2014年10月10日金曜日

自閉症の治療薬

 NHKのニュースで、「自閉症の初めての治療薬となるか」臨床試験が行われる事になったと報告されていました。今回報告された薬は「オキシトシン」と呼ばれるホルモンを鼻にスプレーして投薬するというもので、効果としては「顔の表情などから他人の気持ちを読み取るテストで効果があった」というコミュニケーション能力の改善ということだそうです。
  自閉症の治療薬ができると良いですね。私は実際に研究の結果を読んでないので詳しい所はわかりませんが、上記のニュース情報だと残念ながら「自閉症を治す」というよりも、「自閉症の症状を改善する」という印象ですね。本当の所はどうなんでしょう?結果も含めて、女性の母乳を分泌するのに使われるホルモンがどうして自閉症の治療薬になるのか等、もっと詳しい情報が出ると良いですね。
  ニュースによる自閉症の取り上げられ方というのは難しいですよね。今回も、「自閉症の患者は国内で120万人にのぼるが、根本的な治療法はない。研究グループは再来年までに結果をまとめ・・・」とありましたが、このニュースの流れを聞くと、「自閉症には何もすることができない。この薬が根本的な治療法になる可能性がある。」というようにも聞こえなくもないので、本当に止めて頂きたい。
 この薬の効果は別として、療育による効果は研究によってずいぶん前から明らかになっていることです。「コミュニケーション力を改善させる」治療教育の効果的な方法は、現在もどんどん研究として出されています。それどころか、早期に療育を始めた場合にはIQが20とか上がる場合もあるということまで研究で出ているのに、「根本的な治療はない」で済まされて良いとは思えないからです。
 なぜ、療育の効果は報告されないんでしょうか?ABAの研究方法が他の分野と違う場合が多い、ということもあるでしょう。また、医学会が、心理・教育会よりも資金力も政治力も断然に大きいことも、もしかしたらニュースに与える影響の違いに出ているかもしれません(ABAは心理・教育の中でも異端児扱いされることもあるそうですからね)。日本に専門家が非常に少ないことも、影響しているでしょう。皆様に良さが知ってもらえるような上手いコミュニケーション力、分野を超えた臨床家同士の横の連携力なども含め、私たち専門家が改善していくことも必要かもしれませんね。

2014年8月19日火曜日

会話のスキル

 先日久しぶりに献血をして来ました。私献血好きなんです、と言ってもやはり年に何度も行けませんね。やはりそれなりに時間に余裕がないとできない。体力的にもある程度余裕がないと行けない。言って気づきました。あまり余裕のない生活を送っていたんですね・・・とほほ。この余裕を感じにいっているのかもしれない。でも献血すると何となく人のためになった気がしません?特に夏休みなんかは事故等が多いから、絶対血が足らなくて困っている人がいるはずです。しかも献血ルームって奇麗な所ありますよね。色々ただでジュースとかもらえるし。高校生のときは、「ただ」のお菓子やジュースをもらいに友達と献血に行っていました。行くたびに色んな新しいシステムが導入されていて、感心します。今回は、席の準備ができるとピーピーって機械がなって知らせるというシステムが導入されていました。レストランの席待ちみたいな感じですね。こういう色々なシステムがあるのは良いのですが、ベルトコンベアー式で色々な検査を通り抜けるので、次の人に会うたびに「名前、生年月日、血液型」と聞かれるのはイヤですね。まあ血液に間違いがあっては行けないので当たり前なのですが、やはり大きな声で生年月日を言う、しかも繰り返すのが嫌な年齢になりましたね。 やだやだ。
 繰り返すと言えば、自閉傾向がありながらも言葉をよく話すようになった子どもで、よく言われることなのですが、「同じことを何度も繰り返してしまう。その場にそぐわなくても、言ってしまう。」ということです。これは、非常に複雑な問題だと思いますが、今回は果敢にチャレンジしてみます。 これは、会話の技術という事以上にまず、会話の動機が絡んで来るからだと思います。会話をするということは、以下の二つの動機が必要だと思います。
動機1:相手(聞き手)の注意を引きたい。
動機2:話したい内容がある(共有したい経験、思い出したい経験がある)。
 「同じ事を繰り返してしまう」というのは、もしかしたら、相手の注意を引きたいと言う動機1はあっても、話す内容がないという動機の2が不十分である(話す内容が一つしか思いつかない)のかもしれません。逆に話したい内容があっても、相手の注意を引きたい動機がなければ、会話ではなく独り言を繰り返すことになるかもしれません。やはり、どちらが欠けていてもだめなのでしょう。動機が絡んでいると、ただ「教える」だけではダメなのです。いくら奇麗に話す言語能力を教えたとしても、相手の注意を引きたくないのであれば、人には話さないでしょう?話したい内容がなければ、話せないでしょう?逆に言えば、こういった2つの動機が両方あって、下手でもどんどん話して行くうちにそれが練習となって勝手に(こちらが教えなくても)言語能力を向上させていくのかもしれません。 動機を変えるのは教えるよりも難しいです。
 まずは、「人の注意を引きたい」という動機。これは、まずかなりに幼いうちから、人好きにさせていくしなないのです。色んな楽しい人とのやり取りを経験する(人とのやり取りが楽しい)ことで初めて、人は、人とのやり取りをもっとやりたくなります。人が振り向いて、人がこっちに話しかけてくれると楽しいから、もっと人の気を引きたい。これが、人の注意を引きたいという動機であるはずです。ですから、私はお勉強だけでなく、「人とのやり取り」を中心としたセラピーを心がけていますが、簡単ではありません。というのも、やり取りが楽しくないから、私の所に来る事が多いのです。最初は持ち上げたり、くすぐったり、体で遊ぶことをやっていきます。それ以外にも、「繰り返し」を使う事が多いです。自閉症の子は何かを繰り返すことが好きな場合が多いので、私はこれを大いに利用します。というのも、何度も繰り返す事で、これまで好きでなかったことが好きになるのです。例えば本読み。私の所に来る生徒さんの場合、本を読んでもらう事が最初から好きな子は、ほとんどいません。それでも、何度も繰り返すと、ほぼ全員好きになり、必死に絵本を見る様になります。何故だかは分かりませんが、やはり繰り返しが好きなのでしょう。新しい本を出すと、一様に皆そっぽを向きます。新しいので(繰り返されてないので)、読みたくないのです。でも、それも繰り返して行くと、好きになって見入ってくるのです。不思議です。他にも徐々に色んな活動ややり取りを繰り返して、彼らの「好き」なやり取りを増やすのです。
 次は、「話したい内容がある」です。これは、上記のような楽しいやり取りをまず増やして行くことが必要です。その次に、過去のことを話す練習をしていきます。過去のことを話すことで、過去にした楽しい思い出がよみがえり、楽しいという経験をさせることが必要になります。こうすることで、話したいという動機を増やすのです。言葉が話せるようになると、教室の終わりのおやつの時間に、おやつをご褒美に色んな質問をします。「今日何やった?」「本は何読んだ?」「今日お絵描きは何描いた?」こういった質問に答えられるようになることは、過去の事を話す始めの一歩となるでしょう。プロンプトとして、携帯電話(スマホ)の写真をお勧めします。色んな楽しいことを経験するときは、それを一つ一つ写真に撮って行くと良いのです。そうすることで、後で見ながら話をすることができます。「一緒に楽しいことを思い出すこと」が楽しいという経験があって初めて、「次にもお母さんと楽しい事を話したい」という動機が生まれるのです。私たちも、楽しい事があると、それをどうやって話そうか、考えません?究極には、お笑い芸人の方の「ネタ」ということです。人を楽しませるために、一緒に楽しむために、経験した事を話にまとめたいという動機がある人程、話し上手になっていくのです。
 ここで難しいのは、自閉症の子は繰り返しが好きということです。何度も同じ事を言いたいという動機が始めからある場合が多いのです。その動機に打ち勝つだけ、「新しい事も楽しい」「新しい方が楽しい」という経験を積ませなければ行けないのです。難しいでしょう?でも、時間をかけると徐々に変って行きます。時間をかける価値があることだと思います。一緒に楽しい経験を積むだけなのですから。

