2013年12月29日日曜日

自閉症の子どもは話せるようになるのでしょうか?

 「私の子どもが自閉症と診断されました。将来話せるようになるのでしょうか?」私の相談室にも時折こういった内容の質問の電話がかかってきます。残念ながら「分かりません。」と答えるしかありません。基本的に自閉症と診断された時点で、何らかの言語の遅れがあると認められた(そうでなければ診断されない)訳ですから、言語の発達に危惧があることは確かです。自閉症と診断される方の中の、会話が完全にできない方もかなりの割合でいるでしょう。ただし私の経験からすれば必ずしも「話せるようにはならない」ということはありません。診断された方の中にも、少数派かもしれませんが将来会話ができるようになる人もおられます。早期の治療教育が功を奏したのかもしれませんし、もともと診断が間違っていたのかもしれません。
 「会話が出来る」と一言で言っても、色々です。片言でしか話せない場合もあれば、すらすら話せる方もいるでしょう。一定の質問にはすぐに答えられても、それ以外の質問やコメントには反応しない又はできないような人もいます。通常の会話はできても、会話に含まれるニュアンスがわからなかったり、文字通り捉えられない冗談や皮肉は分かりづらい方もいます。もちろん言語の難しさは自閉症に限られた訳ではなく、自閉症の診断がなくても、同様の言語の難しさを抱える人もいます。
 診断をされた時点で、「これまで思い描いて来たものとは違う将来になるかもしれない」という覚悟は必要だと思います。ただし、自閉症とは本当に様々な症状が見られるので、千差万別というか、中々「こうである」と言い難いのです。言語のレベルも様々、こだわりの強さも様々、人間関係の構築度合いも様々ということになります。
 さらに言えば、「障害がある」=「何かができない」と考えることは、本人の可能性を否定してしまうことにもつながり、得策ではないかと思われます。パラリンピックに出られるような選手の方は、障害を持ちつつもスポーツを続けておられるかもしれません。両足をなくした方は、もう足を持つことができません。しかし「もう歩けるようにはならない 」「スポーツができない」ということは、必ずしもないのです。「自閉症である」ということは、同じことを何度も繰り返し言うかもしれないし、強いこだわりがあるかもしれません。うまく自分のことが表現出来ないかもしれません。しかしこれは、「将来仕事が持てない」「人を感動させられない」「人を好きになれない」ということではないのです。

