2014年8月19日火曜日

会話のスキル

 先日久しぶりに献血をして来ました。私献血好きなんです、と言ってもやはり年に何度も行けませんね。やはりそれなりに時間に余裕がないとできない。体力的にもある程度余裕がないと行けない。言って気づきました。あまり余裕のない生活を送っていたんですね・・・とほほ。この余裕を感じにいっているのかもしれない。でも献血すると何となく人のためになった気がしません?特に夏休みなんかは事故等が多いから、絶対血が足らなくて困っている人がいるはずです。しかも献血ルームって奇麗な所ありますよね。色々ただでジュースとかもらえるし。高校生のときは、「ただ」のお菓子やジュースをもらいに友達と献血に行っていました。行くたびに色んな新しいシステムが導入されていて、感心します。今回は、席の準備ができるとピーピーって機械がなって知らせるというシステムが導入されていました。レストランの席待ちみたいな感じですね。こういう色々なシステムがあるのは良いのですが、ベルトコンベアー式で色々な検査を通り抜けるので、次の人に会うたびに「名前、生年月日、血液型」と聞かれるのはイヤですね。まあ血液に間違いがあっては行けないので当たり前なのですが、やはり大きな声で生年月日を言う、しかも繰り返すのが嫌な年齢になりましたね。 やだやだ。
 繰り返すと言えば、自閉傾向がありながらも言葉をよく話すようになった子どもで、よく言われることなのですが、「同じことを何度も繰り返してしまう。その場にそぐわなくても、言ってしまう。」ということです。これは、非常に複雑な問題だと思いますが、今回は果敢にチャレンジしてみます。 これは、会話の技術という事以上にまず、会話の動機が絡んで来るからだと思います。会話をするということは、以下の二つの動機が必要だと思います。
動機1:相手(聞き手)の注意を引きたい。
動機2:話したい内容がある(共有したい経験、思い出したい経験がある)。
 「同じ事を繰り返してしまう」というのは、もしかしたら、相手の注意を引きたいと言う動機1はあっても、話す内容がないという動機の2が不十分である(話す内容が一つしか思いつかない)のかもしれません。逆に話したい内容があっても、相手の注意を引きたい動機がなければ、会話ではなく独り言を繰り返すことになるかもしれません。やはり、どちらが欠けていてもだめなのでしょう。動機が絡んでいると、ただ「教える」だけではダメなのです。いくら奇麗に話す言語能力を教えたとしても、相手の注意を引きたくないのであれば、人には話さないでしょう?話したい内容がなければ、話せないでしょう?逆に言えば、こういった2つの動機が両方あって、下手でもどんどん話して行くうちにそれが練習となって勝手に(こちらが教えなくても)言語能力を向上させていくのかもしれません。 動機を変えるのは教えるよりも難しいです。
 まずは、「人の注意を引きたい」という動機。これは、まずかなりに幼いうちから、人好きにさせていくしなないのです。色んな楽しい人とのやり取りを経験する(人とのやり取りが楽しい)ことで初めて、人は、人とのやり取りをもっとやりたくなります。人が振り向いて、人がこっちに話しかけてくれると楽しいから、もっと人の気を引きたい。これが、人の注意を引きたいという動機であるはずです。ですから、私はお勉強だけでなく、「人とのやり取り」を中心としたセラピーを心がけていますが、簡単ではありません。というのも、やり取りが楽しくないから、私の所に来る事が多いのです。最初は持ち上げたり、くすぐったり、体で遊ぶことをやっていきます。それ以外にも、「繰り返し」を使う事が多いです。自閉症の子は何かを繰り返すことが好きな場合が多いので、私はこれを大いに利用します。というのも、何度も繰り返す事で、これまで好きでなかったことが好きになるのです。例えば本読み。私の所に来る生徒さんの場合、本を読んでもらう事が最初から好きな子は、ほとんどいません。それでも、何度も繰り返すと、ほぼ全員好きになり、必死に絵本を見る様になります。何故だかは分かりませんが、やはり繰り返しが好きなのでしょう。新しい本を出すと、一様に皆そっぽを向きます。新しいので(繰り返されてないので)、読みたくないのです。でも、それも繰り返して行くと、好きになって見入ってくるのです。不思議です。他にも徐々に色んな活動ややり取りを繰り返して、彼らの「好き」なやり取りを増やすのです。
 次は、「話したい内容がある」です。これは、上記のような楽しいやり取りをまず増やして行くことが必要です。その次に、過去のことを話す練習をしていきます。過去のことを話すことで、過去にした楽しい思い出がよみがえり、楽しいという経験をさせることが必要になります。こうすることで、話したいという動機を増やすのです。言葉が話せるようになると、教室の終わりのおやつの時間に、おやつをご褒美に色んな質問をします。「今日何やった?」「本は何読んだ?」「今日お絵描きは何描いた?」こういった質問に答えられるようになることは、過去の事を話す始めの一歩となるでしょう。プロンプトとして、携帯電話(スマホ)の写真をお勧めします。色んな楽しいことを経験するときは、それを一つ一つ写真に撮って行くと良いのです。そうすることで、後で見ながら話をすることができます。「一緒に楽しいことを思い出すこと」が楽しいという経験があって初めて、「次にもお母さんと楽しい事を話したい」という動機が生まれるのです。私たちも、楽しい事があると、それをどうやって話そうか、考えません?究極には、お笑い芸人の方の「ネタ」ということです。人を楽しませるために、一緒に楽しむために、経験した事を話にまとめたいという動機がある人程、話し上手になっていくのです。
 ここで難しいのは、自閉症の子は繰り返しが好きということです。何度も同じ事を言いたいという動機が始めからある場合が多いのです。その動機に打ち勝つだけ、「新しい事も楽しい」「新しい方が楽しい」という経験を積ませなければ行けないのです。難しいでしょう?でも、時間をかけると徐々に変って行きます。時間をかける価値があることだと思います。一緒に楽しい経験を積むだけなのですから。