2014年8月12日火曜日

問題行動(癇癪):要求が通ることとの反比例

 教室の時間の合間におやつ代わりにゆで卵を食べようと思いました。冷蔵庫に入っていたから、やっぱりちょっと暖めようかな。電子レンジでゆで卵を暖めると、爆発するって聞いたことあります?怖いですよね。でも、ちょっとだけなら大丈夫かな。少しだけ暖めて・・・、ほら、やっぱりちょっとなら爆発しなかった。レンジを開けて手に取ると、お、ちゃんと暖まってる。いっただきまーす。ばん!風船が割れるくらいの音がしましたかね。何が起こったの?手のひらにあるはずの卵は跡形もなく、卵の細かな残骸が床や壁に散らばっています。しかも卵の飛び散り方が半端じゃなくって、まさに爆発。部屋中にゆで卵の小片がばらまかれました。後から見ると部屋の反対側の壁にまでゆで卵の破片がついています。鏡を見ると髪の毛や服にも一杯ついてる。もしかすると、ちょっと目に入ったかもしれない。こんなことで失明しなくて良かった。ああ、生徒来るから片付けなきゃ。しかもぞうきんで床を拭くと、黄身が床のフローリングの板の隙間に入る!ああ、そんな所は・・・。あとで臭くなったら絶対やだ。せっかくの短い休憩時間、エネルギーチャージしてゆったりする予定だったのに、これでその時間も掃除に終わる・・・。とほほ。しかしこの歳になってこんなにビックリすることあるか?というぐらい驚きましたよ。本当に漫画みたいなことってあるんですね。
 爆発と言えば(相変わらずなんでも自閉症につなげる)よく癇癪起こす子っていますよね。それから小さなことでもすぐに、「うきー!」ってなってしまう子。例えばオモチャで遊んでた所に、お父さんがアイスクリームを買って帰ってきて、見た瞬間それに向かって走って行って、手を伸ばすとするじゃないですか。オモチャ持ったままの手でアイス食べようとしてアイスを落としちゃかわいそうなので、「ちょっと、オモチャもったままの手で。」と言うと、「うきー!」と床にひっくり返る。食べるなって言われた訳でもないのに、この反応は一体何だ。お前は猿か?せっかく好きだと思って、楽しい経験を多い浮かべて買って来たアイスクリームなのに、一気にこれで30分も泣き通す。こんなことって、結構ありますよ。
 こういうように、一触即発ですぐに癇癪を起こす子や、物を投げる子、「イヤ!」等と叫ぶ子というのは、思い通りに事が運ばない、自分のやりたいことが言えてない、言わば「食べたい物が食べられずに(やりたいことがやれずに)飢えている」という状態にあることが多いと思うんです。ABAでは機能分析といって、何故そうやった癇癪やら他の問題行動が起こっているのか(何に飢えているのか)を発見し、その理由をなくす(飢餓状態を満たす)方法をとります。しかし、子どものこういう悩みを持たれる家庭の中には、ご両親の話を聞くと「甘やかしたくないから」「いつも欲しい物が手に入るという訳ではないから」「我慢を教えたいから」という理由で、意図せずに本人の飢餓状態を高めてしまう悪循環に陥ってしまっている場合があります。例えば本人が「欲しい」と言っていると、「食べたばかりでしょ」とお母さんは与えない(我慢させる)。これを繰り返して行くと、そのうちに食べ物を見てお母さんが近くにいるだけで、「うきー!」となる訳です。飢えている人に下手に近づくと、襲われて怪我するかもしれません。
  じゃあ、いつまでも甘やかして、「欲しい!」と言うたびにすべてを与えれば良いのでしょうか?そうとも限りません。「飢餓状態をいかに作らないか?」を考える必要があるのです。もしお菓子が欲しくて「うきー」となっているのであれば、まずしばらくは欲しいだけ与えます。要は、ちゃんと要求すれば、そんなに焦って癇癪を起こさなくても、欲しい物は手に入るよ、というメッセージを与える事です。そしてある程度満足して飢餓状態から脱出した時に(問題行動が減った時に)、徐々に「欲しい?じゃあ、この課題をしたら、あげるね。」等と、何かをやらせるようにしたり、「一日5つだけね。今日はもう3つ食べたね。あと2個だね。」と徐々に数を制限したりします。満足さえしていれば、毎回もらえなくても、焦って「うきー」とならずに済む訳です。
 逆に言うと、どうやったら飢餓状態を作り出せるのでしょう?いつもらえるのか予想がつかない様にするんです。「時々もらえるけれど、いつもらえるかはわからない。」これがギャンブルと同じことで、どんどん飢餓状態が高まり、止められなくなってしまいます。
 お勉強がしたくなくて、勉強の「臭い」がしただけでも逃げる子どもがいると思います。いやでいやで、しょうがないんですね。「でも勉強はしなければ行けないでしょう?」と言われる方もいますが、まずは勉強がそんなに嫌でない状態にしなければいけません。問題行動がひどい場合は、まずは一切勉強(っぽい活動)を止める他ありません。一切やめて、問題行動がなくなってから、徐々に簡単な課題を(勉強っぽくない形で)やって行くことが良いでしょう。ゆっくり進めば、勉強がそれ程嫌じゃなくなるはずです。
 「ABAをやる」というと、問題行動があっても「無視してやらせる」という印象を持っている人がいます。確かに本人が嫌がっても、それを無視してやらせる場合もありますが、こういった手法は、本人の状態を考慮した上で選びます。誰でも、いつでもやらせれば良いというものではありません。「無視する」の勘違いは、テレビなんかの影響ですかね。確かにテレビ番組を見ると、そういうように映ってしまうこともありますが、決して「無視すればよい」と誰にでもやっている訳ではありませんし、それが逆効果になる場合もありますので、注意して下さい。

