてきたのですから、自分で決めて、自分で行動して、それで人から評価されて、活躍したいものです。しかしながら、特に障がいがあると、放っておいて自分でできませんよね。指示されないと(時に指示されても)なかなかできないことも多いですよね。この場合、「こうしなさい」とやって欲しいことを特定して言ってしまわずに、なるべく自分からそのやらなければいけないことを見つけ出すような手助けをしたいのです。例えば、外に行こうとするなら、「外に行く時は、ジャンパー着て、鞄持って、靴をはいてから行くよ。」と最初に言っておいて、そして外に出かける時ジャンパーと鞄を玄関近くに用意しておきます。そして、「外行くよ!さっきなんて言われたか覚えてるかな?まずは・・・(できなければ周りを見回すように指差しして)そう、そこにかかっているやつ・・・そうだね。ジャンパー。ジャンパーが着れたら・・・(できなければ周りをいろいろ指差して、たまたま鞄のところに目が行った時に)そう、鞄だね。鞄持ったら・・・靴だ。よくできたから、外に行こうか?」というような丁寧な手助けをしていきます。ここで教えようとしているのは「周りを見回して、何を準備するのか自分で見つけ出す」という準備行動です。周りを見回すのが難しい子は、写真でジャンパーと、鞄と、靴の3つの写真を玄関に用意しておいて、1つずつ指差しながら準備することを教えても良いです。ひらがなが読めれば、ホワイトボードに書いて玄関においておいても良いです。口で準備するものを暗記させても良いです。要は、自分で「何をしたら良いのか?」見つけ出すために必要な準備行動を自分で起こして、言われなくても自分でやることです。
 こういう手間をかけて教えていっている子は、人に「こうしろ」「ああしろ」と言われなくても自分でできるのですから、余計な苛立ちも避けられます。また、次に何をするのか自分で考えるわけですから、そういった適切な行動が出ている分だけ、「突然走り出す」とか「気がそれて遊び出す」といった余分な問題行動が下がります。これは障がいがない子の教育にも共通することだと思います。次に何をしたら良いのか、言われないと動かない子いますよね。「またぼーっとして!」といつも叱られていますが、もしかすると、「鞄持って、靴下履いて。それからジャンパー着て。早くしなさい!」と指示しすぎかもしれませんね。