2015年11月26日木曜日

どれくらい教育に(療育に)時間がかかるの?

 久しぶりにおじいちゃんネタでいきますね。いつも元気なおじいちゃん。やはりいつもなぜか焦っています。先日今年卒寿のおじいちゃんから手紙が届きました。開くと、なんと11月だと言うのに子どもへのお年玉が入っていました。お・・・お年玉?なぜ今頃?焦るタイプとは思っていたけれど、さすがに年が開ける前にお年玉をくれる人は、おじいちゃんしかいないでしょう。お礼の電話をかけると「もういつ死んでもおかしくないで。でも、死んでしまってからじゃしょうがないからのう。先にやっといた。ほら、先もらっとかなあかんわ。じゃあのう。(ガチャン)」と手短に切られてしまいました。この間も自転車に缶詰いっぱい積んでフラフラ運転してきたくらいだから、ずいぶん丈夫なはずなんだけれど・・・・。そんなに焦ってどうするんでしょうねえ。
 おじいちゃんほどは焦っていない私でも、教育の成果のあがるスピードの遅さに、時にくじけそうになってしまいます。例えば、「ぶどう」と言われてぶどうを指差し、「おにぎり」と言われておにぎりを指差しすることを教えるのに、半年かかる場合もあります。もっと言えば、半年かかってもできないこともあります。「ぶどう」、「おにぎり」、「くるま」の絵が並んでいる時に、もう一つ同じぶどうの絵を渡されたら、「おにぎり」や「くるま」でなくぶどうと一緒に合わせること(マッチング)でも、3ヶ月かかる場合もあります。
 自閉症の診断を受けておられるお子様の多くは、学ぶスピード全体が遅いお子様も多くおられます。また同時に、学んだスキルを使いたいモチベーションが異常に低かったり、さらに言えば、新しい活動は全て拒否したりといった傾向が強い場合が多いのです。ですから私の教室では、教えるだけでなくモチベーションを高めたり、教えた力が実際の場面で使えるようになることに焦点を当てています。「ぶどう」を教えるなら、指差しやマッチングができるだけではなく、「ぶどう狩り」について絵本を読んで、模擬的なぶどう狩りを教室でやって、積極的にぶどうを採ったり、指差ししたり、「ぶどう」と言って欲しいのです。「ミックスジュース」の絵本を読んで、ミックスジュースの絵を描かせて、ぶどうの色で絵を描いたり、ジュースを飲む真似をしたり、ミックスジュースの歌を真似したり、粘土でぶどうを作ったり、こういったことが楽しくなって、やりたくなって欲しいのです。
 こういったモチベーションを上げる過程というのは、実は教えるよりもさらに時間がかかることが多いのです。多くの場合、子どもにとって課題を簡単にしてやりやすくしてあげたり、(繰り返しの好きな子どもが多いので)何度も何度も繰り返し(嫌がっても泣き叫んでも)やらせていったり、また、子どもが好きなiPadや他に好きなことを混ぜ合わせることで、徐々に好きになっていきます。一つのことが好きになるのに、場合によっては3ヶ月かかります。場合によっては3ヶ月みっちりやっても好きにならない場合もあります。でも、こういった活動を地道にいくつもやっていくと、徐々に新しいことが1つ増え、2つ増え、そして新しいことが好きになるまでの時間も少しずつ短くなっていくのです。長期間で見ていると、「やりたい」という動機が増えてくるのですから、子どもが「子どもらしく」なってきます。「やりたい」ことが増えた子ほど、他のことを学べる(学びたい)ことも増えてきます。
 療育を始めたばかりの状態を見ると、子どもが全然やる気がないのに、「やったー。めっちゃ楽しいよ!ほら、こんなこともできる!」とめっちゃテンションをあげて盛り上げるお笑い芸人みたいなもんです。笑ってもらえなくても、何べんも何べんも繰り返して、徐々に子どもの笑ってもらえるものを増やすんです。変わったお仕事だと思いませんか?本当に地味で気長な作業のです。
 ちなみに、好きなことを増やしていくというのは、定型発達をしている子どもでも、共通していると思います。テンション上がって楽しんで帰ってもらうために工夫をした教育をやっていると、「嫌なことをやらされている」教育と比較して、短期的には伸び幅が実際には少ないかもしれないのです。しかし、長期的に見ると断然楽しい方が、教えられたことを実際に使ったり、家で同じことをやってみたりするので、「教えたことだけ」ではなく、他のことを学んだりもしてくれるので、子ども全体の成長という面で大きく影響を与えます。
 教える側に立つ人間なら、「教育には時間がかかる」ということが頭ではわかっているはずなのですが、やはり目に見えて成果が出ないと、くじけてしまいやすいのです。逆に簡単に効果が出る短絡的な教育に走りやすいのです。子どもが「やりたい」「教えられたことを使いたい」ということを目標にすると、時間がかかりすぐには成果が見えにくいのですが、それが一番大切なことだと思います。