2013年12月25日水曜日

スクープ:褒めて育てる

 メリークリスマス!!今年も皆様が大切な人と一緒に楽しいクリスマス・年始年末をお過ごしできますことを、お祈り申し上げます! いつも読んで下さっている方、ありがとうございます!
 先日清洲城に行って来ました。清須会議で最近少しだけ脚光を浴びている清須市ですが、平成元年に立てられた清洲城では清須会議で使われた衣装なんかも展示されてました。(ちなみに清須市と清洲城、この漢字で合ってます。なぜ違うのかは私には分かりません。)私の教室も清須市にあるので、地元民として一応チェックしておきました。お城前の公衆便所に入ると、小便器のところに面白いサインをみつけました。男性用の小便器に入る芳香ボールってあるじゃないですか?小便器の中に転がしてあって、小便が当たると消臭芳香の機能がある、あれです。それが入っていたんですが、「芳香ボールを盗まない」というサインが貼ってありました。ええ?と思いません?芳香ボールって無数の人の小便がかかっているやつですよ?誰がそれをつまんで盗んで行くというのか?でも、サインが貼ってあるとうことは、誰かがきっと盗んだんですよね・・・。大体芳香ボールって男性用小便器にしか使えないし、ほとんどの家庭では使えないはず。いい臭いを得たいがために、誰かがそれに手を伸ばして持って行ったとでも言うのであろうか?謎です。
 こういった「禁止」「ダメ」というサインは、よく見かけますよね。しかしABAベースの教育を行う際は、そういった禁止の指示はなるべく必要最小限にしたいものなんです。間違った行動が起こってから「ダメ!」というよりも、ではどんな行動が望ましいのか考え、褒めたりご褒美を与えたりしてそれを増やすことで間違った行動を減らします。間違った行動だけ減らしても、代わりに何をすれば良いのか指定しない限り、結局問題は解決されておらず、違った形の問題行動になって帰ってくるからです。最近のトイレでは、「きれいにお使い頂き、ありがとうございます。」というサインも現れ始めました。「汚しちゃダメ!」よりは良いかと思います。私たちが子どもとのやり取りする際、気づけば「ダメ!」と叱ってしまいがちですよね。コンサルでも、「こんな問題行動があるので、どうしたら良いでしょうか?」という質問の方が、「こんなことが出来ないので、どう教えれば良いでしょうか?」という質問と同じく多く見かけます。本当は良いことをどんどん褒めたいのですが、実際には自分で気づかないうちに後手後手に回って「ダメ!」を繰り返していることもありますよ。こういった悪い癖も、誰か第三者が見てくれてフィードバックしてくれると、わかりやすいですよね。
 私はSCOOP(スクープ:Systematic Carousel Observation of Performance)というデータの取り方を覚えました。この方法では、どれだけ私たちが子どもを褒めて、どれだけ「ダメ!」と言っているのか、数値に換算することができます。(何でもデータにして分かり易くビジュアルにして表現してくれるのも、ABAの特徴です。)この方法では、教える側が「これして」という普通の指示を出すと、「I」 (Instructionー指示)と記号化し、「それしてはダメ!」という指示を出すと、「I -」 (Instructionー指示のマイナス)と記号化します。子どもが指示に従ったり従わなかったりするのも、記号化します。その子どもの反応に対して私たちが取る行動も「P」(Praiseー褒める)、「S」(Specific Praiseー何が良かったか指摘して褒める)などと記号化します。難しい記号化は止めておくとして、こうやってデータとして解析すると、私たちがどれくらいの割合で「ダメ」と行っているのか、どれくらいの頻度で褒めているのか、一目瞭然になります。さらに言えば、指示を出して子どもが従っているにも関わらず、どれだけ私たちが「褒め忘れているか」にも気づかせてくれます。褒めていないのに、「指示に従わない」と文句は言えませんよね。同様に指示を出して子どもが従っていないにも関わらず、何も行動しないのも問題です。指示に従わなければ、(もしできないのであれば)やり方を教えてあげたり、(もしやりたくないだけであれば)しっかりと手を掴んでもやらせたりしなければ行けません。こういった小さなやり取りの積み重ねが、子どもの行動を徐々に変えて行くのです。
 でもよく考えれば、良い行動を褒め、指示に従わない行動を見逃さないというのは、本来の教育では当たり前のことですよね。昔から評判の良い先生は子どもの良い行動を見逃してないはずです。指示に従わない行動も真摯に対処してきたはずです。ABAと言えば、何となくアメリカから来た物で目新しいことを期待される場合もありますが、実際はこういった地味な作業であったり、当たり前なこともするのです。当たり前のことを形にすることも、当たり前のことを「良い」としっかり再認識することも、時には役に立つものです。