2014年8月11日月曜日

社交性スキル:子ども同士のコミュニケーション

 私は名古屋隣にある清須市という所に古民家を借りて教室に使っているのですが、そこは昔の美濃路という街道で町並みも古く、良い感じで気に入っています。名古屋駅から6−7分で電車に乗ればついてしまうのにコンビニもなく、逆に昔からの和菓子屋さんなどの個人商店がぽつぽつと見られます。近所の酒屋も例に洩れず、古くからある個人商店のようで、店番のお婆ちゃんも年期が入っています。教室にお客様が来る時にそこの酒屋でペットボトルのお茶を買いました。領収書を頼んだところ、領収書の宛名をさしてお婆ちゃんがこう言いました。「きゃーとーてちょーでゃー。」私の頭の中では「?」が飛んでいました。「きゃーとーてちょーでゃー」とは、一体何?名古屋生まれの私でもさすがに3秒くらいかかりましたかね、これを翻訳することができました。「(値段は書いたけれど、宛名の部分は空欄にしておくのでご自分で)書いといてちょうだい。」という意味でした。分かった時は、「よっしゃー!」と何か事件を解決した気分でテンションが上がりましたね。そんな名古屋弁で話す人には会った事がありません。というか、名古屋で生まれ育った人でも意味が分からないような名古屋弁が存在することは驚きでした。コミュニケーションとは、面白いものです。
 自閉症の子どもには、大人には色々と要求をしたり返事をしたりもするのに、子ども相手には話しかけることもなく、話しかけてもしれーっと無視することが多いのです。子ども同士で話すようになって欲しいとは思うのですが、これはかなりの難題であることも多いです。あるお母さんから、「(自閉症児が自分の)弟の持っている物が欲しい時に、かして、って言えるのだけれど、ダメと返答されると、かして!って強く言いながら奪い取る。もしかしたら、幼稚園でも同じ様に人から奪っているかもしれない。どうしたら良いんですか?」と相談を受けました。子ども相手では、「かして」とお願いしたからと言って、もらえるとは限らないんです。「かして」という要求自体が消去されてしまう(言ってももらえないから、言わなくなる)ケースもかなり多く、こういう経験を通して自閉症児は、子ども相手には要求しなくなるんでしょうね。
  上手でないソーシャルトレーニングを受けると、何でも単純にパターン化してしまいます。例えば、「断られたら、一分程待ってから、もう一回聞けば良い。」ということを教えたりするかもしれません。「一般的にどういった事が良いとされるか?」と考えれば特に間違いではない解決策なのですが、「こうすれば良い」という一つの答えのみにパターン化してしまうと問題が出て来ます。例えば、一分待って再度聞いても「ダメ」と言われてしまう場合もあるじゃないですか。さらに一分待ってもう一度聞いたら、「ダメだよ!あっちで遊んでよ。」と突き放されるかもしれません。この場合、一度待って聞くという解決策では太刀打ちできません。さらに言えば、子どもって今使ってないオモチャでも、「かして」と聞かれると急に価値が高くなって、「ダメ」って答えてそれで遊び出す場合もよくあります。この場合使っていないところを見計らって、しれーっと取ってしまう方が得策かもしれません。「かして」とワンパターンで要求することを教えた事自体が失敗につながってしまうこともあるということです。健常発達の子どもを見ていると、必ずしも毎回「かして」と聞いてはいないことに気づくはずです。状況や相手に合わせて対応を変えるのが、本来教えるべき「社交性」なので、ワンパターンに解決できないのが社交性を教える際の難しい所です。
 「相手の反応を見ながら」「状況を見ながら」と言うのは、人と一緒に遊んだり、やり取りをしたりする中で、「こういう状況では、こうする」「ああいう状況では、こうする」という色々なことを経験して初めて学べる事です。セラピーの中で、一週間に一度2時間練習した程度では、「状況を見ながら」ということはまず無理でしょう。健常の子どもって、人のする事を色々見ているだけではなく、「座ってよ」「こっち来てよ」「見てみて」等、四六時中人に要求しています。こうやって、健常発達の子どもは、普段から子どもが人をよく観察して、さらに色々試して相手の反応をみることで、起きている時間ずっとこの社交性を学んでいるのです。この「人を見る」「人がどういう反応をするのか、試してみる」ということをするには、まず、「人と一緒に遊びたい」「相手を上手く動かしたい」という動機が必要です。ですから、私はまず「遊び」「活動」を中心にセラピーをしていきます。「人を見たい」「人と一緒に遊びたい」と思わせるには、「一緒にやるから(一人よりも)、楽しい」という経験を積ませること以外にないからです。「オモチャ(物)が欲しい」という欲求ではなく、「(人に)○○して欲しい」という欲求・動機が大切なのです。色々と人を動かす要求が出る様になって初めて、それをうまく適切な形に矯正していくことができます。
 上手く「相手を動かしたい」という要求を出すには、子どもの言語や知的能力のレベルにもよりますが、ルールのあるゲームがまずは良いでしょう。ゲームが「楽しい」という経験から、「遊ぼう」という要求が現れます(「遊びたい」という欲求)。その中で、相手をちゃんとルール通りに動かそうとか、相手を笑わそうという欲求が出て来ます。おままごとや怪獣のオモチャで対決させる等の創造的遊びも非常に重要になってきます。楽しい遊びをするために、自分の思い描く世界を人形などで再現するために、色々と役割を分担し合う様になると、自然に「相手にこう動いて欲しい」という欲求が出て来てきます。ですから、準備性がそろった子どもには、そういう遊びを積極的にやらせていきます。これは、教えるということだけではなく、それが楽しい(もっとやりたい)という経験を積ませることです。ですから、子どものやりたいようにオモチャで遊ばせるだけではなく、こちら側が少しだけ押してみます。アンパンマンが好きなら(でも並べているだけなら)、「ほら、ウサギちゃんバイキンマンにいじめられて泣いてる。アンパンマンが空飛んで、助けに行ってよ。」等と、新しい事をチャレンジさせます。「アンパーンチ」とかできれば、「はーひふーへほー」と言いながらバイキンマンをふっとばしてあげます。これが「面白い」となれば、「バイキンマンやって」という要求につながりますが、このチャレンジが難しすぎる場合は、子どもは嫌がって次にやりたくなくなります。こうやって、少しずつ試しながら遊んで行くのです。
 私の言っている事は、やや無茶なことかもしれません。でも、本当の「変化」を望むのであれば、小手先だけのパターン化を教えるのではなく、実際に色々と観察して状況に合わせて行動する子どもを教えることが必要ではないでしょうか?