2015年11月8日日曜日

問題行動の対処法

 私の子どもも3ヶ月を過ぎて、徐々に首が座ってきました。最近は構って欲しくて泣いてばかりいますね。赤ちゃんにとって泣くことは大切なことです。でもあんまりひどくても一緒にいる人が疲れてしまいますよね。ベッドに置いたり、座ったりすると泣くんですよね。「抱っこしろ!歌え!踊れ!」といつも要求しているような感じです。車に乗せると寝るという話もよく聞きます。「夜泣きがひどくて、あんまり泣くので、夜中に1時間ぐらい車を運転して回った。」なんてこともあるでしょう。うちは車は運転しないのだけれど、抱っこして階段を登ったり降りたりすると、泣き止むことが多いのです。登ったり降りたり、気がつくと汗だくにさせられています。赤ちゃんの泣く力は強い。「歌え!踊れ!階段登れ!」とだんだん泣くことも増える・・・。
 最近スマホを使って階段をどれくらい登ったのか、スマホがカウントして数えてくれることに気づきました。グラフにしてくれるんです。行動分析家にグラフを見せると、断然意欲が湧いてくるんです。「高いデータポイントのグラフが見たい!」・・・危ないですね。階段登りは「子どもが泣くから・・・」というよりも、大人のエクササイズに変わってきました。先日記録を更新して、130階分登ってしまいました。・・・うーん。これでまたぎっくり腰になったらどうしよう?
 なんの話でしたっけ?そう、問題行動。「泣く」というのも問題行動の一つになる場合もありますが、「⚪️⚪️の問題行動があるんです。⚪️⚪️(行動)が起こったら、どうやって対処したら良いんでしょう?」という相談もよく受けます。しかし、質問自体が(見ている方向性)やや間違っているのです。実は問題行動は、「起こってしまってからどう対処するか?」ではなく、「どうやって次に起こらないように工夫するか?」が一番大切なのです。私がよく言うのは「一度起こってしまったら、もうダメージが出てしまったので、その時はダメージ・コントロールをするしかないのです。しかし、ダメージ・コントロールで将来の問題行動を下げることにはならないのです。次にどうやって問題行動を起こさないか?を考えて何かしない限り、また問題行動は起こります」ということです。実は問題行動を下げることと、問題行動が起こった時の対処方法(ダメージ・コントロール)は全然別のことなのです。
 では、どうやって問題行動を起こさないか?その理由をなくす必要があり、それを機能分析と呼びます。要は、子どもが何か問題行動を起こさないといけない状況にあるのです。その状況をなんとか変えてあげる(もしくは、問題行動以外の方法で切り抜けることを教えてあげる)必要があるのです。例えば、課題を与えられて問題行動を起こすのなら、課題自体が難しすぎるのかもしれません。自閉症の診断があったりすると、非常にくじけやすい子どもが多いので「ちょっと頑張ればできる課題なのに・・・」とこちらが思っても、その「ちょっとの努力」が非常に辛くて問題行動を起こす場合も多いです。「本当に簡単な」課題から始めて、徐々に簡単にしてあげるというような、丁寧な教え方が必要になるのです。問題行動を起こしてから、「ダメでしょ!」というのではなく、最初から簡単な課題を丁寧に積み上げることがあれば、問題行動にならないのです。
 「余暇の時間に一人で自己刺激をしてしまう」ということも、同様です。余暇の時間を上手に過ごすのが非常に難しい子どもが多いのです。人が「これをやろう」と遊びに誘うと、泣いて嫌がってしまう子もいます。余暇の時間に適切な遊びをするようにさせるには、人の誘う遊びに参加することを教えるには、実は本当にたくさんの時間と労力がかかります。というのも、「自己刺激よりも適切な遊びの方が楽しい」というように、遊びの価値を変える必要があるからです。「遊べてる!よくできたね。」と数回褒めるだけではないのです。本当に遊び自体が楽しくなるように、何十回・時には何百回と繰り返して単純遊びをやってあげたり、色んな遊びを体験させてあげる必要があるのです。
 療育をされている方の中には、こういった「余暇の時間を適切に過ごす」ことにあまり価値を置かない方もいます。これは、何かを教えるわけではないので、効果が見えにくいからかもしれません。「すっごく時間をかけて本当に少しの遊びをするようになる」ということなのです。「それよりは、ひらがなの一つでも読めるようになった方が良い」と思ってしまうのも分からないではないです。しかし、「将来一人でも遊べる」「他の子と一緒に活動ができる」「人の誘った遊びを一緒にやってくれる」こういったことは、非常に大切になります。これができると、将来親と一緒にいない時、学校に行った時、非常に教えやすい子になるからです。長い目で見ると、この方が絶対に子どもにとってたくさんのスキルを教えることに繋がる可能性が高いのです。
 これは自閉症でなくて定型発達の子どもでも、同様のことだと思います。何かが起こってから、それを対処するのではなく(後手後手に回るのではなく)、最初から問題行動が起こらないようにこちらから積極的に攻めるのです(先手必勝)。「勉強は楽しい」「学校で遊びたい」という動機を育てるために、子どもに合わせて勉強のレベルを変えてあげて、学校での遊びの活動も積極的に先生が参加して、「楽しい」というように変えるような工夫をしている学校では、問題行動が起こる理由がなくなってくるのです。もちろん大きくなってから先生が一緒に遊んでいる訳にもいかないので、なるべく小さいうちにこういった「攻める」教育の姿勢が必要なのです。
 そう言えば、先日京都の国際学会で奥田先生の発表の英語通訳をさせて頂いたのですが、その時にも会場からこういった質問がありました。「問題行動が起こった時にはどうするのか?」奥田先生の返答は「問題行動を起こさないようにする必要がある」ということでした。質問者は「でも、どうすれば良いの?」と質問を繰り返します。問題行動は、「起こってしまってからどう対処するか?」ではなく、「どうやって次に起こらないように工夫するか?」が一番大切だという部分がなかなか伝わらないことも現状です。「問題を起こさないために、療育でスキルや強化子(好子)の幅を広げる」という作業が大切なのです。