2013年12月18日水曜日

小さな問題解決

 先日牛丼が食べたくなりました。松屋さんと吉野家さんがあって、松屋さんの方に行ったんですけど、何故かドアが開かないんです。ガラスの向こうにお客さんが牛丼食べている様子が見えるけれど、何故か自動ドアが開かなくて私は入れない。最近の自動ドアって、ちょっと触ったりしないと開かないようになっているのってあるじゃないですか?そういうのだと思ってボタンを探してガラスを触っていると、なんだか一人でパントマイムしているようで、非常に恥ずかしい。もしかしてドアが違うのかと思って、立ち去るふりをして周りを歩いて行っても、他にはドアが見つからない。恥ずかしくなって結局吉野家さんにしました。もちろん、「ここに入りたかったわけじゃないんだ」、というような演技で立ち去りましたけど。吉野家さんは良いですよ。中に入れる。牛丼屋さんに入れないのって、もしかして私だけでしょうか・・・。
 人生ってこういうことですよね。毎日色んな問題がある(私だけかも)。でも、療育では私はわざと「もしかしたらこんな言葉はしらないかも」という言葉を使ってみます。知らないことを言われてどうするのか?それが普通の生活に近いと思います。人の言っていることがすべて分かる子どもっていないじゃないですか?あまりに言葉を子どもに合わせてしまうと、学校や他の場面でそういう普通の問題に打ち当たってパニクったり、問題行動を起こしたりしかねません。(療育の最初の場面では子どもが分かるように言葉を選択するので注意!その後徐々に切り替えていきます。)
 それから「消去」のところで少し話しましたが、子どもが問題にぶつかった時にも、「わからないねえ。難しいねえ。」などと共感するようなことを言っても、答えをすぐに教えません。すぐに答えを教えてしまっては、「そういう場面に色々なことを試してみる」という大切な行動が学べません。外国に行った時を考えれば、相手に自分の言いたいことが言えないですよね。その時に、黙っていたら分からないじゃないですか?何か色々、間違っていても、ジェスチャーでも何かした方が、意思が伝わる可能性が高い。何もしなければ、問題行動を起こしていれば、可能性はゼロです。私も松屋の牛丼は食べられなかったけれど、吉野家のは食べられた!それで良いじゃないですか。小さな問題解決。こういう小さな問題を解決出来る場面を一日何度もします。障害がある子どもだと、逆に「できないから」と勝手にこちらが答えをすぐに教えてしまう場合が多いです。それでは「何かトライしてみる」という行動は学べません。
 さらに、ここからは私の個人的な経験からですが、言葉が出来る子には、言葉の使い方も教えます。私たちって言葉で、「もしかしたら、ボタンがあって、押せばドアが開くのでは?」等と考えながら色々な方法を試します。そういう自問自答のような言葉の使い方も、徐々に出来るように教えていくので、「できないね。じゃあ周りをみてみようか。」「こっちがだめなら、他にはやり方ないかな?」等と言う言葉をプロンプトします。 言葉で間をつなぐと、すぐに諦めずにちょっと色々試すような行動にもつながり易い気がします。