2014年7月9日水曜日

ABA: PRとNET

 しばらくぶりの再開です。いやあ、やはりブログを書くのは楽しいですね。最近療育やプライベートの方が色々と時間を取られまして、特別に締め切りがないブログはついつい後回しになってしまいますね。今回はリクエストに応えて「PRTとNETの違いは何なの?」という質問に答える内容になっています。まあめげずに少しずつでもやっていきます。
 全然関係ないですが、どなたか新幹線移動の時に車酔いせずに仕事をする良い方法分かる人います?私は元々車酔いするタイプなのですが、やっと最近本読んだり、携帯のメールぐらいは大丈夫になってきているのですが、やはりブログを書いたり、翻訳の作業をしたり、コンピューターを使う作業は気分が悪くなります。特にトンネルがダメですね。入ったり出たりする度に揺れて、「うっ」と来ます。新幹線移動であまり寝られず、仕事もできず、ビールも飲めず、結局携帯でゲームして終わるのももったいない気もしますよね。本でも読めば良いのか。
 さて、質問の違いですが、簡単に言うとABA > NET > PRTということになります。ABAの一部にNET (Natural Environmental Training)があって、その一部にPRT (Pivotal Response Training)というのがあります。NETというのは、DTT (Discrete Trial Training)に対比しての言葉ですが、デスクでのセラピーに対比して、自然環境で教えれば基本NETということになります。PRTもその一部ですが、他にも、Incidental TeachingとかMilieu Trainingとかも言うのもあります。PRTは中でも研究も多く、有名ですのでよく聞くと思います。研究でその効果が証明されているので、私のようなABAの博士にはその研究論文を読んで結果を追試出来る立場にあります。しかし、同時に登録商標でもあるので、PRTという療育方法について特別トレーニング受けたことのない私には、PRTについてはっきりとトーレーニングできるとは言えないという、イマイチビミョーな感じになります。ちなみにPECSも同様の登録商標ですが、作られているピラミッド社認定のトレーニングを私は受けたので、「使える」と公言できる立場にあります。アメリカは面白いですね。
 PRTについてですが、私もよく使う「基軸になる(Pivotal)行動」を教えようとするものです。私はその理念は大賛成です。具体的なことは登録商標ですし、彼らのトレーニングを受けて下さいとなってしまいますが、関連したところで私がやることを紹介しますね。中でも一番難しいのは、「モチベーション」であると思います。彼らは「モチベーション」を「基軸となる行動」の一つと捉えていますが、ABAの専門家としては、モチベーションは難しく言えば「こちらが外的に操作して行動に影響を与える変数」であると考えます。簡単に言えば、「食べる」という行動があると、「食べたいモチベーション」というのは行動ではなくて、食べ物を一定期間あげないとか(お腹を減らせる)大量にあげる(お腹いっぱいにする)等の操作そのものにあたり、その後の「食べる」という行動に影響を与えることができるのです(お腹が減っているときは食べる、一杯のときは食べない)。モチベーションという内的な状態は見えないのですが、見える行動によってそれが推測できたり、操作によって食べるという行動を変えることができる訳です。
 自閉症について言えば、「何か遊びがしたい」という動機がなかったり、「人と関わり合いたい」「人とやり取りしたい」という動機が無いケースがほとんどです。実際には、人が寄って行って話しかけたりしても無視するけれど、結局ブラブラしているだけで何もしない。しかし、しばらくすると、飽きてきて機嫌が悪くなる、という例は多くあります。これは「遊びは楽しい」「人と一緒に関わるのは楽しい」ということを経験していないために、遊びや関わりが強化子・好子になっていないということです。ですから、私の療育ではかなりの時間を遊びや関わりに使います。変ってくれば、「やり取り」自体が強化子・好子になって色々な新しいスキルを学ぶようになります。
 具体的にどうするのかと言うと、色々経験させてあげることで、言わば「食べずぎらい」の場合も、無理に経験させてあげます。少々嫌そうでも、どんどんやらせちゃいます。泣いていても、「良いじゃん、やろうよ」と、さっとやらせて「楽しかったねー」と言います。場合によってはこれを何度も繰り返します。 最初は泣いていても、繰り返しの好きな子は、徐々にその遊びが好きになって来ます。10回やらせて、1回だけ楽しそうにするかもしれません。楽しそうにしていれば、ますますやって行きます。前にも話した「ペアリング」ということも使えますので、繰り返しや他の強化子・好子と織り交ぜることで、徐々に楽しい物に変る事もあります。人や人とのやり取りが好きになれば(強化子・好子が変ってくれば)、人を見たり、何かしようと自発で働きかけたりするという行動が見られ、「人と一緒に何かしたいというモチベーションがあがった」、ということが推測できます。これは、「スキル(行動)を教える」ということとは根本的に違うと思います。その変化もデータ等取りにくいです。私はグラフにできるデータではなく、記述でするノートにしています。
 全然人や人とのやり取りが好きでない所から始める場合は、2、3ヶ月くらい経って少し変ってきて、半年とか1年とかかけて徐々に人好きするような感じになります。半年くらい続けていると、ディスクリートだけやってきた子とは見た感じの印象が変わりますかね。私の所で最近雇われた稲森先生は、「前まで本当につまらなさそうだったのに、何か人生楽しそうになってる」と言っていました。お母さん方は、「面倒くさくなった」と言います。自分から色々と自発行動したり、欲しい物をより強く要求したり、言わば「自我が強くなった」状態になるので、面倒くさいのです。でも、その方が人間らしいでしょう?「面倒くさい、人間らしい子」を私は目標にしています。
  ただし、これをやるには技術が必要になってきます。「嫌そうなのに、どこまで押せば良いの?」「何回繰り返せば、好きになるの?」答えはすべて、「わかりません」です。基本的には、子どもの反応を見ながら、本の小さな反応も見逃さないことです。少しでも口元が緩めば、繰り返していきます。「イヤ!」と泣いていても、泣き叫んでやらせるときもあります。しかし、泣いて嫌がった割にはすぐにケロッとしている場合など、「本当にやり取りがイヤなのではなく、ただ新しいことはやりたくなかっただけかも」何て想像しながら、またやっちゃうかもしれません。でも、あんまり押しすぎて嫌いになられても嫌なので、怖がられない程度に止めておきます。自閉症の子は本当に白々しく無視したりするので、こちらがいくら張り切って頑張っても、何の反応もなくて、こちらの気持ちが折れてしまうこともよくあります。でも、毎日頑張ってテンション上げるんです。「やったー」って私一人が(子ども抜きで)喜んでることが、よくあります。それが徐々に、「ああ、もしかしえこれって楽しい?」と言う風に変ってくると信じてやります。私にもその子が好きになりそうな物が当たるときも当たらないときもあるので、やってみて失敗して、時には成功して、という試行錯誤でやっていきます。私の教室に来てもらう方には、その試行錯誤の過程を見本を見せて体で覚えてもらっています。
 比較すると、ディスクリートが一番簡単で、一番効果もはっきりと分かって、初心者にはやりやすいのです。ただ、ディスクリートだけでは足らないと思います。絶対やる価値あると思いますので、諦めずに「人って楽しいんだよ」と紹介していきましょう。モチベーションの他にも基軸となる行動はたくさんありますが、また次の機会に。