2015年10月29日木曜日

おかしな行動

 11月22日の日曜日に第1回「私もできるABA」の追加公演を行います。興味のある方はご参加ください。(詳しくはwww.kojitakeshima.comまで。)
 うちの教室の近くには、市の運営している公立の療育園があります。ずいぶん前の話しですが、教室を開いてしばらくした時ですから、2年以上前ですかね、一度ご挨拶にだけ伺いました。夕方だったので園長先生はおられなかったのですが、たまたまおられた園長代理の先生に名刺とパンフレットだけ渡して帰りました。ご近所ですから、機会があればコラボなどもできたら嬉しいですよね。先日その療育園に通いながら、うちの教室にも通ってくださっているお子様の保護者の方から、「園の先生方もここの教室のことを知っておられますよ」と報告を受けました。やはり挨拶には言っておくべきですね。
 しかし続きがありました。療育園内は内履きの靴が必要だったようでのですが、私は土足オッケーと勝手に勘違いしてしまったようで、土足でそのままヅカヅカ上がってしまっていたようでした。挨拶をした園長代理からは特にお咎めもなかったので、そんなことがあったことも全然気づかないまま、保護者の方からお話を聞くまで知らずに今まで過ごしておりました。あーあ、やっちゃった。挨拶になんか行かなきゃよかった、やっぱり。園では、「ああ、あのアメリカから来た、土足で上がる先生ね。」と言われていたんでしょうか?少なくとも「土足の先生」という覚え方をされていたでしょう。それにしても、おかしいですね。その時まだちょうどアメリカから帰って来たばかりとはいえ、アメリカでも家では土足で生活してこなかったはずです。私が教えている三重短大などは日本の学校でも土足で大丈夫だし(就学前の園ではなく大学だけれど)、そのせいかな?うーん、どうして気づかなかったんでしょう?感覚のずれとは怖いですね。だいたい園長代理も、言ってくれれば良いのに・・・でも確かに自信満々でニコニコ土足で上がってこられたら、やっぱり言いづらいですかねえ・・。
 自閉症の診断を持つ人たちは、感覚がずれていることもあるというような話を以前にもしましたが、「アメリカ帰りの土足の先生」と、どちらがずれているでしょうね?自閉症の診断の有無にかかわらず、「初めて何かをしようと試みた」人というのは、ちょっとずれた行動をとることが多いようです。例えば、今まで全然話してこなかった子ども、「最近話すようにはなったけれど、言葉にならないようなことを大きな声で話すし、困ったねえ。」と言う心配事はよく聞きます。今まで全然話さなかったのですから、突然言葉になることを期待しても、それは「望みすぎ」かもしれません。その上、音量調節までも突然はできませんよね。言葉にならないことを大きく話すこと自体が悪いのではなく、もっとたくさん話してもらって、徐々に言葉に近づけていったり、その音量調節の適切さを学ぶ必要があるのです。発達に障がいがあると、話し始める瞬間が定型発達の子どもよりもずいぶん遅かったりするために、大きい子が意味のないことを話すと不思議に思われてしまうこともあります。しかし、定型発達の子どもも1歳前後で話し始める時には、いろんな言葉にならないことを話して、毎日練習して徐々に上手になっていくのです。むしろこの時期にたくさん(意味が通じようが通じまいが)話してもらわないと、次の段階に行くスピードも遅くなります。
 同様に、これまで要求をしてこなかった子どもが要求できるようになると、時にその要求が度を越すように感じられる(特に同じものを何度も要求する場合)こともあります。こんなに何度も要求するって、おかしいんじゃないの?でも、定型発達の子どもも、成長過程では同じ絵本を何百回も要求している場合も多いのです。
 また、これは発達の遅れの少ないお子様でも同じことが言えます。例えば、人の後を追いかけるタイプで、逆に自分で判断して、自分で行動することがあまりなかった子が大きくなって、誰の行動も真似ずに、誰の指示も受けずに行動をし始めると、「ええ?この子はこんなにおかしい行動をする子だったかな?」というような行動をとることもあります。自分で考えて行動したことがないからです。だいたい思春期になって始めて、親から指示されていないことを自分からやり始めることが多いように思われますが、これはは必ずしも思春期に限りません。具体的に言えば、親の言う通り大学進学に向けて頑張ってきたけれど、ある時ポッキリ折れるというか、「もう親のいう通りにしない」と決めた子がいるとします。実はこう決めた瞬間、これまで親のいう通りに従ってきて、何も自分では考えて判断しなかった現実に目を向けなければいけません。自分で考えて何かをやったことがないのですから、自分では突然うまく行動できません。こういう場合、「ええ、こんなことをするの?」とか「こんな行動、考えたらおかしいってすぐわかるでしょう?」というような、不可解だったり、不適切だったりする行動が一時的にしても増えることが多いのです。時にはそれでトラブルに巻き込まれたりすることもあるかもしれません。
 しかし、問題はそのおかしな行動をとること自体ではないのです。これまで自分の判断を使って適切な行動をとってこなかったのですから、これから練習する必要があるということです。子どもによっては、自分からやろうという動機が最初からあまりなかった場合も多いでしょう。自閉症児の場合は本当に「やる気」というか、何かをしたい動機があまりない場合が多いです。放っておくと、手をプラプラさせたりといった自己刺激行動ばかりしています。こういう子と色々と遊んであげて「人と遊ぶのは楽しい」という経験をさせていくと、逆にすごく盛り上がって叫びまくることもあります。適切に盛り上がったことがないのですから、仕方ないでしょう。また、親が普段から間違い回避させようとするあまり、間違いする前に「それはこういう風にしなさい」と答えを教えてしまったことで、人から言われないと何をしたら良いのかわからない子どもに育つ場合もあるかもしれません。いずれにせよ、いろいろと間違えさせて、おかしな行動であったとしても自分でやらせてみせて、その自分の行動の結果から自分で行動を変えていくことを学ぶ(間違いから学ぶ)必要があるのです。
 「こんなにずれている」と感じるのは、これまでの経験の積み重なりの違いです。経験を始めるのに、遅すぎることはありません。「おかしい」と指摘・批判するだけではなく、どうやったらその子がその経験から学んでいけるのか考えましょう。

2015年10月8日木曜日

自立

 10月11日の講演会が近づいてきました。楽しみですね。ちなみに、ありがたいことに予想外に申し込みが多くて、申し込みは締め切らせていただきました。ありがとうございます。ということで11月22日にも同様の条件で(同じ場所、同じ時間、同じ講演内容で)再講演を企画しています。もし参加希望の方があれば、メールください。
 ということで、講演で参加者一人一人に渡す様にデータシートやパワポのコピーが入るバインダーを家で用意していました。作業をすすめると家内が赤ちゃんに授乳しながら横から口を挟んできます。「テーブルでやりなよ。床の埃がつくでしょう?」少しムカっとしながらも、仕方なさそうに(嫌そうな顔で)床からマットの上に移動して作業を続けようとするとさらに、「テーブルでやれば良いじゃん。そこだって埃がつくでしょ?」と追いかけてきます。ますますムカっとしながらもテーブルにずれて作業をすると、「ほら、できたバインダーまた床に置いたら一緒でしょう?できたのはそっちの段ボールに入れれば良いでしょ?」とますます追い討ちをかける。いちいちうるさいことこの上なし。あんまり腹が立ってきたので、「床に置いたら、埃がつくでしょ?そんなのありえない!」とかなこの真似をして、言われたことをわざと無視して床の上で作業を続けます。真似されたかなこは、「なんでそんなに感じ悪いの?こういう講演でもらったバインダーに髪とかついてたら、絶対いやだよ。」と攻め続けます。腹たっているこちらもまた真似して、「感じ悪い。髪とかついてたら絶対いや。」とやり返す・・・。どっかで見たことのある光景に思えませんか?
 障がいがある子どもを教えていると、お出かけする時に「こっちきて」「靴履いて」「ジャンパー着て」「まだママが良いって言うまで外でない」「ほら、水筒落とした。拾って。いつも水筒落とすから割れるんでしょ?」とどんどん指示を出してしまいませんか?工作しても、「顔を描くよ。ほら、目。目は丸くして。ぐるぐる。鼻は?あーあ。それじゃあ目みたいになっちゃったじゃない?(子どもが逃げ出そうとして)ええ、もうやりたくないの?」と、指示が増えやすい。親だからしっかりやって欲しい期待もあって、思わず指示の出しすぎや、批判的になりがちです。最近子どもが反抗的になってきた・・・という方、心当たりありません?子どもの障がいの度合いに関わらず(言語の多い少ないにも関わらず)あまり指示を出しすぎると、子どもが自分で何かを考えてやろうとする傾向(自発的な行動)を阻止してしまうことが多いのです。言い換えると、自発的に何かしようとする前に親が「これしなさい」とやることを特定してしまうために、自発的な行動のチャンスがなくなるだけでなく、自発的に行動すると「そうじゃなくって、いつも言ってるでしょ?」のような批判的なコメントが罰となって、結果として自発的な行動が減ってしまうこともあるでしょう。
 障がいがあるとかないとかに関わらず、人間に生まれてきたのですから、自分で決めて、自分で行動して、それで人から評価されて、活躍したいものです。しかしながら、特に障がいがあると、放っておいて自分でできませんよね。指示されないと(時に指示されても)なかなかできないことも多いですよね。この場合、「こうしなさい」とやって欲しいことを特定して言ってしまわずに、なるべく自分からそのやらなければいけないことを見つけ出すような手助けをしたいのです。例えば、外に行こうとするなら、「外に行く時は、ジャンパー着て、鞄持って、靴をはいてから行くよ。」と最初に言っておいて、そして外に出かける時ジャンパーと鞄を玄関近くに用意しておきます。そして、「外行くよ!さっきなんて言われたか覚えてるかな?まずは・・・(できなければ周りを見回すように指差しして)そう、そこにかかっているやつ・・・そうだね。ジャンパー。ジャンパーが着れたら・・・(できなければ周りをいろいろ指差して、たまたま鞄のところに目が行った時に)そう、鞄だね。鞄持ったら・・・靴だ。よくできたから、外に行こうか?」というような丁寧な手助けをしていきます。ここで教えようとしているのは「周りを見回して、何を準備するのか自分で見つけ出す」という準備行動です。周りを見回すのが難しい子は、写真でジャンパーと、鞄と、靴の3つの写真を玄関に用意しておいて、1つずつ指差しながら準備することを教えても良いです。ひらがなが読めれば、ホワイトボードに書いて玄関においておいても良いです。口で準備するものを暗記させても良いです。要は、自分で「何をしたら良いのか?」見つけ出すために必要な準備行動を自分で起こして、言われなくても自分でやることです。
 こういう手間をかけて教えていっている子は、人に「こうしろ」「ああしろ」と言われなくても自分でできるのですから、余計な苛立ちも避けられます。また、次に何をするのか自分で考えるわけですから、そういった適切な行動が出ている分だけ、「突然走り出す」とか「気がそれて遊び出す」といった余分な問題行動が下がります。これは障がいがない子の教育にも共通することだと思います。次に何をしたら良いのか、言われないと動かない子いますよね。「またぼーっとして!」といつも叱られていますが、もしかすると、「鞄持って、靴下履いて。それからジャンパー着て。早くしなさい!」と指示しすぎかもしれませんね。