イヤイヤ期

 「イヤイヤ期」ってありますよね。英語ではちなみに"Terrible two(ひどい2歳)"なんて言いますが、こういう言い方があるということは、文化を超えて2−3歳という時期が色々と指示に従えない難しい時期であるようです。私の教室にも、朝私の顔を見ると「先生イヤイヤ」と言う子がいます。「おはよう」と挨拶すると、「おはよう、しない」と返します。でも、他の子どもに気を取られていると(無視していると)、わざわざ私の目の前に顔を出して「せんせい、おはよう」と言って来ます。ちょっと指示を与えると「イヤー!」と叫んだり、わざわざテーブルの上に登って「テーブル登る、しない」と自分で言ったりしています(叱られる言葉を先取りしている)。しかし、「イヤ」、「しない」と言いながらも、結局たくさん楽しんで帰って行くし、色々教えられているし、色々観察しているからか、こちらが教えようとしないことまで等色々と学んでもいます。「イヤ」と言いたい、言われたことをやりたくない、やってはいけないと言われたことをしてみたい、という時期なんでしょうね。私も無理に抑えつける様な教育は避けています。
 イヤイヤ期はもちろん誰にでもあるということではなく、何の反抗もなくのんびり育つ子どももいます。ちなみに私の母親によると、幼児期の私は何の問題もなく楽に育ち、私の姉は反対に大変だったようです。そうかと思えば、私は40過ぎた今頃でも会うたびに「イヤイヤ」反抗し、万年イヤイヤ期に突入しています。うちの母親は「ああした方が良い」「こうした方が良い」と色々と忠告したいタイプなんですが、私は忠告されるのが嫌いなんですよ(勝手ということか)。うっとうしくなってイヤイヤ言っている私に、母親はいまだに「素直に聞きなさい!」って怒っていますが、言う方も言う方ですよね。40過ぎの男に何言ってんだか。まあ小さい頃楽だからと言ってそれが続くとは限らないということですね。
 おっと話を戻すと、治療教育で難しいのは「イヤイヤ期」だからこんなに反抗するのか、自閉症などの発達障害から来る特有の問題行動なのか、なかなか区別がつきにくいことでしょう。2−3歳だからと放っておいて良い問題なのか、積極的に改善させようとした方が良いのか、難しい時もあるでしょう。基本は問題行動が学びの障害になっているか、そうでないか、こちらはそれに合わせて反応を変えて行きます。学んでいるのなら、無理に「イヤ」を直す必要がない(「イヤ」が問題行動ではない)ということです。手間がかかるだけでは「問題」にしてはかわいそうでしょう。でも、2時間泣き叫ぶ様な場合はその分2時間学びが妨害されてしまったので、問題でしょう。ところで「イヤー!」と叫んだり、床に寝転んでわめいたりするような行動を改善させる際に、ABAでは基本的には「機能」という考え方をします。なぜこの行動をしているのかという理由が、行動の「機能」と呼ばれるものです。この問題行動の理由によって対処方法を変えるのが当然ということでしょう。
 例えば、「片付けて」と言われただけで、「イヤー」と叫んで床に転がる子もいます。自閉症の診断がある場合、「片付けなさい」とさらに強く指示を受ければ、先ほどの言ったように1時間でも2時間でも泣き続けるようなことは良くあります。これでは他の学習や活動に障害がでます。自閉症などの診断がある子どもは、ちょっとでもいつものやり方と違うとストレスになる(こだわりが強い)場合があるので、片付けという動作が難しいというよりも、例えば「片付けは親がするもの」という勝手なルールがあってそれを外れるので問題行動を起こすということも考えられます。