2014年2月10日月曜日

基軸となる行動:Executive Functioningその2

 外に出たついでにスーパーに買い物によりました。買い物は特に予定していなかったのですが、漂白剤やらお菓子やら卵やら、思ったよりも買ってしまうものです。こういう時に限って妙に混雑していてレジには列ができています。レジで払い終わって袋詰めにするカウンターにかごを置いてから気づきました。あれ?袋がありません。またか。やはり買い物をしようと思って出かけないと、私は買い物袋とかよく忘れます。前回も忘れました。前回は人が少なくて、レジの人に後から言って5円で袋を買いました。5円で買えるなら、なぜ支払いする時に袋がいるかどうか聞いてくれなかったんだ?最近は袋持参が常識なのだろうか?しかも今日はすごい人が並んでいて、レジの人に今さら袋を買いたいことが言いにくい。車に行けば袋もあるのだけれど、荷物を置いて車に行くのも面倒くさい。しょうがないので、手に全部抱えて車まで行くことにしました。ちょっと無理かな?手にも小さなものをごちゃごちゃ抱えて、色んなものをジャンバーのポケットに詰めて、これじゃなんだか下手な万引きだよ。誰かに見られてないかな?でもこれくらい持てるよ。よし・・・ガシャ。卵を落としました。あーあ。よりによって落とすのは卵。ついてない。ただでさえ万引きおじさんみたいにポケットに色々詰め込んでいるので、人からの注目を受けたくない。床を汚してしまいましたが、拭くものもない。うーん、どうしよう?買ったものを捨ててその場からいなくなりたい。
 こんなことありません?私だけ?トロいですよね。とほほ。 ちなみにしばらくすると店員さんがやってきて、床を拭いてくれて、しかも、卵を替えてくれると言います。「え?良いんですか?」ちょっと嬉しそうな図々しい私。店員さんは嫌そうな顔も見せずに卵を取りに走りました。何て親切な人なんでしょう。世の中いい人ばかりですね。替えてもらった卵を手に、何とかジャンバーにもっと色々詰めて(やっぱり懲りてない私)、やっと車までたどり着きました。ああ、串カツのいいにおい。そうか。途中で入り口で売ってた串カツが気になってたから、ぼんやりして袋を忘れて卵なんか落としたのか。そして親切な人の助けによって、トロい私は今日も一日を乗り越えました。トロくても生きて行けるものです。もちろん串カツもゲットしました。(ブログネタもゲットしたし・・・。)
 高機能の自閉症の子とか、アスペルガーの子等をよく観察すると、言い方悪いのですがトロいように見えるのです。親が見てると要領が悪くて本当にイライラするとよく聞きます。例えば、学校で何か先生に言われた課題をやっているとします。成績の良い子は終わったらすぐに次のことを始めます。片付けたり、次の時間の準備をしたり。でも自閉症の子達は、やれと言われたことだけを額面通りにこなして、そのまま大満足だったりするわけです。次に何をしたら良いかなどは、考えも及ばないのです。これは勉強嫌いで、わざと次の準備をせずにこっそり他事(漫画書いたり落書きしたり)をしている子(何をしたらよいのか、他に何をしたいのかがしっかりと分かっている子)とは少々違います。朝の準備も、起きるのが遅いという以上に、非常に時間がかかる場合が多く、忘れ物もしがちです。人って常に「何をしたら良いのか」又は「何をしたいのか」を考えながら生活していると思うのです。この「何をするか」をあまり考えずに(準備をせずに)行動すると、もちろん物も忘れるし、やることにも時間がかかる訳です。私が買い物で袋を忘れたのも、準備せずに突然行くからです。
 物忘れの多い子どもに、忘れ物に気づいた時に「また忘れ物して!」と叱るのは逆効果です。というのも、忘れ物に気づいた時ではなく、その大分前の準備する段階で失敗が始まっているからです。何を持って行ったら良いのか、どう段取りすれば良いのか考える準備の行動が欠けている場合が多いのです。ただ教える際に注意が必要なのは、「忘れ物はない?ナプキン持った?体操服は?連絡帳は?」と言ってしまっては行けないのです。そうすると、結局忘れ物をチェックしたのは、お母さんになってしまい、お母さんに頼るようになります。専門用語では、プロンプト依存と言います。時間がかかっても、自分でやるように仕向けることが必要なのです。朝の準備をするには、自分から何を朝したら良いのか考えて、段取りを準備させること、それに合わせて朝の準備をしていくことが必要になります。忘れ物は、学校で何があるのかイメージさせたり順番に時間割を見ながら、何が必要なのかチェックすることが必要になります。
 教える際、私の場合は初めに口で説明しながら、一緒にやって行きます。「朝起きたら、まず何をしたら良いのか考えるよ。考えて頭の中で準備しながらやると、やりやすいね。きっと朝の準備が早く済むよ。練習しようね。じゃあ、まず起きたら着替えて・・・・次は何する?・・・歯磨く?ご飯の前に歯を磨くの?そう、ご飯食べて・・・、次は?歯を磨いて・・・、そのままやってごらん。そう、学校の準備のカバンを用意して。」と言った形で説明しながら、「・・・」の所は時間をあげて自分から考えさせるわけです。そうすることで、私が全部言ったことをリピートするのではなく、子どもも参加してやり方を少しずつ一緒に考えて準備するのです。必要であれば最初は紙に書き出しても良いですね。もちろん準備ができたら、褒めてあげて下さい。そして次回から徐々に、「次は?」と言った手助けを減らして行きます。
 準備ができたら、その準備した言わば「時間割」通りにことを進めることが必要なので、一つの活動が終わるごとに、時間割に一度戻ってもう一度何をすべきだったのか確認することが必要です。最初は、「あ、ご飯食べ終わったね。じゃあ次は・・・」と言った感じの手助けが必要になります。決して、「ご飯の後は歯磨きでしょ。さっき自分で準備したでしょ?」と言っては行けません。ちょっと時間をかけてでも自分から時間割をチェックすることをやらせなければいけません。言われずに自分からチェックした場合は、しっかりと褒めますが、しばらく時間を与えても次のことがみつけられなければ、答えを教えてあげても良いです。準備の段階で自分から次のステップが考えられていないのかもしれません。最初から自分で考えた時間割であれば比較的簡単にもう一度思い出すことができるはずです。そして徐々に、「次は・・・」という手助けを減らして行きます。私の場合、ご飯を食べ終わってぼんやりしている子どもには、「ご飯食べ終わったねえ。」(思わせぶりな台詞だけで、自分から気づかせる)なんて言うだけの時もあります。微妙な手助けに変えて行く訳です。
 さらに細かく言えば、着替えや歯磨きと言った活動の一つ一つも考えながら、歯ブラシを濡らして、歯磨き粉をつけて、磨いて、といったことを考えて次に何をするのか準備しながらやると、やりやすくなります。もちろん慣れて早くなれば体が流れを覚えるので、そんな必要はなくなります。(例えば、普通の大人でも旅行に行ったときは、いつもと違う所に歯ブラシがあったりするので、頭で色々と考えながら準備していると思います。普段の家庭ではいつも通りなので、考える必要はないのです。)
 こうやって頭で準備をしながら、活動を一つ一つこなすことを教え、できるようになったら徐々に徐々にスピードを加速させて行くプロセスになるので、はっきり言って非常に時間がかかります。しかししっかり教えると、いつまでも「ほら、体操服忘れたんじゃないの?」言い続ける必要がなくなります。

