2013年6月30日日曜日

ABA:ディスクリートトライアル

 私が教室に使っている愛知県清須市の西枇杷島町というのは、昔ながらの建物を残している所なんです。私の教室も「古民家」を少しだけ改造したものと何度もどこかに書いたような気もしますが、古いといっても築30−40年というレベルではなく、実際にどれくらいの年数が経っているのかは知りませんが、少なくともその倍は、もしかしたら3倍経っているような、アンティークというか骨董品と呼べるまさに「古い」建物なんです。使えば使う程「味」がにじみ出て来て、愛着が湧いて来ます。教室の奥の方は、はっきり言って半壊状態なので使えないのですが、台所とかお風呂とかがあって、さらに奥は外に出て壊れかけた「離れ」もあるんです。昔の人は細く長い敷地に住んでいたんですね。そして実は2階もあるんです。これまでは大家さんの物が詰まっていたのですが、「ちょっと泊まったりしたい」などとわがままなを言ってみると、「使って良いよん。」(大家さんはこんなおバカな返事はしませんでしたが)ということなので、使えるように掃除させていただきました。もう何十年も使ってなかったんでしょうね。埃がすごかったのですが、一日で見違える程きれいになりました。窓枠とかが木枠なんです。雨戸も木でできてる。もちろん畳です。円卓がある。三味線がある。ダイヤル式(プッシュじゃなく回すやつ)の電話がある。小槌を持った恵比寿さん(小槌を持った神様って、大黒天だっけ?)がいる。ステキ。窓の低さが良いんですよ。畳に正座すると、ちょうど腰よりちょっと上くらいの高さに窓があるので外が楽に眺められる。風がよく通って気持ちいい。何となく外を眺めながら小説家にでもになった気持ちになる・・・(実際にはあまりにゆったりとリラックスするために筆ははかどらないため、妄想のみ)。
  さて本題に入って、「伝統的」と言えば、ABAのディスクリートトライアルもかなり広まって来て、こういわれても良いぐらいになって来たのではないでしょうか?ちなみに翻訳すると「不連続試行」なんて言われますが、日本語にして意味が分かり易くなっていないと思うので私は使いません。基本は1、2、3です。1、短く明確な指示を与える(行動のきっかけがある)。2、子どもがそれに従う(子どもの行動がある)。3、褒める(子どもにとって良い事がある)(子どもの行動を強化するような結果がある)。これを実際に何百回、何千回も繰り返す事で、本当に小さな行動を徐々に教えて、積み上げていく方法です。人を変えるにはどうします?心を変えます?行動を変えます?心の中を変えるのではなく、直接行動を教えて人を変えるというABA的な発想から生まれた方法の一つです。この方法が広まったのは、セラピーのやり方が明確に示されていてかなり分かり易く、セラピーをする方も比較的容易にそのスキルを学ぶ事ができるからでしょう。もちろん名人芸になるぐらい上手にこなすには簡単とも言えないです。実際に上手い人がやると、子どもの乗り具合(スキルの伸び具合)が断然違います。
 このディスクリートトライアルは、実はABAには昔からあった方法の一つなのですが、80年代後半にUCLAのロバース博士が自閉症児の療育に使って大きな成果を上げた研究を出した事で、一躍有名になりました。といっても、アメリカでも広まったのは最初の発表から10年以上後ですね。ロバース博士の研究では週に40時間(一日8時間)という膨大な時間で行われました。机に子どもを座らせて、単純な指示に従うことを教えたり、模倣する事を教えたり、マッチングすること(同じ物を二つ一緒に合わせる)を教えたり、膨大な時間をかけて、言って見ればありとあらゆる言葉や遊びの基礎の行動を教えていった訳です。自閉症と診断された2−3才児に2年ほどそれを続けて、半数に近い子どもが健常発達の子どもと同じクラスで勉強できるようになったと言いますから、ロバース博士は大変な結果を出しました。最近は週25時間でもかなり有効な結果が出るとの研究が出ているので、40時間までやる人は少なくなりました。アメリカで療育が行われる時は(学校や保険会社などから療育が支払われる際も)、大体週25時間くらいが推薦されるのはこの研究の成果を参考にするためです。私の経験からすれば、1日1時間でもそれなりの効果があるでしょう。