いずれにせよ、片付けという一見簡単な課題の遂行が難しかったわけです。こういった場合は、課題遂行を徐々に少しずつ教えて行きます。片付けであれば、例えば最初はゴミ1つゴミ箱に入れるとか、本1冊を本棚に返すとか、簡単な片付けから教えて行きます。結局のところ子どもが泣いてもわめいても片付けをさせるわけですが、その代わり「ゴミ一つだけ」など、課題のハードルを非常に簡単にすることで成功体験を積ませて行き、気がついた時には「片付けは私ができる」というルールに変わっているということが理想ですね。
 これに反して、 健常発達の子に見られるイヤイヤ期の場合は、相手の反応をうかがっているというか、相手の反応が見たくて「イヤー」と言っている場合が多いのではないでしょうか。与えられた課題が「イヤ(難しい、面倒臭い)」ということを上回るくらい、お母さん、お父さんの怒った顔が見たい、とでも説明しましょうか。叫びながらも涙が出ずにしっかりと親の顔を見ていたり、まさに「ほら、僕ってこんなに悪い子。こんなことしたら、どうするの?怒るの?怒れないよね、だって僕2歳だもん。」とでも言っているかのようです。一つのことで2時間泣き続けることはありませんが、それでも面倒くさいかと言われれば、非常に面倒くさいです。相手の反応が見たいということが理由で怒っている行動なので、「またそんなことして!何度言ったら分かるの!」と感情的に怒ってしまうとか、ドラマチックな反応を見せるとか、こういった親の対応はまさに子どもの「思うつぼ」で、逆効果になります。まあ健常発達の場合、いつか過ぎ去る問題ですから(結構長引く子もいますが)、あまり騒ぎ立てず静かに待つのが得策です。冷静に対処というのは、「イヤー」と叫ばれてもやらせることはやらせて、「相手の反応を見たい」という子どもの欲求を満たさないようにしなければなりません。しかし、「相手の反応を見たい」という欲求自体は悪い物ではないので、逆にもっと正しい行動をした時に満足させなければいけません。例えばゲーム等で親が驚いたり、笑ったり、怒ったりといった喜怒哀楽を見せる等、他の楽しい行動をして同じ様なドラマチックな反応を見られるようにする必要があるでしょう。
 しかし、実際療育をする場合はそのコンビネーションといったことも多いです。 時にはこだわりのために泣いていて、時には本当に指示されたことが出来なくて泣いており、時には相手の反応を見るためにやっている。治療教育が上手く行って色々なことがわかるようになったり、前まではあまり興味のなかった人の反応が面白くなってくると、問題行動も少しずつ複雑になってくることがあります。これまでの単純なこだわりが抜けて、違ったこだわりに変わる場合もあります。いずれにせよ基本は同じことでしょう。何が目的になっているのかを推測しながら、対処を変えて行くのです。子どもは「イヤー」と言って泣いているだけでなぜ嫌なのか言ってくれませんから、「ちょっと出した課題が難しすぎたか?次は優しくして行く必要があるのか?」「ちょっとこちらの対処が感情的になりすぎているか?次からもっと冷静にする必要があるか?」等、色々子どもの様子と自分の対処を冷静に考察する必要があります。まあ自分の子どものことになると、中々冷静に対処できませんよね。そういった人間らしさも大切ですから、冷静でなかったからと言って、がっかりしないでください。子どももちょっと「イヤイヤ」がある方が子どもらしいですよ。完全を求めないところが、鍵になります。