2014年2月5日水曜日

自閉症症状(スクロール)と老化現象(思い込み)

 おじいちゃんを助手席にのせていて運転していると、こんなことがありました。交差点で信号待ち中ぼんやりしていると、おじいちゃんから青だから進めと言われました。「またぼんやりしていて信号に気づかなかったか」と思い発進しかけましたが、よく信号を見ると信号はまだ赤なんです。「ええ?あれ赤じゃない?」と言ってもおじいちゃんは「おう。進める。」と自信満々に言っています。「赤だよね。」と祖母に確認すると、やはり赤だと言ってくれました。そのうちに信号は青になって渡れたのですが、おじいちゃんはすっかり青だと思い込んでしまっていたようなのです。年取って来ると、こういう思い込みってよくありますよね。
 私の勝手な(専門的でない)分析を加えるとすれば、生活に変化が少なくなってやったことの繰り返しが増えると、これまで通りなのであまり注意したり頭の中で準備・整理したりしてやることなく、言わば「自動的」に繰り返すようになります。変化の少ない生活の中で、「これまでの経験と同じになるだろう」的に行動することを続けると、状況の変化に注意を向けたり、変化に合わせてしっかり反応することが弱くなります。これが老化の始まりというものじゃないでしょうか?
 しかもこうやって「自動的」に行動していると、あまり使われない脳が他に刺激を求めているせいか、頭の中で過去のことを思い出したりしてしまうのではないでしょうか?最初からよく観察して行動していないのに加えて、頭では他事を考えているのですから、余計にぼんやりしてしまう訳です。
 さらに言えば、よく見てないだけではなく過去の行動パターンに「凝り固まる」ような印象を受けます。思い込んでしまったことから柔軟に抜け出せず同じ間違いを繰り返したり、「よく見れば間違いにすぐに気がつくのに・・・・」という結果になります。例えば探し物をする際も、「過去に物がみつかった場所」を何度も探すだけで、実際には目の前にある物が見つからなかったり、「もうバッグの中は探した(バッグの中にはない)」と思い込んでいるので探さなかったりします。自分ではしっかり探しているつもりですから、もちろん見つからないことに苛立ちます。
 実を言うと私も先日仕事のレポートをすっかり忘れました。しかも、本人はすっかり書いたつもりになっていたので、生徒さんの親御さんから聞かれた時に、「あれ?書いて送りましたよ。」と自信満々に答えていましたが、あとでコンピューター見て愕然としました。私の思い込みだったようです。若いときは忘れることはあっても、そんな事実でないことを思い込むってありえないと思いません?怖い、怖い。
 面白いことに、自閉症の中にも、これに似た症状、行動をとる子どもが多いのです。例えば、模倣を教える際、「パチパチする」動作と「バンザーイ」の動作の模倣を教え、そして次に新しい動作の「バイバイする」を教えるとします。自閉症の子の行動でよくあるパターンとしては、見本を見て真似をするのではなく、初めに学んだ「パチパチ」「バンザーイ」を順番にやって見せてくれます。これは他のスキルを教えるときも同様です。「バナナとって」と「みかんとって」を教えて、次に「リンゴとって」を指示されても、バナナを渡したり、みかんを渡したりするのと同じです。「以前にバナナを渡して褒めてもらえたから、次もバナナを渡しておけば良いだろう。バナナがダメなら、みかんかもしれない。」的な行動で、よく見てない、よく聞いていないことを示しています。ちなみに、英語ではこういった過去に教えられた行動を適当に順番にやって見せることを、コンピューターの画面をスクロールさせて選択するのと似ているので「スクロール」と言います。
 また、自己刺激とよく言われますが、手のひらを目の前に動かしたり、 何か意味の分からない言葉を言っていたり、目が泳いでいたりすることもあります。過去のパターンで行動してしまいやすいだけでなく、頭で他事を考えているのでしょうか、ますます課題に集中できない訳です。
 さらに言うと、「思い込んだらそれ以外は考えられない。」というか、何度も同じ間違いをするようなこともよく見かけます。例えば3択でリンゴと、バナナと、みかんがあるとします。「リンゴちょうだい」と言われてバナナ渡し、それがダメならみかんを渡し、さらにそれがダメなら、またバナナに戻ってしまうのです。消去法からすれば明らかにその次はリンゴなのですが、何故かバナナとみかんを繰り返してしまうのです。こういった間違いを繰り返して結局は苛立ち、やる気をなくしたりする点から言っても、なんとなく「自分ではしっかりやっているつもりだから、何で正解じゃないの?。いい加減にしてよ。」とでも言っているいうような印象も受けます。
 自閉症の子どもは繰り返しを好む、いつもと違うとパニックを起こす、ということがよく言われます。これも、一度「こうなる」という勘違いした予測をしてしまってたら、凝り固まってしまった場合はなかなか、「違うのね。」と納得出来ず、「何で違う!こうなるはずだったのに!」ということでしょうか?年取ってきて凝り固まって、思い込んでしまう人たちとなんとなく通じるような気もします。
 私はこういった行動を改善するのが療育の仕事と思います。「注意して見る」「他事を考えずに言葉を使って準備しながら問題解決する」「凝り固らずに変化に対応する」というような大まかな行動を教えます。今日は私の勝手な観察と主観でした。

