2015年4月29日水曜日

新学期:表情や表現の難しさ

 暑くなりましたね。2週間前には寒くて暖房をつけていたのに、突然冷房が必要なくらいになって、冬から春を吹っ飛ばして夏になった気分です。幸い暑さのせいか花粉症は大したことがなかったのですが、気温の変化に体がついていかないですね。
 うちの教室の子供達も気候の変化に加えて、新たに保育園や療育の場所を始めた子どもが今年は比較的多いので、そういった子は新学期を迎えたストレスで荒れ気味です。新学期、小学生や中学生も大変ですが、保育園や幼稚園に初めて通うようになる子どもも大変ですよね。学校生活ということ自体を知らないまだ3歳とかの子どもに、「保育園に行ったらたくさん子どもがいるんだ」と口で説明しても、その意味はなかなか実感として伝わらないです。その頃を覚えていない私たち大人から、「こういうことが大変だよ。」と、子ども目線で教えてあげることもできないですし、保育園について行って「こういう時は、こうしたら良いよ。」と言ってあげることもできないのですから、多くの問題は子どもが自分で解決するしかありません。20人以上の子どもを一人の先生が見ているような環境で、一人一人のニーズに合わせた教育は難しいのが当然でしょう。今までだったら親が色々と問題を解決する場所に一緒に入られたのに、突然知らない場所で、色々な子どもと一緒に、なんとか生活しなければ行けないのですから、それは大きなストレスがかかるでしょう。
 定型発達をしている子どもでも、大体最初の3ヶ月くらいは大変だということをよく耳にします。朝バスに乗るのを嫌がってお母さんにしがみついて泣き叫ぶのが2ヶ月くらい続いたなんて話もよくあります。自閉症などの障がいを持てば、さらにそのストレスが倍増することもあるかもしれません。というのも、自閉症や他の発達障がいは基本的にコミュニケーションの障がいを含む場合が多いので、自分で言いたいことをうまく伝えられなかったり、周りをしっかりと見ていないので何が起こっているのか理解できなかったり、人から言われたことをすぐに理解できなかったりするのですから、ますます混乱することは避けられないでしょう。しかし、自閉症のお母さん方から、「うちの子ってストレス感じてますかね?(ストレスなんてないんじゃないか?)」と言われることが結構あります。というのも、自閉症では特に、ストレスが表情や行動にうまく出ない場合が多くあり、周囲からすると「いつもと同じ」に見えてしまう場合もよくあるからです。
 例えばよくあるタイプとしては、普段はお母さんがあんなに好きでベタベタしているのに、お母さんが離れたり隠れたりしても「しれー」っとしている場合が結構あります。泣いて嫌がらないのです。そうすると、お母さんとしては楽ではありますが、「この子は私のことを本当に母親として愛しているのか?」とまで疑ってしまう場合もあります。しかし、それは大抵の場合顔や行動に出ないだけの話なのです。ストレスがかかっていないわけでもないので、他に支障が出ます。例えば保育園などでを始めた子で、園では別に特にパニックになることもなく「リラックスしている」「楽しそう」と先生に言われているのに、家に帰ってからちょっと何か気に入らないことがあるだけで泣いて止まらないとか、なんだか元気がないとか、いつもと違う様子が観察されます。
 極端な例では、「泣いたらお母さんがいなくならないかもしれない」、とか、「探したらおお母さんが見つかるかもしれない」、という簡単な原因と結果が理解できない場合もあります。お母さんがあんなに好きで普段ベタベタしているにもかかわらず、お母さんが隠れても探さないのです。いなくなってしばらくすると、泣き出す場合もあります。しかし、泣いていたにも関わらず、お母さんが帰ってきても表情すら変えませんし、泣いて近寄ったりもしません。こういう子は、大好きなオモチャなどでも、うまく探したり、うまく欲しいと体で表現できないので、比較的わかりやすいです。
 どうして嬉しいことや好きなことを「嬉しい」「好き」と表現できないのでしょうね。その理由はわかりません。ただし、療育を続けていくと、そういった表現自体が徐々に上手になる場合が多いです。お母さんや先生を見て嬉しそうにする確率が増えてきます。もちろん直接「笑いなさい」という表現の仕方を訓練をするわけではありません。好きなことを増やして、そして好きなことやものを手に入れるのにはどうしたら良いのか、色々と試行錯誤する傾向を育てるのです。そうすることで、好きなものがないときに自分で何とかしてそれを見つける、問題解決する傾向がつき、それが達成できたときに自然に「嬉しそう」な表情が増える場合が多いと思います。これは私の臨床の経験からの発言なので、科学的根拠は今回はありません。