2015年9月13日日曜日

遊びの場面でのセラピー:自分のペースで・・・

 ご報告ですが、私にも子どもが産まれました。もう少しで2ヶ月になります。最近顔もぷくぷくしてきました。まあ可愛い。赤ちゃん笑う時ありますよね。毎日写真をバチバチ撮ってます。産院で産まれて1時間くらいの時の写真も、額に入れて持って帰ってきたのですが、さすがにげっそりした顔してますね。頭の形も、なんだかピラミッドに描かれてる頭の長い人みたいな形ですごいし。もちろん産む方もそうですが、産まれる方も大仕事なんでしょうね。何時間もかけて一生懸命出てきて、げっそりしたところを、「はい、チーズ」って一生残る写真を撮られる・・・子どもが話せたら、「今さあ、産まれてきたばっかりでしょ?わかる?大変なんだからさ。冗談じゃないよ。もっとましなところを撮ってよ」とでも言いたいんじゃないでしょうか?自分のペース、タイミングってものがあるでしょう?言葉が話せないというのは、自分のやりたいことも表現できないので、中々大変ですよね。
 逆に自分のペースに巻き込むのが上手な子どもっていますよね。遊んでいる時、例えばおままごとでお人形さんに「ズボン履かせてあげようよ。」と話しかけると、「先生お名前は?」とか、全然関係のない(答えを自分が知っている)質問をしてきたり、「あ、あんなところに電車が!」とか、要は相手の質問や指示を自分の質問やコメントで返してしまうことができる子どもです。上手といえば上手なのですが、人からの誘いには全然従わないので、結局遊びの中で色々と教えようとしても教えにくいです。無理に大人が指示を通そうとすると、すぐに遊びに興味を失ったり、もしかしたら泣いたり騒いだりするかもしれません。ですから、特に経験の浅い人だと子どものペースに乗っかってしまって逆に指示に従ってしまいます。また、大人にはその方法で自分のペースに乗せられるのですが、他の子どもは「何それ?」って感じでペースに巻き込まれないので、すれ違いのまま平行線で、結局他の子どもと遊びに発展しなくなってしまいます。
 私の場合、こういった自分のペース型の質問・コメントをする子は、私が最初に出した指示に必ず従わせます。ただし、その子の質問やコメントも無視はしません。例えば、おままごとの人形のズボン履かせようとしても「お名前は何?」などの質問で返す場合、「ええ?ズボン履かせようって言ったじゃん。無視ですか?しかも名前何ですか?って名前もう知ってるし。無視する子は・・・こちょこちょの刑だぞ。(くすぐる。子ども笑う。)はい。じゃあズボン履かせようよ。・・・(子どもやらない)。ええ?また無視?こちょこちょするぞ・・・そうそう。最初っからやれば良いじゃん。(子どもやる、大人手助けする。)やったー!じゃあ、ご褒美にこちょこちょ!(くすぐる。子ども笑う。)あれ?今度はできたのに、こちょこちょの刑になっちゃった?ごめんごめん。」とこちらのペースに乗せます。まとめると、遊びを楽しく保ちながらも(一緒に遊びたいという動機を保ちながらも)、子どものペースではなくこちらのペースに乗せることが必要なのです。
 行動分析的に見ると、何を強化しているのでしょう?自分ペースの質問(「名前何?」)を一見くすぐりで強化してしまっていますよね。でも、子どもにとっての質問することの本当の強化子は、最初出された指示から逃げることなのです(例えば、ズボンを履かせるための微細運動が苦手で、やりたくない)。この本当の強化子を与えなくて、逆に代わりの強化子(くすぐり)に交代させてしまいます。こうすることで、本当の強化(指示から逃げること)が得られない時の消去のバースト(遊びから逃げ出す、泣くなど)を防ぐことができます。そして指示に従ったことを、またくすぐりで強化するのです。ですから、本当の強化子を失った「名前何?」の行動は頻度が下がりますが、完全にはなくなりません(くすぐる強化があるので)。最初から完全にゼロにしたい行動ではないので、それで良いのです。
 これを繰り返すと、遊びの中で指示に従えるようになり(スキルを教えられるようになり)、徐々にスキルが増えてきます。スキルが増えると、レパートリーが増えるので、次に指示を出された時も(できることが増えているので)、それほど従うのが嫌でなくなります(指示から逃げる動機が減る)。ですから、最初から自分ペースの質問をする動機が少なくなってきます。誰でもできないことを指示されるのは嫌ですよね。だから、できないことをできるように変えていく必要があるのですが、そこをいかに上手に、子どもも楽しみながら練習できるように仕向けることが、上手なセラピーになります。

