感覚過敏

 先日久しぶりに土曜日が晴れました。桜の時期は雨が何度も降ってすぐに寒くなってしまっていたので、久しぶりの気持ち良い陽気を楽しみに、川原の堤防にピクニックに出かけました。草が刈られて野原になった堤防には、タンポポが咲き乱れ、ベンチに寝転ぶ人もみられます。一角にはたくさんのチューリップが植えられて、とても気持ちよい日です。お弁当のサンドイッチを入れたビニール袋が思わず飛ばされてしまうような強い風の日でしたが、日差しを受けながらのお弁当は良いですね。今日はなんだか鼻水が出ます。私は花粉症にはなったことがないので、風邪を引いたものがまたぶり返したかな、と考えていました。マスクとポケットティッシュを余分に持ってそのまま買い物に出かけましたが、鼻水がどんどん出てきます。ティッシュが追いつかなくて、マスクの内側にまで鼻水がつき、なんとも醜い状況になってきました。やだなあ、と考えつつも地下鉄の駅を上がると今度はクシャミが何度も出ます。「もしかすると、これが花粉症か」と気づいた頃には、結局ポケットティッシュを2パック使い、外に出るとクシャミや咳が止まらない状態になり、頭痛までしてきました。「花粉症は、コップに水を注いで溢れ出てくるように、或る日突然なる」ということを聞いたことがありましたが、突然とはこれくらい突然なんですね。その日はクシャミと咳と鼻水でグッタリでした。花粉症の症状がこんなに辛いなんて、これからどうやって生きていけば良いんでしょう?薬は?専用マスクは?家内に聞くと、「別に慣れるよ。」という気のない返事でした。とほほ。次の日は絶対外に出ないぞと意気込んでいましたが、結局次の日からまた雨に戻り温度も下がり、花粉が飛ばなかったせいか、特に鼻水の出ない普通の1日に戻りました。もう二度と川原にピクニックに行きません。外にランニングもだめかなあ、ああ、ただでさえ人混みが苦手だったり、出不精だったりするのに、また行けない場所が増えてしまった。
 アレルギーといえば、自閉症の子どもは感覚が過敏な子供が多いですよね。手にノリがついたり絵の具がついたりすることが嫌で工作がなかなかできない子どもや、手に水がつくのが嫌で手が洗えない子どもや、頭に水がつくのが嫌でシャワーが浴びられない子ども、大した音もないのに突然耳に手をあてて覆い隠す子ども、顔や頭に何かがくっつくのが嫌で被り物が全然できない子どもなど、いろんな種類がいます。この子達はいろんな理由があって、普通の人にとっては何でもないことが非常に嫌だったりして、適応できないんだなあとつくづく思います。感覚過敏といえばアメリカでは作業療法士さんが感覚統合というような療法を行うことがよくあるのですが、当たり前ですが魔法の杖というわけではないので、やったからといって過敏さが極端に変わるというものでもない印象です。(あくまで専門家でない人の印象ですが。)もっと研究が進んで、彼らの生活が改善されると良いですね。
 行動分析的には、「過敏さが原因となって生活を制限してしまうことがないように、なんとか頑張ってもらう。」ということですかね。例えば、手洗いを極端に拒否する場合、もちろんウェットティッシュを使って手を綺麗にするということも可能ですが、手が洗えないのでは衛生上良くありません。ということで、特に小さい子どもの場合はまず泣いても嫌がっても無理に手を洗わせてしまいます(体力的に無理にやらせることも可能なので)。ひどい話ですね。泣きわめく子どもに手を無理やり洗わせたことも何度もあります。何回かやらせると、「この人には逆らえない」という感じで諦めて抵抗しなくなります。ますますひどい話ですね。でも面白いところは、嫌でもやらせていくと、別に気にならなくなってしまう場合が結構多くあることです。どういうことかと言うと、今まであんなに泣きわめいて嫌がっていたのに、「おやつだよ」と言うとニコニコしながら自分で手を洗いに行くようになってしまう場合があるのです。「あんなに泣いていたのはなんだったのか?」と真剣に疑問符を投げかけてしまいたくなります。もちろん全員がそうではありませんが、そういう子どもも少なくはないのです。
 もしかすると、「感覚過敏」と勝手にこちらが勘違いしていただけなのかもしれません。というのも、「どうして感覚過敏なだとわかるのか?」と考えると、大抵自閉症で幼い子どもの場合は言葉を持たない場合が多いので、「その子が逃げるから、もしかしたら過敏なのかなと勝手にこちらが推測した」以外の理由がないからです。表現力が豊かで、「水が触ると針が刺すように痛いんだ」なんて言ってくれれば、こちらもそれに合わせて対処できますが、言えない子どもの場合は推測するしかないので、勝手な推測から「感覚過敏」を作り上げてしまう場合も、もしかしたら多いと思います。
 もちろん無理にやらせるだけでなく、可能な場合には、なるべくストレスがかからないやり方をすることが望ましいでしょう。例えば、手に何かつくのが嫌で、ノリや絵の具が使えない子どもには、近くにフキンを置いておいて、「汚れたらすぐに拭くからね。」と説明しておきます。実際には最初はやや無理にやらせるのですが、汚れたらすぐに拭いてあげると、それほど嫌がらない場合も多くあります。結局これで工作の経験が楽しくなれば、徐々にこの子の生活も広がっていく可能性がありますよね。彼らのこれか可能性が増えることが大切
 手を洗うのを拒否する場合、もしかしたらすごく過敏で痛いぐらいの感覚があるのかもしれないし、もしかしたら、「別に手を洗うのが面倒臭い」だけかもしれません。本当の理由がわからない以上、それを何とかして探りあてることも必要になるかもしれません。手洗いは衛生上大切なので、私の場合とりあえず、「何日間か手を洗わせてみて、それでもずっと泣きわめくのであれば、他の方法を考える」というような、「やっつけ」な感じで進めます。そしてあまりに拒否が続くのであれば、「じゃあ、水の温度を変えてあげれば良いのではないか?」「流れる水ではなく、洗面器の水なら良いのではないか?」「水ではなく、石鹸の匂いが実は嫌なのではないか?」などいろいろな可能性を考えて、その子にとっての過敏さをピンポイントできるように考えながら、一番ストレスがない形を模索しながら、なるべく頑張って手を洗わせます。

コメント

  1. なるほど、「水が痛い」のかも、・・・そんなふうに、広く細やかに想像して、理由を汲み取るのですね。大変教えられました。
    私も、保育園で、強制的に手を洗わせている子がいます。確かに、繰り返しているうちに慣れてきた感があります。今度から、その理由を探ってみる楽しみもできました。
    一つコツを教えて下さり、感謝です。    めぐみキリスト教会  T.Y

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