2015年4月22日水曜日

良し悪しの判断:ルールの価値

 先日近くの銭湯に行ってきました。たまたま車で通りかかり、こんなところに昭和な感じの銭湯があったんですね。「⚪️⚪️温泉」と名前があり、銭湯ではなくもしかしたら本当の温泉なのかな?というところも温泉ファンの心をくすぐる。行ってみました。すごい人数のお年寄りがいました。洗うところがないくらい。しかもみんな洗い場のシャワーのところを席取りしているのかシャンプーなどを置いていて、空いていても何となくそこを使いづらい。突然来た新参者がちょっと入りづらい雰囲気。名古屋は温泉文化があるんでしょうか?こんなに普通の銭湯が混んでいるなんて。しかも年齢層がすごい。みんな70歳くらいでしょうか?せっかく来たのに、みんなあまりリラックせずに結構早く出て行くところも年寄りらしい。それくらいの人に囲まれると、なんだか自分も若返った気持ちになりますよね。そこにいる50台くらいの人も、だんだん「お兄ちゃん」に見えてきた。その「お兄ちゃん」サウナに入っていたんでしょうね。水風呂に入りました。しばらくすると、バシャーン、バシャーンとすごい音を立てて、水の中で体を移動させ、中の水を波立たせて水をこぼしてしまっています。一体何なんだ?びっくりしていると、いなくなりました。実は水中に頭ごと潜っていて、またザバーっと(アデランスのコマーシャルのように)大胆に水しぶきを上げて水から出てきています。私だって(人が見ている前で、しかもあんなに大胆に)お湯に潜ったりしません。やっぱり大人も異様な行動を取るんですよねえ。結局ただの怪しいオヤジですよねえ。「お兄ちゃんだと思ったのに・・・」。
 こういう仕事をしていると、頻繁にお母さんがたから「物事の良し悪しがわかるようになって欲しいんです」ということを相談されます。子どもによっては、人の給食のご飯を取ってしまったり、人を叩いてしまったり、学校から逃げ出してしまったり、きっかけは色々ですが、大体問題行動から始まります。ただ、これは非常に難しい問題です。というのも、「物事の良し悪し」と簡単に言いますが、良し悪しを判断するという行動が取れるには色々なことができなければ行けないからです。まず第一は、それが理解できるか?ということです。りんごがみかんとは違うように、人の食べている物と、自分の食べているものが違うということがわかるか?それから、人の食べている物を取って(盗んで)はいけないというルールが理解できるか?ということです。その次に、ルールが理解できたら、「それを守りたい」という動機があるかということです。さっきの「お兄ちゃん」じゃないですが、「銭湯では潜ったり、水をひっくり返すように大きく動かない」というルールを知らないというよりは、別に守ろうという動機がないのでしょう。交通ルールもそうですが、赤信号で渡ると(車でスピードを出しすぎると)危険に陥る確率が高いということは理解できても、覆面パトカーがいない場所では、ついついスピードを出したりしてしまいますよね。
 自閉症だったりすると、特に普通の価値観が少しずれている場合があります。例えば「人に話しかけられたら、返事をする」という普通の人なら普通にするルールですが、発達障がいがある子どもの多くは、聞こえていても完全に無視することが多いのです。他の子どもが泣いていても、全然知らん顔していることもありますし、他の人が床に寝ていたら、その上を踏んで通り過ぎる場合もあります。彼らにとっては、「どうして反応しなければいけないの?」という感じなのでしょうか?理由については推測するしかありません。人を叩きながら「叩かない!」といつも叱られるセリフを言う子どももいます。人を叩いたら叱られるということは、わかっているのでしょう。動機の問題なのかもしれません。でも、一々誰かが見ていて、問題行動をしないように見張っていることが難しい場合もあります。価値観自体が変わって、「ルールを守りたい」子どもに育ってくれれば、それが一番良いとは思いますが、そんなに簡単でもありません。
 ルールに関してある程度理解のできる子どもには、ルールを使うこと自体の価値を上げることもできます。実は「ルールを使って人の失敗を指摘すること」を教えると、ルールの価値を変えることができるのです。子どもだって大人だって、いつも人から注意される側では嫌ですよね。人に注意される立場ではなく、人にできる立場になると、人より上に立つことができ、ちょっと嬉しいのです。ルールを知っているだけではなく、さらに人を観察して「あ、あいつルール破った!」と指摘できることで、初めて「上から目線」で人に対処できるんです。変な話ですが、人の悪い点を指摘するのは気分良いですよね。人の悪い行動を指摘できるようになると、ルールの価値、人の行動を観察する価値が非常に高まるのです。逆に言えばそれを経験していないと、叱られるだけで本人にとってそれ程の得がないことになるので、ルールって別に対して興味の湧かないことなんです。人を観察することも、価値が高くならないので、人を見ていないのです。だから余計に社交性の発達も遅れていく。ルールを教えたら、わざとこちらが間違えて見せて、指摘させます。指摘できたら「ゴッメーン。間違えちゃった。」と謝って見せるのです。子どもがニヤリとしてきたら、もうけものです。
 