2015年8月16日日曜日

東京での講演:継続的質の改善

 先日高校時代からの友達に会いました。いつものことながらバカバカしい話で笑いすぎて涙を流しました。「やっぱり年取ると涙腺が弱るから・・・」と言うと、「ええ?高校の時からいつも泣いてたじゃん」と返されてしまいました。そんなに泣きキャラだったかしらん?やはり昔の自分に帰って子供のように楽しめる機会も時々は大切ですね。笑って泣いて、原点に戻って新しい気持ちで再スタートが切れますね。
 原点に戻ると言えば、私は訓練を受けたアメリカで10年近く療育をしてきましたが、アメリカだけではなく日本にも行動分析の良さを伝えたいという気持ちで帰国しました。帰国後2年半、正確に言えば2012年の11月に帰国したので、今秋3年の節目を迎えることになります。これを良いきっかけに、2015年10月に東京で講演会をすることに決定しました。私の拠点が名古屋ですので、名古屋までは遠距離で療育を受けていただくことのできない方にも、少しでも行動分析の実践場面での応用方法について知っていただくためにも、東京で行うことにしました。
 内容は家庭や教育現場で簡単に使える行動分析のテクニックです。もしかしたら、内容的には他の先生からの講演会や教科書で似たようなテクニックを紹介されたことがあるかもしれません。今回の私の講演の違う点は、参加者になるべく分かりやすいように、さらに理解を深められるように、実際の療育の場面のビデオをたくさん使用する点です。これまで、「なごや自閉症治療養育相談室」で少しずつ療育の様子をビデオに撮らせてもらっていました。というのも、やはり実際に療育が行われている場面を見ながら、それに丁寧な解説をつけていくことで、教科書等で読んだり口頭で説明を受けたりすることとはまた違った理解が生まれることがあるからです。「ああ、あのテクニックは実際にやるとこういう風な感じなのね。」とか「ああ、今までは一つのやり方しかないと勘違いしていたけれど、こうやってやることもできるのね。」という納得の瞬間が一つでもあれば嬉しいです。講演会に来てくださる方のためにビデオの使用の許可を下さった名古屋の生徒さんの保護者の方々、本当にありがとうございます。感謝です。

 アメリカにはこういう言葉がありあます。「Continuous Quality Improvement」。これは、「継続的質の改善」という意味です。私が皆さんに知ってもらいたいABAというのは、「行動の原理を応用する」というシンプルなところを基礎にします。専門家が正式なやり方で、データもしっかりとって、行動を改善させるということも大切なのですが、「形式はどうであっても良いし、誰でも、いつでも、やれるところからやろう」というところを原点にしたいのです。私に言わせると、良い先生(もしくは良い親)というのは、学校の中で(家庭の中で)知らず知らずのうちに、行動の原理にかなった方法で生徒の(子どもの)行動の改善を行っていると私は考えています。誰でも(勘がよければ上手に)使って良いものなのです。ただ、いろんな人が使うようになれば、「できる!」と感じる場面もあれば、逆にいろんな失敗経験も出てくるわけで、私のような専門の知識を持っている者の話を聞くことで、その失敗をできるだけ成功体験に変えていくきっかけになってもらえたら幸いです。
 さらに言えば、私たちのような専門家であっても、その時の状況の中でベストと予測されるやり方を選択はしますが、それぞれの子どもにの特徴や反応は違うので、必ずしも私のやり方がすぐに成功するとも限りません。それぞれの子どもに合わせていくと言う意味からも、最初から完璧なやり方があるわけではないのです。私たち専門家の責任は、行った介入方法を頻繁に評価していくことで、常に改善させることなのです。徐々に少しでもそれぞれの子どもにあった介入に近づけていくことが、まさに「Continuous Quality Improvement(継続的質の改善)」の精神であり、これが大切だと私は思います。
 完璧を求めずに「とりあえずやってみよう」と使ってみれば良いと思います。まずやってみてから、その次に徐々に目標に近づけて改善していく精神を加えていくと、初めてそれが素晴らしいものに仕上がっていく可能性が出てくるわけです。私の名古屋での療育も、常に「どのやり方がそれぞれの子どもにあっているのだろう?」と模索しながら、徐々に子どもにとって最善なものに近づける努力を常に行っています。こういった継続的改善の姿勢も、ビデオを見てもらうことで感じていただけたらなあと、期待しています。
 今回は第1回ということで、小規模でちょこっとずつ始めさせていきますが、これからちょこちょこと講演会も企画して、私の感じてきた素晴らしいABAを紹介していきますので、時間が合えばぜひいらしてくださいね。

2015年5月7日木曜日

練習の効果:自閉症の子って、放っておくとどうなるの?