2014年1月12日日曜日

私の子どもって成長しているのでしょうか?

 「私の子ども、成長しているのでしょうか?」これは私のところに療育に通って来てくれている親御さんからよく聞かれます。面白いことに、いい具合で成長されているお子さんのお母さんからよく聞かれます。療育の会話の中で、「良いですね。成長していますね。」と言うと、「え?全然成長していないと思ったのだけれど、先生がそう言うのならそうなんでしょうね。」と言われるお母さんも結構多いです。私的には、「マジですか?こんなに成長しているのに、見えませんか?」と感じます。しかし親からすると自分の子どもの成長というのは、非常に気づきづらいものらしいのです。反対に自分の子ではなく他の子どものこととなると、かなりの成長ぶりが見えるようです。私の教室の場合は大体もう一人他のお子さんとセットで来てもらっているのですが。「○○君すっごい変りましたね。」「何々ちゃんすごい成長しましたね。」と相手のお子さんの成長ぶりはよく気づかれますから、ポジティブなことが分からない親御さん達では決してありません。しかし自分の子どもとなると「成長していない」と感じる様なのです。
 ちょっと余談になりますがこれには国民性も関係しているかと思います。アメリカでは、療育した側から見て成長が比較的大きくなかった場合でも、「すごく成長した」と喜んでくれるご両親もいましたし、成長していても「成長していない」と感じられる両親もいました。「成長していない」とおっしゃられるお母さん方は大抵「優等生系」のお母さん方です。私の指導することをしっかり家庭でも守って療育してくれています。ですからもちろん成果も上がり易く、素晴らしいのです。ですが反面「優等生系」の悩みとしては、頑張っても頑張っても「まだ頑張りが足らない」と感じてしまうことです。私の恩師のマロット先生は、こういったことを、「Jewish mother(ユダヤのお母さん)」と説明していました。私はユダヤ教についてはあまり知らないのですが、子どもの頃にどんなに頑張っても「まだ頑張れる」と母親に言われて育ったため、大人になった時にどんなに頑張っても何となく自分自身で満足出来ない状態を言うようです。頑張り屋さんに育つのも苦労がいるということでしょう。アメリカが成功したのは、戦争でユダヤ教の人がヨーロッパからたくさん移住したからなんて言う人もいますよね。「ユダヤ教も日本と同じなんだ。」と思いました。そう言えば私の母親も、運動会で2番を取ったら「何で1番じゃないの?お父さんもお母さんも小さい頃はいつも一番だったよ。」と言いましたね。何てひどいこと言うんでしょう。Jewish motherならぬ、Japanese motherということでしょうか?
 まあ国民性の話は置いておくとして、自分の子どもは毎日見ているために成長が分かりづらいのは確かです。身長だって自分の子どもが大きくなったかどうか、わかりずらいですよね?でもたまに会う他の子どもは、「大きくなったな」と思う訳です。色々教えていても、何を教えていて何が成長して何を改善しなければいけないのか、分かりづらくなることも多いのではないでしょうか?療育の方向性をぶれないようにするだけでも結構大変です。療育の専門家に定期的にみてもらうのも、自分の子どもの成長具合を客観的に見てもらうという意味では非常に有意義なことかもしれませんね。

