社交性スキル:子ども同士のコミュニケーション

 私は名古屋隣にある清須市という所に古民家を借りて教室に使っているのですが、そこは昔の美濃路という街道で町並みも古く、良い感じで気に入っています。名古屋駅から6−7分で電車に乗ればついてしまうのにコンビニもなく、逆に昔からの和菓子屋さんなどの個人商店がぽつぽつと見られます。近所の酒屋も例に洩れず、古くからある個人商店のようで、店番のお婆ちゃんも年期が入っています。教室にお客様が来る時にそこの酒屋でペットボトルのお茶を買いました。領収書を頼んだところ、領収書の宛名をさしてお婆ちゃんがこう言いました。「きゃーとーてちょーでゃー。」私の頭の中では「?」が飛んでいました。「きゃーとーてちょーでゃー」とは、一体何?名古屋生まれの私でもさすがに3秒くらいかかりましたかね、これを翻訳することができました。「(値段は書いたけれど、宛名の部分は空欄にしておくのでご自分で)書いといてちょうだい。」という意味でした。分かった時は、「よっしゃー!」と何か事件を解決した気分でテンションが上がりましたね。そんな名古屋弁で話す人には会った事がありません。というか、名古屋で生まれ育った人でも意味が分からないような名古屋弁が存在することは驚きでした。コミュニケーションとは、面白いものです。
 自閉症の子どもには、大人には色々と要求をしたり返事をしたりもするのに、子ども相手には話しかけることもなく、話しかけてもしれーっと無視することが多いのです。子ども同士で話すようになって欲しいとは思うのですが、これはかなりの難題であることも多いです。あるお母さんから、「(自閉症児が自分の)弟の持っている物が欲しい時に、かして、って言えるのだけれど、ダメと返答されると、かして!って強く言いながら奪い取る。もしかしたら、幼稚園でも同じ様に人から奪っているかもしれない。どうしたら良いんですか?」と相談を受けました。子ども相手では、「かして」とお願いしたからと言って、もらえるとは限らないんです。「かして」という要求自体が消去されてしまう(言ってももらえないから、言わなくなる)ケースもかなり多く、こういう経験を通して自閉症児は、子ども相手には要求しなくなるんでしょうね。
  上手でないソーシャルトレーニングを受けると、何でも単純にパターン化してしまいます。例えば、「断られたら、一分程待ってから、もう一回聞けば良い。」ということを教えたりするかもしれません。「一般的にどういった事が良いとされるか?」と考えれば特に間違いではない解決策なのですが、「こうすれば良い」という一つの答えのみにパターン化してしまうと問題が出て来ます。例えば、一分待って再度聞いても「ダメ」と言われてしまう場合もあるじゃないですか。さらに一分待ってもう一度聞いたら、「ダメだよ!あっちで遊んでよ。」と突き放されるかもしれません。この場合、一度待って聞くという解決策では太刀打ちできません。さらに言えば、子どもって今使ってないオモチャでも、「かして」と聞かれると急に価値が高くなって、「ダメ」って答えてそれで遊び出す場合もよくあります。この場合使っていないところを見計らって、しれーっと取ってしまう方が得策かもしれません。「かして」とワンパターンで要求することを教えた事自体が失敗につながってしまうこともあるということです。健常発達の子どもを見ていると、必ずしも毎回「かして」と聞いてはいないことに気づくはずです。状況や相手に合わせて対応を変えるのが、本来教えるべき「社交性」なので、ワンパターンに解決できないのが社交性を教える際の難しい所です。
 「相手の反応を見ながら」「状況を見ながら」と言うのは、人と一緒に遊んだり、やり取りをしたりする中で、「こういう状況では、こうする」「ああいう状況では、こうする」という色々なことを経験して初めて学べる事です。セラピーの中で、一週間に一度2時間練習した程度では、「状況を見ながら」ということはまず無理でしょう。健常の子どもって、人のする事を色々見ているだけではなく、「座ってよ」「こっち来てよ」「見てみて」等、四六時中人に要求しています。こうやって、健常発達の子どもは、普段から子どもが人をよく観察して、さらに色々試して相手の反応をみることで、起きている時間ずっとこの社交性を学んでいるのです。この「人を見る」「人がどういう反応をするのか、試してみる」ということをするには、まず、「人と一緒に遊びたい」「相手を上手く動かしたい」という動機が必要です。ですから、私はまず「遊び」「活動」を中心にセラピーをしていきます。「人を見たい」「人と一緒に遊びたい」と思わせるには、「一緒にやるから(一人よりも)、楽しい」という経験を積ませること以外にないからです。「オモチャ(物)が欲しい」という欲求ではなく、「(人に)○○して欲しい」という欲求・動機が大切なのです。色々と人を動かす要求が出る様になって初めて、それをうまく適切な形に矯正していくことができます。
 上手く「相手を動かしたい」という要求を出すには、子どもの言語や知的能力のレベルにもよりますが、ルールのあるゲームがまずは良いでしょう。ゲームが「楽しい」という経験から、「遊ぼう」という要求が現れます(「遊びたい」という欲求)。その中で、相手をちゃんとルール通りに動かそうとか、相手を笑わそうという欲求が出て来ます。おままごとや怪獣のオモチャで対決させる等の創造的遊びも非常に重要になってきます。楽しい遊びをするために、自分の思い描く世界を人形などで再現するために、色々と役割を分担し合う様になると、自然に「相手にこう動いて欲しい」という欲求が出て来てきます。ですから、準備性がそろった子どもには、そういう遊びを積極的にやらせていきます。これは、教えるということだけではなく、それが楽しい(もっとやりたい)という経験を積ませることです。ですから、子どものやりたいようにオモチャで遊ばせるだけではなく、こちら側が少しだけ押してみます。アンパンマンが好きなら(でも並べているだけなら)、「ほら、ウサギちゃんバイキンマンにいじめられて泣いてる。アンパンマンが空飛んで、助けに行ってよ。」等と、新しい事をチャレンジさせます。「アンパーンチ」とかできれば、「はーひふーへほー」と言いながらバイキンマンをふっとばしてあげます。これが「面白い」となれば、「バイキンマンやって」という要求につながりますが、このチャレンジが難しすぎる場合は、子どもは嫌がって次にやりたくなくなります。こうやって、少しずつ試しながら遊んで行くのです。
 私の言っている事は、やや無茶なことかもしれません。でも、本当の「変化」を望むのであれば、小手先だけのパターン化を教えるのではなく、実際に色々と観察して状況に合わせて行動する子どもを教えることが必要ではないでしょうか?

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