 先日家の玄関にの上の方に何か小さなものが付着しているのを見つけました。そう言えば、昼間蜂がその辺に飛んでいたのを思い出しました。アシナガバチだと思います。嫌ですね。もしかしたら巣かも?玄関なので非常に迷惑です。まだ小さいものなので、蜂がいない間なら、大丈夫かも?コワゴワほうきでつつくと、思ったよりも簡単に落ちました。なんだか思ったよりも軽いです。でもよく見ると、明らかに蜂の巣ができ始めるような形をしています。怖い、怖い。まあ、早いうちに撤去できて良かった。一安心していると、4、5日経ったところでしょうか、また同じところに巣の土台ができ始めました。また戻ってきたら、嫌だ。今度は大事をとって、玄関の壁にスプレー型殺虫剤(フマキラーだったかな?)を吹き付けておきました。その後は蜂が来なくなりました。4、5月は巣作りのシーズンということも聞きました。うちは川沿いなので、虫が多いんですよ。アシナガバチは虫を食べる益虫なのでしょうが、私のうちの玄関に巣を作るのはやめていただきたい。そしてある週末の朝、天気の良い日、寝室の窓を開けて見ていると、またアシナガバチが飛んでいます。またいた!もしやこの辺にも巣があるのかも?蜂がいなくなったところでベランダに出ると、どこにも巣は見当たりません。ふと気になって窓枠の下を覗き込むと、なんと作りかけの巣の横に逆さまにとまっている蜂と目が合いました。最悪ですよね。でも、作りかけの時に見つかって良かった。昼間に近づくと怖いので、夜に撤去することにしました。
 夜に懐中電灯を持ってまた覗き込むと、また目が合ってしまいました。いる。でも、蜂がいなくなるまで待てないので、殺虫剤スプレーを使って駆除することにしました。ハエ蚊用でも聞くんでしょうか?近寄るのが怖いので遠くからスプレーをすると、せっかくの毒ガスが風邪で飛び散ってしまいます。それでも何度かしていると、ブーンと蜂が羽の音を立てるようになりました。もしかしたら、巣の中に毒ガスが入らないように羽で風を送っている?効果ありかも。続けると、蜂が出てきて床でもがきはじめました。懐中電灯を置いたところで、見えるところでもがいてくれて良かった。やはり見えない夜に飛ばれると、怖い。でも、殺虫剤って効果あるんですね。追い詰められた蜂に突然襲われると怖いので、ベランダの寝室の前からはちょっと逃げて、もう一つの部屋の前まで行って待機しつつ、何度か戻ってスプレーをかけました。蜂が襲ってきたらどうしよう?ドキドキして逃げて戻ってスプレーしてを繰り返すと、なんだか他にもブーンという音が聞こえます。何のおとだろう?後ろにライトを当てると、自分の逃げていたすぐ後ろ、私の巻きまくったこぼれ殺虫剤で苦しくなった蜂が、なんと2匹も床でのたうちまわっていました。怖い怖い。さらに殺虫剤を散布して弱ったところに、ヨーグルトの空きカップに殺虫剤をしてものをかぶせて、その夜は戸を閉めました。次の朝恐る恐るカップを取ると、見事に3匹は死んでいました。良かった。窓枠のしたを覗き込むと、やはり3つの巣が作られており、もう少しで子供が産めそうなくらい大きくなりかけていました。良かった。怖いですね。放っておいたらきっとプロに頼まなければ撤去できないくらいの巣に育ったことでしょう。
 自閉症の子って、療育をしないで放っておくとどうなるんでしょう?稀にですが、療育をしなくてもかなり成長する子もいます。しかし、私の経験だと、「こだわり」と一般に言われますが、「こうしなければいけない」みたいな勝手なルールができて、それに勝手に縛られてしまう場合が多いです。例えば、「ミニカーを見ると、並べなければいけない」とか、「丸を描き始めると、その隣にも丸を描いて、その上にも丸を描かなければいけない」とか、こういうルールが勝手にできて、そのためにミニカーで普通に遊べなかったり、顔を描かせると目を三つにしてしまったり、ルールによって他の適切な行動が阻害されてしまって学びの機会が失われてしまうことが多いのです。そうすると、失われた学びの機会のために全般の発達が遅れてしまうことも多いのです。
 こういうルールは放っておくと、非常に強く、面倒臭くなる場合が多いです。そうなる前に、私は少しずつでも崩していきます。前に「ちくちくじわじわ」と表現したこともあると思いますが、ミニカーを並べていたらそれを崩したり、他のミニカーを使った遊びを教えたり、丸を3つではなく4つ目を描いてしまったり、3つ目を消したり。嫌がらせをするようにルールを崩し、そして他の楽しいことに目をそらさせるために、どんどん新しい楽しいこと(まあ最初は楽しくないのですが)やらせます。やらせると、最初は嫌がるのですが、そのうち「ああ、それも楽しいのね。車は並べるだけでなく、動かすのも良い。」とルールが新しいものに変わってくる場合が多いです。遊びに限らず、変なこだわりがたくさんある場合が多いので、結局一日中そういったこだわりに気を取られると、妙なところばかりを見てしまい、他の大事な部分にまで目がいかないのです。「見えているようで、見えていない状態」とでも言いましょうか?「こだわりぐらい・・・」と簡単に考えていると、大変なことにもなってしまいます。言い換えると、こだわりを少しずつでも崩さない限り、こだわりによって制限された学習の機会が失われたままで、発達にどんどん遅れが出て行ってしまうことにつながります。子供に勝手にやらせておくのは要注意だと思います。
 しかしこだわりは、利用することもできます。「この課題をやったら、そのこだわりをやって良いよ」という風にすると、こだわりがご褒美になって他の学習を促進させることもできます。また、「きれいに完成させたい」「失敗せずに成功させたい」といったこだわりがあることも多いので、失敗することは絶対にやりたくないけれど、得意分野では非常に何度もやり、部分が非常に伸びることもあります。自閉症の人の中で、突出した能力を持つような人もいます。こういったこだわりが影響しているのでしょうか?自分でも勝手に能力を高めてしまう人がいるくらい、「できる喜び」というのは、非常に強いのでしょうね。療育で教えていくと、できるようになって褒められるとみんな本当に嬉しそうな顔をすることが多いのです。放っておいて勝手に伸びない能力を、人工的にできるように教えてやるのが療育だと思います。何もしなければ難しすぎて失敗に終わること、失敗するので絶対にやりたくないことを、分解して細かく教えてあげることで成功させてあげたり、ちょっとやれただけですごく褒めてあげることで徐々に大きくやれるようになったり、こういった工夫の積み重ねで、得意でないことも少しずつ上手になることができるのです。積み重ねなので、ある時ふと振り返るとやはり練習したことが色々と能力につながっていくことが実感できる時があり、「ああ、やっぱりこんなにできるようになってる」「療育やってて良かった」と思います。
 ちなみに障がいのある子はちょっとの失敗で非常にくじけやすいことが多いのです。心折れるって言うんでしょうかね。できないだけで、一回失敗しただけで泣いて嫌がる子もよく見ます。しかし、「練習して上手になる」「何度もやることで徐々に上手になる」ということを体験として持てると、「失敗しながらも練習する」ということ自体も徐々に嫌いじゃなくなってくることもあります。これは体験するしかありませんので、本当にたくさん褒めてあげて、成功を何度もさせてあげて、「練習すれば上手になる」(どこかのコマーシャルでは、「やればできる子」なんてありますが)という経験をなるべく小さい頃からつけて行きたいですね。