2014年1月11日土曜日

言語の発達

 コーヒー屋さんにいると、隣に外国人が座りました。しばらくすると待ち合わせをしていたようで、 日本人の女性が向かいに座りました。友達かなあと思っていると、外国人男性はどうも他人行儀な質問ばかり投げかけています。お気づきかもしれませんが、盗み聞き、ちょっとだけ好きです(内緒です)。「Do you get along with your family?」と質問されて日本人女性は困惑していました。「家族と仲良くやってる?」っぽい意味なのですが、男性の方も「Good relationship」と始めは言い換えたり説明しようとしていましたが、結局「忘れた?」なんて日本語で言ってノートを確認させ始めました。ああ、英語の先生だから質問ばかりしているんですね。最近は英会話のレッスンもコーヒー屋さんで行う時代ですか。しかし英語を学ぶって本当に大変ですよね。私もアメリカ留学前は、英会話の先生から色々質問されて、さっぱりでした。「全然聞き取れない」「単語が聞こえても知らない」「そのイディオム、聞いたけど忘れた」という連続ですよね。なんか悔しいですよね。ポジティブに頑張って学んでいるのにも関わらず、この「負けた」感というか、「できない」感というか。何となく昔感じた気持ちがよみがえって、生徒さんの手助けをしたくなってきました。でも、こういう感情を持つから、英会話やって挫折するんでしょうね。その言語で育てば誰でも喋れるはずなのに、育ってから学ぼうとするとその労力は半端じゃないですよ。
 言語って、一体何なんでしょう?考えたことありますか?ABAでは、必ず機能(なぜ起こるのか)に焦点を置いて考えます。人が行動する理由は、人にとって得になるからだということです。食べれば栄養が得られるので、人は食べます。動くものをよけなければぶつかってしまうので、人はよけます。歩けば自分の好きな物や活動に近づくことができるので、人は歩きます。こうやってそれぞれの個人の得になる行動を人は徐々に覚えていきます。言語はこういった観点からすれば何か他の行動と違うのでしょうか?ABAの創始者と言われるスキナーは行動を考える際、(簡易バージョンですが)「人を媒介にして好子・強化子を得る行動(人を使って得をする行動)」と定義しました。行動自体が個人の得になる行動と違って、言語は他の人を使って好きな物を運んで来る、もしくは他の人の笑顔や承認自体が人にとって望ましく、得になるということです。例えば、人に食べ物を頼むと自分が歩いて行かなくても食べ物が近づいて来る訳です。「危ない!」と言って他の危うく交通事故に遭うのを防ぐことも、助かった相手の笑顔が「危ない」と言った人にとって嬉しいことですから、言語行動ということになります。
 スキナーの言語行動の分析を取り入れたのがVB(Verbal Behavior)と言われて、自閉症の療育でも使われています。私もVBの理論を取り入れて療育をしています。これまでの療育との一番の違いは、言葉を「意味」で分類せず、機能で分類する点です。リンゴという言葉を例にとると、リンゴと言う赤い果物の意味を考えるのではなく、リンゴと言う言葉を使うとどうやって話す人にとって得になるのか(機能)に目を向けます。リンゴが欲しくてリンゴと言ったのか(マンド)、ただ目の前に突然現れたから他の人の承認を得たくて言ったのか(タクト)、「赤い果物は?」と聞かれて答えるために言ったのか(イントラバーバル)、「リンゴ」と言われて「リンゴ」と言い返したのか(エコーイック)、それぞれ違った機能となり、違う分類に属することになります。どうしてこんな分かりづらい分類が重要かというと、言葉の遅れのある子どもなどでは、リンゴを見てリンゴと言えるようになったとしても、リンゴが欲しい時にはただ泣いてしまったり、「赤い果物は?」と言われても「リンゴ」と答えられないことが多いのです。それぞれ違う種類に属する言葉と考えれば、それぞれ違うように教えなければいけないというのも理解出来ます。こうすることで、リンゴの意味を教えて「リンゴ」という言葉の色々な使い方を勝手に学んでくれることを待っているのではなく、より積極的に「リンゴ」という言葉の使い方を教えられます。ちょっと違った新しい発想です。確かに私も英語を勉強した時には、「うまく気持ちを伝えて相手を動かしたい」という気持ちで話した時に(マンドとしてを使った時、要求として使った時)に英語が上達したように思えます。同じ内容を話したとしても、要求した時と英会話の先生に聞かれて仕方なく答えた時(イントラバーバルとして使った時、質問に答える時)と、全然違う種類の言語を使っていたからだと考えられます。
 さらに分析を加えれば、言語理解をもう少し深めることができると思っています。私は言語習得には頭の中で「考える」という内的な行動が非常に重要だと考えています。実はスキナーも著書の中で、考えるということは考える本人が話し手でありかつ聞き手であり、話し手本人が直接得になることであり、言語行動とはもしかして違うのかも、と問いかけています。外国語の例で言うと、リンゴを見て、アップルということが言えたとします(タクト)。リンゴが欲しい時に、果物屋さんでアップルと言えるでしょうか(マンド)?これぐらいはまあ大丈夫でしょうね。通常の大人は(発達障害の子どもと比べて)、見て物の名前を言うことができれば、それを要求することも、比較的簡単にできると思われます。しかし「Tell me a red fruit.(赤い果物を言ってみて)」と言われてアップルと言えるでしょうか(イントラバーバル)?こんな質問英語でされたことないから、無理かもしれませんね。「赤い果物は何?」と質問された時に、これに答えるにはまず果物をいくつか思い浮かべる必要があるのではないでしょうか?その中で赤い物をみつけることで、リンゴやらサクランボやらの答えが導きだせます。質問に答える時には、質問を単に暗記しているだけでは追いつけない様々な質問があるのです。例えば「いくつになったの(何歳)?」という質問の答えは毎年変ります。年を取って来ると、「あれ?いくつだったっけ?今年が2014年だから・・・」と他の言葉を「考えて」初めて答えられるようになることもあるでしょう。「さっき言ったコンビニに、おでん売ってた?」という質問も、思い浮かべなければ答えられないし、暗記して覚えることではないでしょう。ちなみに英語で「Tell me a red fruit.(赤い果物を言ってみて)」に答えるには、筆記試験なら時間をかけて翻訳しながら答えることも可能かもしれませんが、リアルタイムの会話のスピードで反応するには、「Tell me a red fruit.」と言われてすぐに果物をいくつか思い浮かべられる必要があるでしょう。
 私の英語習得の経験からすると、独り言を英語でするようになって、言い換えれば英語で考えるようになって、英語で質問に答えたり言いたいことを言えたりする確率が上がりました(上達しました)。例えば何か楽しい経験をした時に、その経験に対して英語が直接結びついて、自然に状況を思い浮かべながら英語でそれを独り言として語っているようになると、今日は何したの?と聞かれた時に突然聞かれても、答えがもう半分用意されているようなものなのです。何か問題を解決する時にも、日本語で考えるのではなく英語で考えていることで、人に説明しなければいけない時にもできます。日本語で考えてから翻訳しようとすると、時間がかかりすぎてしまい会話にならなくなってくるので、始めから英語で考える必要があるのです。ただし、これをすると思考も英語のレベルと同様に落ちてしまうので、一時的ではありますが大した思考ができずに赤ちゃん帰りしたような気持ちになることも確かです。
 考えることを言語習得に取り入れることは療育でも使えると思います。言葉を教えて行くには、実際に子どもが普段から色んなことを考えて独り言として言っていれば(もちろん小さい頃は声に出して言っていれば)、質問された時にも答え易いのではないでしょうか?例えば、何かを楽しい経験した時には、ビジュアルとして楽しい経験を何度も思い浮かべますよね。それに言葉をつけてやります。遠足で公園に行った。広かった。池でボートに乗った。楽しかった。こういう言葉も一緒に思い出していれば、「今日は何したの?」「何か楽しいことあった?」と聞かれた時にも答えられます。一方で何も言葉にする経験がなかった子どもは、楽しいことをビジュアルで思い浮かべても、言葉にさっとならないかもしれません。自分で遊びをする時に、「ここを動かして、これをここにおいて・・・」と口で言えている子どもは、他の子に同じ遊びをして欲しい時にも、しっかり説明できます。3歳ぐらいの子どもは本当に自分のことを何から何までナレーションしてますよね。「落ちちゃった。」「走ってる。」「赤い車」など(タクト)です。こういった言葉を声に出して、ビジュアルと言葉とをしっかり結びつけていくことが、将来もっと複雑なタイプの質問に答えたり(イントラバーバル)、複雑な要求をしたり(説明して相手をうまく動かす)する準備になっているものと考えられます。