2014年8月12日火曜日

問題行動(癇癪):要求が通ることとの反比例

 教室の時間の合間におやつ代わりにゆで卵を食べようと思いました。冷蔵庫に入っていたから、やっぱりちょっと暖めようかな。電子レンジでゆで卵を暖めると、爆発するって聞いたことあります?怖いですよね。でも、ちょっとだけなら大丈夫かな。少しだけ暖めて・・・、ほら、やっぱりちょっとなら爆発しなかった。レンジを開けて手に取ると、お、ちゃんと暖まってる。いっただきまーす。ばん!風船が割れるくらいの音がしましたかね。何が起こったの?手のひらにあるはずの卵は跡形もなく、卵の細かな残骸が床や壁に散らばっています。しかも卵の飛び散り方が半端じゃなくって、まさに爆発。部屋中にゆで卵の小片がばらまかれました。後から見ると部屋の反対側の壁にまでゆで卵の破片がついています。鏡を見ると髪の毛や服にも一杯ついてる。もしかすると、ちょっと目に入ったかもしれない。こんなことで失明しなくて良かった。ああ、生徒来るから片付けなきゃ。しかもぞうきんで床を拭くと、黄身が床のフローリングの板の隙間に入る!ああ、そんな所は・・・。あとで臭くなったら絶対やだ。せっかくの短い休憩時間、エネルギーチャージしてゆったりする予定だったのに、これでその時間も掃除に終わる・・・。とほほ。しかしこの歳になってこんなにビックリすることあるか?というぐらい驚きましたよ。本当に漫画みたいなことってあるんですね。
 爆発と言えば(相変わらずなんでも自閉症につなげる)よく癇癪起こす子っていますよね。それから小さなことでもすぐに、「うきー!」ってなってしまう子。例えばオモチャで遊んでた所に、お父さんがアイスクリームを買って帰ってきて、見た瞬間それに向かって走って行って、手を伸ばすとするじゃないですか。オモチャ持ったままの手でアイス食べようとしてアイスを落としちゃかわいそうなので、「ちょっと、オモチャもったままの手で。」と言うと、「うきー!」と床にひっくり返る。食べるなって言われた訳でもないのに、この反応は一体何だ。お前は猿か?せっかく好きだと思って、楽しい経験を多い浮かべて買って来たアイスクリームなのに、一気にこれで30分も泣き通す。こんなことって、結構ありますよ。
 こういうように、一触即発ですぐに癇癪を起こす子や、物を投げる子、「イヤ!」等と叫ぶ子というのは、思い通りに事が運ばない、自分のやりたいことが言えてない、言わば「食べたい物が食べられずに(やりたいことがやれずに)飢えている」という状態にあることが多いと思うんです。ABAでは機能分析といって、何故そうやった癇癪やら他の問題行動が起こっているのか(何に飢えているのか)を発見し、その理由をなくす(飢餓状態を満たす)方法をとります。しかし、子どものこういう悩みを持たれる家庭の中には、ご両親の話を聞くと「甘やかしたくないから」「いつも欲しい物が手に入るという訳ではないから」「我慢を教えたいから」という理由で、意図せずに本人の飢餓状態を高めてしまう悪循環に陥ってしまっている場合があります。例えば本人が「欲しい」と言っていると、「食べたばかりでしょ」とお母さんは与えない(我慢させる)。これを繰り返して行くと、そのうちに食べ物を見てお母さんが近くにいるだけで、「うきー!」となる訳です。飢えている人に下手に近づくと、襲われて怪我するかもしれません。
  じゃあ、いつまでも甘やかして、「欲しい!」と言うたびにすべてを与えれば良いのでしょうか?そうとも限りません。「飢餓状態をいかに作らないか?」を考える必要があるのです。もしお菓子が欲しくて「うきー」となっているのであれば、まずしばらくは欲しいだけ与えます。要は、ちゃんと要求すれば、そんなに焦って癇癪を起こさなくても、欲しい物は手に入るよ、というメッセージを与える事です。そしてある程度満足して飢餓状態から脱出した時に(問題行動が減った時に)、徐々に「欲しい?じゃあ、この課題をしたら、あげるね。」等と、何かをやらせるようにしたり、「一日5つだけね。今日はもう3つ食べたね。あと2個だね。」と徐々に数を制限したりします。満足さえしていれば、毎回もらえなくても、焦って「うきー」とならずに済む訳です。
 逆に言うと、どうやったら飢餓状態を作り出せるのでしょう?いつもらえるのか予想がつかない様にするんです。「時々もらえるけれど、いつもらえるかはわからない。」これがギャンブルと同じことで、どんどん飢餓状態が高まり、止められなくなってしまいます。
 お勉強がしたくなくて、勉強の「臭い」がしただけでも逃げる子どもがいると思います。いやでいやで、しょうがないんですね。「でも勉強はしなければ行けないでしょう?」と言われる方もいますが、まずは勉強がそんなに嫌でない状態にしなければいけません。問題行動がひどい場合は、まずは一切勉強(っぽい活動)を止める他ありません。一切やめて、問題行動がなくなってから、徐々に簡単な課題を(勉強っぽくない形で)やって行くことが良いでしょう。ゆっくり進めば、勉強がそれ程嫌じゃなくなるはずです。
 「ABAをやる」というと、問題行動があっても「無視してやらせる」という印象を持っている人がいます。確かに本人が嫌がっても、それを無視してやらせる場合もありますが、こういった手法は、本人の状態を考慮した上で選びます。誰でも、いつでもやらせれば良いというものではありません。「無視する」の勘違いは、テレビなんかの影響ですかね。確かにテレビ番組を見ると、そういうように映ってしまうこともありますが、決して「無視すればよい」と誰にでもやっている訳ではありませんし、それが逆効果になる場合もありますので、注意して下さい。