2015年4月29日水曜日

新学期:表情や表現の難しさ

 暑くなりましたね。2週間前には寒くて暖房をつけていたのに、突然冷房が必要なくらいになって、冬から春を吹っ飛ばして夏になった気分です。幸い暑さのせいか花粉症は大したことがなかったのですが、気温の変化に体がついていかないですね。
 うちの教室の子供達も気候の変化に加えて、新たに保育園や療育の場所を始めた子どもが今年は比較的多いので、そういった子は新学期を迎えたストレスで荒れ気味です。新学期、小学生や中学生も大変ですが、保育園や幼稚園に初めて通うようになる子どもも大変ですよね。学校生活ということ自体を知らないまだ3歳とかの子どもに、「保育園に行ったらたくさん子どもがいるんだ」と口で説明しても、その意味はなかなか実感として伝わらないです。その頃を覚えていない私たち大人から、「こういうことが大変だよ。」と、子ども目線で教えてあげることもできないですし、保育園について行って「こういう時は、こうしたら良いよ。」と言ってあげることもできないのですから、多くの問題は子どもが自分で解決するしかありません。20人以上の子どもを一人の先生が見ているような環境で、一人一人のニーズに合わせた教育は難しいのが当然でしょう。今までだったら親が色々と問題を解決する場所に一緒に入られたのに、突然知らない場所で、色々な子どもと一緒に、なんとか生活しなければ行けないのですから、それは大きなストレスがかかるでしょう。
 定型発達をしている子どもでも、大体最初の3ヶ月くらいは大変だということをよく耳にします。朝バスに乗るのを嫌がってお母さんにしがみついて泣き叫ぶのが2ヶ月くらい続いたなんて話もよくあります。自閉症などの障がいを持てば、さらにそのストレスが倍増することもあるかもしれません。というのも、自閉症や他の発達障がいは基本的にコミュニケーションの障がいを含む場合が多いので、自分で言いたいことをうまく伝えられなかったり、周りをしっかりと見ていないので何が起こっているのか理解できなかったり、人から言われたことをすぐに理解できなかったりするのですから、ますます混乱することは避けられないでしょう。しかし、自閉症のお母さん方から、「うちの子ってストレス感じてますかね?(ストレスなんてないんじゃないか?)」と言われることが結構あります。というのも、自閉症では特に、ストレスが表情や行動にうまく出ない場合が多くあり、周囲からすると「いつもと同じ」に見えてしまう場合もよくあるからです。
 例えばよくあるタイプとしては、普段はお母さんがあんなに好きでベタベタしているのに、お母さんが離れたり隠れたりしても「しれー」っとしている場合が結構あります。泣いて嫌がらないのです。そうすると、お母さんとしては楽ではありますが、「この子は私のことを本当に母親として愛しているのか?」とまで疑ってしまう場合もあります。しかし、それは大抵の場合顔や行動に出ないだけの話なのです。ストレスがかかっていないわけでもないので、他に支障が出ます。例えば保育園などでを始めた子で、園では別に特にパニックになることもなく「リラックスしている」「楽しそう」と先生に言われているのに、家に帰ってからちょっと何か気に入らないことがあるだけで泣いて止まらないとか、なんだか元気がないとか、いつもと違う様子が観察されます。
 極端な例では、「泣いたらお母さんがいなくならないかもしれない」、とか、「探したらおお母さんが見つかるかもしれない」、という簡単な原因と結果が理解できない場合もあります。お母さんがあんなに好きで普段ベタベタしているにもかかわらず、お母さんが隠れても探さないのです。いなくなってしばらくすると、泣き出す場合もあります。しかし、泣いていたにも関わらず、お母さんが帰ってきても表情すら変えませんし、泣いて近寄ったりもしません。こういう子は、大好きなオモチャなどでも、うまく探したり、うまく欲しいと体で表現できないので、比較的わかりやすいです。
 どうして嬉しいことや好きなことを「嬉しい」「好き」と表現できないのでしょうね。その理由はわかりません。ただし、療育を続けていくと、そういった表現自体が徐々に上手になる場合が多いです。お母さんや先生を見て嬉しそうにする確率が増えてきます。もちろん直接「笑いなさい」という表現の仕方を訓練をするわけではありません。好きなことを増やして、そして好きなことやものを手に入れるのにはどうしたら良いのか、色々と試行錯誤する傾向を育てるのです。そうすることで、好きなものがないときに自分で何とかしてそれを見つける、問題解決する傾向がつき、それが達成できたときに自然に「嬉しそう」な表情が増える場合が多いと思います。これは私の臨床の経験からの発言なので、科学的根拠は今回はありません。

2015年4月22日水曜日

良し悪しの判断:ルールの価値

 先日近くの銭湯に行ってきました。たまたま車で通りかかり、こんなところに昭和な感じの銭湯があったんですね。「⚪️⚪️温泉」と名前があり、銭湯ではなくもしかしたら本当の温泉なのかな?というところも温泉ファンの心をくすぐる。行ってみました。すごい人数のお年寄りがいました。洗うところがないくらい。しかもみんな洗い場のシャワーのところを席取りしているのかシャンプーなどを置いていて、空いていても何となくそこを使いづらい。突然来た新参者がちょっと入りづらい雰囲気。名古屋は温泉文化があるんでしょうか?こんなに普通の銭湯が混んでいるなんて。しかも年齢層がすごい。みんな70歳くらいでしょうか?せっかく来たのに、みんなあまりリラックせずに結構早く出て行くところも年寄りらしい。それくらいの人に囲まれると、なんだか自分も若返った気持ちになりますよね。そこにいる50台くらいの人も、だんだん「お兄ちゃん」に見えてきた。その「お兄ちゃん」サウナに入っていたんでしょうね。水風呂に入りました。しばらくすると、バシャーン、バシャーンとすごい音を立てて、水の中で体を移動させ、中の水を波立たせて水をこぼしてしまっています。一体何なんだ?びっくりしていると、いなくなりました。実は水中に頭ごと潜っていて、またザバーっと(アデランスのコマーシャルのように)大胆に水しぶきを上げて水から出てきています。私だって(人が見ている前で、しかもあんなに大胆に)お湯に潜ったりしません。やっぱり大人も異様な行動を取るんですよねえ。結局ただの怪しいオヤジですよねえ。「お兄ちゃんだと思ったのに・・・」。
 こういう仕事をしていると、頻繁にお母さんがたから「物事の良し悪しがわかるようになって欲しいんです」ということを相談されます。子どもによっては、人の給食のご飯を取ってしまったり、人を叩いてしまったり、学校から逃げ出してしまったり、きっかけは色々ですが、大体問題行動から始まります。ただ、これは非常に難しい問題です。というのも、「物事の良し悪し」と簡単に言いますが、良し悪しを判断するという行動が取れるには色々なことができなければ行けないからです。まず第一は、それが理解できるか?ということです。りんごがみかんとは違うように、人の食べている物と、自分の食べているものが違うということがわかるか?それから、人の食べている物を取って(盗んで)はいけないというルールが理解できるか?ということです。その次に、ルールが理解できたら、「それを守りたい」という動機があるかということです。さっきの「お兄ちゃん」じゃないですが、「銭湯では潜ったり、水をひっくり返すように大きく動かない」というルールを知らないというよりは、別に守ろうという動機がないのでしょう。交通ルールもそうですが、赤信号で渡ると(車でスピードを出しすぎると)危険に陥る確率が高いということは理解できても、覆面パトカーがいない場所では、ついついスピードを出したりしてしまいますよね。
 自閉症だったりすると、特に普通の価値観が少しずれている場合があります。例えば「人に話しかけられたら、返事をする」という普通の人なら普通にするルールですが、発達障がいがある子どもの多くは、聞こえていても完全に無視することが多いのです。他の子どもが泣いていても、全然知らん顔していることもありますし、他の人が床に寝ていたら、その上を踏んで通り過ぎる場合もあります。彼らにとっては、「どうして反応しなければいけないの?」という感じなのでしょうか?理由については推測するしかありません。人を叩きながら「叩かない!」といつも叱られるセリフを言う子どももいます。人を叩いたら叱られるということは、わかっているのでしょう。動機の問題なのかもしれません。でも、一々誰かが見ていて、問題行動をしないように見張っていることが難しい場合もあります。価値観自体が変わって、「ルールを守りたい」子どもに育ってくれれば、それが一番良いとは思いますが、そんなに簡単でもありません。
 ルールに関してある程度理解のできる子どもには、ルールを使うこと自体の価値を上げることもできます。実は「ルールを使って人の失敗を指摘すること」を教えると、ルールの価値を変えることができるのです。子どもだって大人だって、いつも人から注意される側では嫌ですよね。人に注意される立場ではなく、人にできる立場になると、人より上に立つことができ、ちょっと嬉しいのです。ルールを知っているだけではなく、さらに人を観察して「あ、あいつルール破った!」と指摘できることで、初めて「上から目線」で人に対処できるんです。変な話ですが、人の悪い点を指摘するのは気分良いですよね。人の悪い行動を指摘できるようになると、ルールの価値、人の行動を観察する価値が非常に高まるのです。逆に言えばそれを経験していないと、叱られるだけで本人にとってそれ程の得がないことになるので、ルールって別に対して興味の湧かないことなんです。人を観察することも、価値が高くならないので、人を見ていないのです。だから余計に社交性の発達も遅れていく。ルールを教えたら、わざとこちらが間違えて見せて、指摘させます。指摘できたら「ゴッメーン。間違えちゃった。」と謝って見せるのです。子どもがニヤリとしてきたら、もうけものです。
 

