ABAの誤解:極端なもの

 久しぶりの投稿になります。みなさま元気でやっていらっしゃいますか?ここ最近やっと暑さが落ち着いてきましたね。昨日と一昨日はクーラーなしで寝てしまいました。
 先日「カプセルホテル」に泊まりました。いや、面白いですね。日本ならではですね。サウナや温泉(人口ものだけれど)がついていて、24時間いつでも入れる。ただでマッサージチェアーもある(大好き)。朝食にインスタントコーヒーとバターロールまでついてきた。面倒くさいのはお風呂やロッカー、ベッドなどがそれぞれ別の階にあり、エレベーターが1つしかなく、階段も非常時以外は使えないこと。ベッドはそれほど快適ではなく、近くの人のいびきや目覚ましの音も聞こえる、ということかな。また泊まりたい?微妙なところだね。面白いのは確かだ。便利なのも確かだ。4千円弱で泊まれる安さも魅力だ。でも、人のいびきを聞きながら眠れます?
 最近感じるのですが、ABAが良いものか悪いものか、「微妙」というような印象を持たれている方が多いのです。ABAは最近結構有名になって来ているらしく、私の所に来る方もABA知らなかったという人はまずいませんね。「必要だ」と言われて来る方もいます。良い情報が色々と出回っているというのはやはり嬉しいですね。ただ嬉しい反面、妙な誤解というか偏見というようなものも出来てしまっているようですね。テレビで紹介されることも増えたからでしょうかね。テレビではやはりインパクトが強いように作らないと面白くない、視聴率が伸びないということもあって、一部が誇張されて紹介されてしまう等、誤解が生じることもままあることだと思います。よく言われるのが、「ABAは無理にでもやらせる(泣かせても無視する)」 というような漠然とした印象です。確かに、泣いていても指示したことをやらせるということはありますが、それ一本やりでは明らかに失敗するでしょう。私もできれば泣かせないようにやるように工夫もしますし、無理強いするのがABAだということは大変な勘違いと思います。逆にそういう「ABA(と称するもの)」を見たら、逃げて下さい。また、時折言われるのも「先生は強化子(お菓子)は使わないんですか?」 お菓子を使って子どもを動機づけるというのがABAということでもないんです。できれば使わない方が良いでしょう?私は使うこともありますし、使わないこともあります。
 一番の間違いは、「ABAとはこういうものだ」「ABAがこうあるべき」というようなものがあると考えることです。ABAとは、できるだけ方法や形にとらわれないものなのです。色んな方法を時と場合によって使い分ける当たり前なのです。例えば、見た目が同じ行動を減らすのでも、その行動が起こる理由によって違う方法をとらなければ失敗に終わると考えるのがABAなのです。同様に見た目が同じ行動を増やすのでも、環境や歴史などを考慮してやり方を変えることが当然なのです。時には「ええ?」と驚くような方法になることもあるかもしれませんが、大部分は比較的常識的というか常識の枠組みを大きく超えない当たり前の教え方になると思います。「自閉症」などと言った大きな問題を前にすると、当たり前のことを忘れることってありません?それを気づかせるのが私たちABAの専門家の仕事だと思います。

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