2013年12月2日月曜日

性格タイプと失敗しやすい問題1:「ほっとけない」タイプ

 お久しぶりです。何ヶ月かぶりのブログ再開です。
 名古屋で仕事を面始めてから約1年になり、おかげさまで順調にお客様も増えてきました。なんだか突然忙しくなったような感じで「わたわた」してましたが、やっと気持ちが落ち着いて来ました。突然ですが、最近テレビなどでも紹介された「あべこべ体操」って知ってます?普段使わない様な筋肉の動かし方(体の部分をあべこべに動かす)をすることで、肩こりをほぐすんだそうです。私は結構「健康系」のもの好きなんですよ。テレビを見ながらやってみたのですが、あべこべにするって、本当に難しいですよね。テレビで見本を見ても体操の真似が中々できなくて、イライラする。新しい仕事を始めるって、そんな感じですかね。今まで使ってない筋肉を使うというか、今までやったことのない生活習慣のやり方で、実質上の「忙しさ」というよりも生活習慣の変化とか気持ちの切り替えに体がなかなかついて行っていなくて、必要以上にぐったりする印象です。加えてこの何ヶ月かで引っ越しもしたり、私的な人間関係でも色々あったりで、大変でした。まあブログネタも色々あったかな?またボチボチですが、これからもブログでお知らせしていきますね。よろしくお願いします。
 ちなみに皆さん背中で両手を(片方を肩の上から、もう片方を肩の下から曲げて)合わせられます?テレビでは「あべこべ体操」をした人が、体操終わった後でこれまで触れなかったのに触れるようになった!っと言っていましたが、私は全然でした。どういうことだ?誰か効果があった人あったら教えて下さい。
 今回は、私が臨床で観察して来た子ども達の性格のタイプと、その子ども達の陥り易い問題等を取り上げます。第1弾は、「ほっとけないタイプ」または「省エネタイプ」と読んでいます。 これは、自分のエネルギー(労力)をなるべく使わないで生活しようとするタイプ。困ったことがあっても、できるだけ自分から積極的に行動したりせずに、「困ったなあ」と困ったまま待つことが多く、そのため周りの人が「ほっとけない」とつい思って手伝ってしまうため、周囲から色々とやって貰うことが上手です。こういった人は、世の中に必要ですよね。人の世話を見たい人はいくらでもいますし、逆に体を動かして精力的に行動する人よりも「もてる」タイプかもしれません。自閉症に関わらずよくある性格のタイプだと思いますが、発達障害とこの性格タイプが重なるとちょっとというか、色々不都合が出て来ます。
 幼い子どもで、発達障害があり、「ほっとけない」タイプ、この3つが重なるとどうなるか?たまらなく「かわいい」のです。自分で問題解決しないので、困ったまま悲しそうな顔をしています。ちょっと泣いてみたりします。やってあげると、にこにこしています。親がやってあげない訳には行かないでしょう?気づいた頃には結局親がすべてやってしまっているので、これはこれで上手いスキルかもしれない。親も「この子はできないから」なんて文句を言いながら、でもまんざらでもなさそうです。やはり、子どもの面倒を見るのはある意味親の幸せですからね。上手に出来ない子って本当にかわいいんです。そのため、子どもはすべてやらなくてもスルーしてしまいます。着替えや片付け、あいさつ等を含むコミュニケーション、さらに遊びや時には食事まですべて文字通り「お膳立て」してもらって生活が済むので、その副作用として学ぶ機会が格段に減ってしまっている状態にある場合が多いのです。「遊び」をやってもらうって、どんな感じか想像できますか?自分でオモチャを取りに行ったりして積極的に遊ばず、椅子に座ってぼんやりしたり、カーペットに寝ころんでグダグダしたり、ということです。「もう、この子はいつもこんな感じなんですよ」と言いながら親はオモチャを持って来てあげたり、本を読んであげたり、結局何もしない方が色々な物が向こうからやってくる仕組み。
 このタイプは、色々自分からやる楽しみを経験させてあげる必要があります。自分から自発的に動いて何か楽しいことがある(強化といいます)経験を積ませる、もっと言えば、ぼんやり待っているより自分から働きかけた方が早いし、楽しかったという経験が何度もなければいけないのです。ただし言うのは簡単、こういった経験させるのは忍耐力が必要です。「待ち」の勝負になるからです。例えば、靴箱に靴を入れる。靴ぐらい入れられそうなもんじゃないですか?でも、子どもが自分から靴を入れるのを待って放っておけば10分でも20分でも玄関で中に入らずに待っていることだってあります。玄関で20分はつらい!しかも、可哀想な感じで悲しげに泣く訳です。「玄関で泣いている子どもを20分も待たせて入れてあげないなんて、何てひどい親なの?」といった感じになってしまいます。でもこちらがやってあげると、子どもからすれば「やはり待っていた方が得になる」訳で逆効果になります。待ってでもやらせた方が、長期的に見ればずいぶん時間の短縮になります。幼い子どもの場合、靴を下駄箱に入れることを完全に自発でこなすようになるだけで何ヶ月もかかる場合もよくあります。しかし色々自分でやらせて行くと、何となく印象が変わって来ます。動きが活発に早くなり、ぼんやりしていた子どもが何となく楽しげになります。「こうしたい」「ああしたい」という自我も強くなるので逆に面倒かもしれません。でも、それがもっと子どもらしいでしょう?
 私の所に来ると、「やってあげないで下さい。」という所から始まります。そう言うと、大抵「え?」っというような表情をされます。 やってあげていることにも大抵気づいていません。「だってこの子はできないから、やってあげることが当たり前になっていたのです」ということでしょう。でも、本当は「出来ない子」ではなくて、「やろうとしない子」なのです。出来ないのではなく、ただの「省エネ」なんです。私はお母さん方に、「この子が自分でできます。」といって手助けしないようにお願いします。最初は大抵泣くところから始まります。「ええ?荷物持つってどういうこと?」「ええ?靴片付けるって何?それって、お母さんが持つ物じゃないの?」ということです。怖い怖い。でも、もっと怖いのは将来です。家庭から学校等に出た場合、先生や知らない人から見ると、何もしなくてぼんやりしている子どもの状態から「この子はできない」と瞬間的に判断されて、すべてやってもらってしまう場合が多いのです。集団場面では、どうしても色々なことが常に起こっているので、なるべく手間がかからない方がに流れ易いので、先生がやった方が逆に時間が省けます。本当はできるはずのことをやらないということは、本当は受けるべきはず教育の機会がどんどん失われるということです。早いうちから、自分でやらせる訓練はしていきましょう。