2015年4月15日水曜日

感覚過敏

 先日久しぶりに土曜日が晴れました。桜の時期は雨が何度も降ってすぐに寒くなってしまっていたので、久しぶりの気持ち良い陽気を楽しみに、川原の堤防にピクニックに出かけました。草が刈られて野原になった堤防には、タンポポが咲き乱れ、ベンチに寝転ぶ人もみられます。一角にはたくさんのチューリップが植えられて、とても気持ちよい日です。お弁当のサンドイッチを入れたビニール袋が思わず飛ばされてしまうような強い風の日でしたが、日差しを受けながらのお弁当は良いですね。今日はなんだか鼻水が出ます。私は花粉症にはなったことがないので、風邪を引いたものがまたぶり返したかな、と考えていました。マスクとポケットティッシュを余分に持ってそのまま買い物に出かけましたが、鼻水がどんどん出てきます。ティッシュが追いつかなくて、マスクの内側にまで鼻水がつき、なんとも醜い状況になってきました。やだなあ、と考えつつも地下鉄の駅を上がると今度はクシャミが何度も出ます。「もしかすると、これが花粉症か」と気づいた頃には、結局ポケットティッシュを2パック使い、外に出るとクシャミや咳が止まらない状態になり、頭痛までしてきました。「花粉症は、コップに水を注いで溢れ出てくるように、或る日突然なる」ということを聞いたことがありましたが、突然とはこれくらい突然なんですね。その日はクシャミと咳と鼻水でグッタリでした。花粉症の症状がこんなに辛いなんて、これからどうやって生きていけば良いんでしょう?薬は?専用マスクは?家内に聞くと、「別に慣れるよ。」という気のない返事でした。とほほ。次の日は絶対外に出ないぞと意気込んでいましたが、結局次の日からまた雨に戻り温度も下がり、花粉が飛ばなかったせいか、特に鼻水の出ない普通の1日に戻りました。もう二度と川原にピクニックに行きません。外にランニングもだめかなあ、ああ、ただでさえ人混みが苦手だったり、出不精だったりするのに、また行けない場所が増えてしまった。
 アレルギーといえば、自閉症の子どもは感覚が過敏な子供が多いですよね。手にノリがついたり絵の具がついたりすることが嫌で工作がなかなかできない子どもや、手に水がつくのが嫌で手が洗えない子どもや、頭に水がつくのが嫌でシャワーが浴びられない子ども、大した音もないのに突然耳に手をあてて覆い隠す子ども、顔や頭に何かがくっつくのが嫌で被り物が全然できない子どもなど、いろんな種類がいます。この子達はいろんな理由があって、普通の人にとっては何でもないことが非常に嫌だったりして、適応できないんだなあとつくづく思います。感覚過敏といえばアメリカでは作業療法士さんが感覚統合というような療法を行うことがよくあるのですが、当たり前ですが魔法の杖というわけではないので、やったからといって過敏さが極端に変わるというものでもない印象です。(あくまで専門家でない人の印象ですが。)もっと研究が進んで、彼らの生活が改善されると良いですね。