2014年8月11日月曜日

社交性スキル:子ども同士のコミュニケーション

 私は名古屋隣にある清須市という所に古民家を借りて教室に使っているのですが、そこは昔の美濃路という街道で町並みも古く、良い感じで気に入っています。名古屋駅から6−7分で電車に乗ればついてしまうのにコンビニもなく、逆に昔からの和菓子屋さんなどの個人商店がぽつぽつと見られます。近所の酒屋も例に洩れず、古くからある個人商店のようで、店番のお婆ちゃんも年期が入っています。教室にお客様が来る時にそこの酒屋でペットボトルのお茶を買いました。領収書を頼んだところ、領収書の宛名をさしてお婆ちゃんがこう言いました。「きゃーとーてちょーでゃー。」私の頭の中では「?」が飛んでいました。「きゃーとーてちょーでゃー」とは、一体何?名古屋生まれの私でもさすがに3秒くらいかかりましたかね、これを翻訳することができました。「(値段は書いたけれど、宛名の部分は空欄にしておくのでご自分で)書いといてちょうだい。」という意味でした。分かった時は、「よっしゃー!」と何か事件を解決した気分でテンションが上がりましたね。そんな名古屋弁で話す人には会った事がありません。というか、名古屋で生まれ育った人でも意味が分からないような名古屋弁が存在することは驚きでした。コミュニケーションとは、面白いものです。
 自閉症の子どもには、大人には色々と要求をしたり返事をしたりもするのに、子ども相手には話しかけることもなく、話しかけてもしれーっと無視することが多いのです。子ども同士で話すようになって欲しいとは思うのですが、これはかなりの難題であることも多いです。あるお母さんから、「(自閉症児が自分の)弟の持っている物が欲しい時に、かして、って言えるのだけれど、ダメと返答されると、かして!って強く言いながら奪い取る。もしかしたら、幼稚園でも同じ様に人から奪っているかもしれない。どうしたら良いんですか?」と相談を受けました。子ども相手では、「かして」とお願いしたからと言って、もらえるとは限らないんです。「かして」という要求自体が消去されてしまう(言ってももらえないから、言わなくなる)ケースもかなり多く、こういう経験を通して自閉症児は、子ども相手には要求しなくなるんでしょうね。
  上手でないソーシャルトレーニングを受けると、何でも単純にパターン化してしまいます。例えば、「断られたら、一分程待ってから、もう一回聞けば良い。」ということを教えたりするかもしれません。「一般的にどういった事が良いとされるか?」と考えれば特に間違いではない解決策なのですが、「こうすれば良い」という一つの答えのみにパターン化してしまうと問題が出て来ます。例えば、一分待って再度聞いても「ダメ」と言われてしまう場合もあるじゃないですか。さらに一分待ってもう一度聞いたら、「ダメだよ!あっちで遊んでよ。」と突き放されるかもしれません。この場合、一度待って聞くという解決策では太刀打ちできません。さらに言えば、子どもって今使ってないオモチャでも、「かして」と聞かれると急に価値が高くなって、「ダメ」って答えてそれで遊び出す場合もよくあります。この場合使っていないところを見計らって、しれーっと取ってしまう方が得策かもしれません。「かして」とワンパターンで要求することを教えた事自体が失敗につながってしまうこともあるということです。健常発達の子どもを見ていると、必ずしも毎回「かして」と聞いてはいないことに気づくはずです。状況や相手に合わせて対応を変えるのが、本来教えるべき「社交性」なので、ワンパターンに解決できないのが社交性を教える際の難しい所です。