2015年4月15日水曜日

感覚過敏

 先日久しぶりに土曜日が晴れました。桜の時期は雨が何度も降ってすぐに寒くなってしまっていたので、久しぶりの気持ち良い陽気を楽しみに、川原の堤防にピクニックに出かけました。草が刈られて野原になった堤防には、タンポポが咲き乱れ、ベンチに寝転ぶ人もみられます。一角にはたくさんのチューリップが植えられて、とても気持ちよい日です。お弁当のサンドイッチを入れたビニール袋が思わず飛ばされてしまうような強い風の日でしたが、日差しを受けながらのお弁当は良いですね。今日はなんだか鼻水が出ます。私は花粉症にはなったことがないので、風邪を引いたものがまたぶり返したかな、と考えていました。マスクとポケットティッシュを余分に持ってそのまま買い物に出かけましたが、鼻水がどんどん出てきます。ティッシュが追いつかなくて、マスクの内側にまで鼻水がつき、なんとも醜い状況になってきました。やだなあ、と考えつつも地下鉄の駅を上がると今度はクシャミが何度も出ます。「もしかすると、これが花粉症か」と気づいた頃には、結局ポケットティッシュを2パック使い、外に出るとクシャミや咳が止まらない状態になり、頭痛までしてきました。「花粉症は、コップに水を注いで溢れ出てくるように、或る日突然なる」ということを聞いたことがありましたが、突然とはこれくらい突然なんですね。その日はクシャミと咳と鼻水でグッタリでした。花粉症の症状がこんなに辛いなんて、これからどうやって生きていけば良いんでしょう?薬は?専用マスクは?家内に聞くと、「別に慣れるよ。」という気のない返事でした。とほほ。次の日は絶対外に出ないぞと意気込んでいましたが、結局次の日からまた雨に戻り温度も下がり、花粉が飛ばなかったせいか、特に鼻水の出ない普通の1日に戻りました。もう二度と川原にピクニックに行きません。外にランニングもだめかなあ、ああ、ただでさえ人混みが苦手だったり、出不精だったりするのに、また行けない場所が増えてしまった。
 アレルギーといえば、自閉症の子どもは感覚が過敏な子供が多いですよね。手にノリがついたり絵の具がついたりすることが嫌で工作がなかなかできない子どもや、手に水がつくのが嫌で手が洗えない子どもや、頭に水がつくのが嫌でシャワーが浴びられない子ども、大した音もないのに突然耳に手をあてて覆い隠す子ども、顔や頭に何かがくっつくのが嫌で被り物が全然できない子どもなど、いろんな種類がいます。この子達はいろんな理由があって、普通の人にとっては何でもないことが非常に嫌だったりして、適応できないんだなあとつくづく思います。感覚過敏といえばアメリカでは作業療法士さんが感覚統合というような療法を行うことがよくあるのですが、当たり前ですが魔法の杖というわけではないので、やったからといって過敏さが極端に変わるというものでもない印象です。(あくまで専門家でない人の印象ですが。)もっと研究が進んで、彼らの生活が改善されると良いですね。
 行動分析的には、「過敏さが原因となって生活を制限してしまうことがないように、なんとか頑張ってもらう。」ということですかね。例えば、手洗いを極端に拒否する場合、もちろんウェットティッシュを使って手を綺麗にするということも可能ですが、手が洗えないのでは衛生上良くありません。ということで、特に小さい子どもの場合はまず泣いても嫌がっても無理に手を洗わせてしまいます(体力的に無理にやらせることも可能なので)。ひどい話ですね。泣きわめく子どもに手を無理やり洗わせたことも何度もあります。何回かやらせると、「この人には逆らえない」という感じで諦めて抵抗しなくなります。ますますひどい話ですね。でも面白いところは、嫌でもやらせていくと、別に気にならなくなってしまう場合が結構多くあることです。どういうことかと言うと、今まであんなに泣きわめいて嫌がっていたのに、「おやつだよ」と言うとニコニコしながら自分で手を洗いに行くようになってしまう場合があるのです。「あんなに泣いていたのはなんだったのか?」と真剣に疑問符を投げかけてしまいたくなります。もちろん全員がそうではありませんが、そういう子どもも少なくはないのです。
 もしかすると、「感覚過敏」と勝手にこちらが勘違いしていただけなのかもしれません。というのも、「どうして感覚過敏なだとわかるのか?」と考えると、大抵自閉症で幼い子どもの場合は言葉を持たない場合が多いので、「その子が逃げるから、もしかしたら過敏なのかなと勝手にこちらが推測した」以外の理由がないからです。表現力が豊かで、「水が触ると針が刺すように痛いんだ」なんて言ってくれれば、こちらもそれに合わせて対処できますが、言えない子どもの場合は推測するしかないので、勝手な推測から「感覚過敏」を作り上げてしまう場合も、もしかしたら多いと思います。
 もちろん無理にやらせるだけでなく、可能な場合には、なるべくストレスがかからないやり方をすることが望ましいでしょう。例えば、手に何かつくのが嫌で、ノリや絵の具が使えない子どもには、近くにフキンを置いておいて、「汚れたらすぐに拭くからね。」と説明しておきます。実際には最初はやや無理にやらせるのですが、汚れたらすぐに拭いてあげると、それほど嫌がらない場合も多くあります。結局これで工作の経験が楽しくなれば、徐々にこの子の生活も広がっていく可能性がありますよね。彼らのこれか可能性が増えることが大切
 手を洗うのを拒否する場合、もしかしたらすごく過敏で痛いぐらいの感覚があるのかもしれないし、もしかしたら、「別に手を洗うのが面倒臭い」だけかもしれません。本当の理由がわからない以上、それを何とかして探りあてることも必要になるかもしれません。手洗いは衛生上大切なので、私の場合とりあえず、「何日間か手を洗わせてみて、それでもずっと泣きわめくのであれば、他の方法を考える」というような、「やっつけ」な感じで進めます。そしてあまりに拒否が続くのであれば、「じゃあ、水の温度を変えてあげれば良いのではないか?」「流れる水ではなく、洗面器の水なら良いのではないか?」「水ではなく、石鹸の匂いが実は嫌なのではないか?」などいろいろな可能性を考えて、その子にとっての過敏さをピンポイントできるように考えながら、一番ストレスがない形を模索しながら、なるべく頑張って手を洗わせます。