 行動分析的には、「過敏さが原因となって生活を制限してしまうことがないように、なんとか頑張ってもらう。」ということですかね。例えば、手洗いを極端に拒否する場合、もちろんウェットティッシュを使って手を綺麗にするということも可能ですが、手が洗えないのでは衛生上良くありません。ということで、特に小さい子どもの場合はまず泣いても嫌がっても無理に手を洗わせてしまいます(体力的に無理にやらせることも可能なので)。ひどい話ですね。泣きわめく子どもに手を無理やり洗わせたことも何度もあります。何回かやらせると、「この人には逆らえない」という感じで諦めて抵抗しなくなります。ますますひどい話ですね。でも面白いところは、嫌でもやらせていくと、別に気にならなくなってしまう場合が結構多くあることです。どういうことかと言うと、今まであんなに泣きわめいて嫌がっていたのに、「おやつだよ」と言うとニコニコしながら自分で手を洗いに行くようになってしまう場合があるのです。「あんなに泣いていたのはなんだったのか?」と真剣に疑問符を投げかけてしまいたくなります。もちろん全員がそうではありませんが、そういう子どもも少なくはないのです。
 もしかすると、「感覚過敏」と勝手にこちらが勘違いしていただけなのかもしれません。というのも、「どうして感覚過敏なだとわかるのか?」と考えると、大抵自閉症で幼い子どもの場合は言葉を持たない場合が多いので、「その子が逃げるから、もしかしたら過敏なのかなと勝手にこちらが推測した」以外の理由がないからです。表現力が豊かで、「水が触ると針が刺すように痛いんだ」なんて言ってくれれば、こちらもそれに合わせて対処できますが、言えない子どもの場合は推測するしかないので、勝手な推測から「感覚過敏」を作り上げてしまう場合も、もしかしたら多いと思います。
 もちろん無理にやらせるだけでなく、可能な場合には、なるべくストレスがかからないやり方をすることが望ましいでしょう。例えば、手に何かつくのが嫌で、ノリや絵の具が使えない子どもには、近くにフキンを置いておいて、「汚れたらすぐに拭くからね。」と説明しておきます。実際には最初はやや無理にやらせるのですが、汚れたらすぐに拭いてあげると、それほど嫌がらない場合も多くあります。結局これで工作の経験が楽しくなれば、徐々にこの子の生活も広がっていく可能性がありますよね。彼らのこれか可能性が増えることが大切
 手を洗うのを拒否する場合、もしかしたらすごく過敏で痛いぐらいの感覚があるのかもしれないし、もしかしたら、「別に手を洗うのが面倒臭い」だけかもしれません。本当の理由がわからない以上、それを何とかして探りあてることも必要になるかもしれません。手洗いは衛生上大切なので、私の場合とりあえず、「何日間か手を洗わせてみて、それでもずっと泣きわめくのであれば、他の方法を考える」というような、「やっつけ」な感じで進めます。そしてあまりに拒否が続くのであれば、「じゃあ、水の温度を変えてあげれば良いのではないか?」「流れる水ではなく、洗面器の水なら良いのではないか?」「水ではなく、石鹸の匂いが実は嫌なのではないか?」などいろいろな可能性を考えて、その子にとっての過敏さをピンポイントできるように考えながら、一番ストレスがない形を模索しながら、なるべく頑張って手を洗わせます。