 「相手の反応を見ながら」「状況を見ながら」と言うのは、人と一緒に遊んだり、やり取りをしたりする中で、「こういう状況では、こうする」「ああいう状況では、こうする」という色々なことを経験して初めて学べる事です。セラピーの中で、一週間に一度2時間練習した程度では、「状況を見ながら」ということはまず無理でしょう。健常の子どもって、人のする事を色々見ているだけではなく、「座ってよ」「こっち来てよ」「見てみて」等、四六時中人に要求しています。こうやって、健常発達の子どもは、普段から子どもが人をよく観察して、さらに色々試して相手の反応をみることで、起きている時間ずっとこの社交性を学んでいるのです。この「人を見る」「人がどういう反応をするのか、試してみる」ということをするには、まず、「人と一緒に遊びたい」「相手を上手く動かしたい」という動機が必要です。ですから、私はまず「遊び」「活動」を中心にセラピーをしていきます。「人を見たい」「人と一緒に遊びたい」と思わせるには、「一緒にやるから(一人よりも)、楽しい」という経験を積ませること以外にないからです。「オモチャ(物)が欲しい」という欲求ではなく、「(人に)○○して欲しい」という欲求・動機が大切なのです。色々と人を動かす要求が出る様になって初めて、それをうまく適切な形に矯正していくことができます。
 上手く「相手を動かしたい」という要求を出すには、子どもの言語や知的能力のレベルにもよりますが、ルールのあるゲームがまずは良いでしょう。ゲームが「楽しい」という経験から、「遊ぼう」という要求が現れます(「遊びたい」という欲求)。その中で、相手をちゃんとルール通りに動かそうとか、相手を笑わそうという欲求が出て来ます。おままごとや怪獣のオモチャで対決させる等の創造的遊びも非常に重要になってきます。楽しい遊びをするために、自分の思い描く世界を人形などで再現するために、色々と役割を分担し合う様になると、自然に「相手にこう動いて欲しい」という欲求が出て来てきます。ですから、準備性がそろった子どもには、そういう遊びを積極的にやらせていきます。これは、教えるということだけではなく、それが楽しい(もっとやりたい)という経験を積ませることです。ですから、子どものやりたいようにオモチャで遊ばせるだけではなく、こちら側が少しだけ押してみます。アンパンマンが好きなら(でも並べているだけなら)、「ほら、ウサギちゃんバイキンマンにいじめられて泣いてる。アンパンマンが空飛んで、助けに行ってよ。」等と、新しい事をチャレンジさせます。「アンパーンチ」とかできれば、「はーひふーへほー」と言いながらバイキンマンをふっとばしてあげます。これが「面白い」となれば、「バイキンマンやって」という要求につながりますが、このチャレンジが難しすぎる場合は、子どもは嫌がって次にやりたくなくなります。こうやって、少しずつ試しながら遊んで行くのです。
 私の言っている事は、やや無茶なことかもしれません。でも、本当の「変化」を望むのであれば、小手先だけのパターン化を教えるのではなく、実際に色々と観察して状況に合わせて行動する子どもを教えることが必要ではないでしょうか?