 日本でも最近結構やられている方が多いので驚きました。私の勉強していたウェスタンミシガン大学では、このディスクリートトライアルを実習の授業で教えてもらい、実際に経験出来る。経験のない大学生が療育をやる代わりに、公立の幼稚園に通う3−4才児がABAの療育を無償で受けられるのです。毎学期大体30−40人くらいの大学生が実習を受けます。比較的容易にできると言いましたが、大体どんな学生が来てもある程度のところまでは療育が出来るように成長します。でも、毎学期一人くらいは「何度練習させても、何度説明しても、何度見本を見せても、なかなか上達しない。どうしてもこの人には療育を続けさせられない。」という大学生さんが出ますね。大体私が個別に面接して可哀想だけどセラピーはやらせられないと伝えなければ行けません(一生懸命頑張ろうとする学生だったりすると本当に可哀想)。大学生の教育も大切ですが、やはり子どもの療育も同様に大切なので、下手にやられて子どもを苦しませる訳にはいけませんからね。
 本当に効果のある療育法の一つではあるのですが、あまりに有名になったために、ABAとディスクリートトライアルを同じ物と勘違いされる人が大勢で出ました。ABAというのは、そのディスクリートトライアルというような発想が出た考え方であり色んな方法の入り交じった学問の領域なので、自閉症に限らず色々なことに役立てることができます。また、ABAの中にディスクリートトライアル以外にも自閉症に有効な方法はたくさんあります。座って色々と勉強をさせるロバース博士の方法に対して、その方法では行動が般化しない(勉強中はできても他の場面ではできない)、というような批判がでました。私の経験からすれば、ディスクリートで教えた事をすぐに般化させてしまう子どももいれば、そうでなくてかなり色々と工夫しなければ般化できない子どももいます。その流れから生まれたもので、自然環境のトレーニング(Natural Environmental Training: NET)というのがあります。これには、PRT (Pivotal Response Training、基軸となる行動のトレーニング)などが含まれますが、子どもの自発性を尊重するタイプのABAで、詳しくはまた次の機会にでも触れます。
  ロバース博士の行われた療法がディスクリートトライアルと考えられて一般的には問題がないのですが、正確に言うと少しずれる場合があります。元々のディスクリートという言葉の発生から考えれば、明確な始まりと終わりがある事からこういう名前になっています。ですから、1)はっきりした行動へのきっかけがあって、2)行動があって、3)行動への結果がある、というこの3つがあればディスクリートトライアルになります。例えばご飯を食べ終わったあと、お母さんが「じゃあ片付けて(行動のきっかけ)」と指示し、子どもが片付けをして(行動)、「あら、良く片付け出来たね(行動への強化)。」と褒めるという一連のやり取りをしたとします。自然な環境でスキルが教えられていますよね。般化もしやすいでしょう。それは机で座って行われた訳ではないけれど、実はディスクリートトライアルなのです。
 ディスクリートトライアルが良いか悪いかで言えば、かなり効果的だと言えるでしょう。ただし、これですべての問題は解決しません。万能薬でも、やってもダメだということでもありません。セラピーの良い道具と考えた方が良いでしょう。なので、「道具は使いよう」と割り切って、使える所はしっかりと使い、これで難しい所は無理にこれだけで解決させようとしないことが大切です。

2013年6月21日金曜日

ABA消去:パート2(問題解決)

 実はもう2月程前になりますが、うちのひまわり教室がネズミの被害にあったことがあるんです。「古民家を使っている」という事実を甘く見ていたんでしょうね。よく考えれば、色々ネズミの通れる穴みたいなものもあるでしょう。油断していました。というか、ゴキブリはあってもネズミが家に入って来るというような経験がないので、ちょっとと言うか、かなりショックでした。子どものおやつに出したり、強化子に使ったりするようなお菓子が用意してあったんです。小さな個別包装になっているようなやつです。半分開けたダンボール箱の中に入れて、棚の一番高い所に置いておいたんです。週末明けで教室に帰ってお菓子の箱を見ると、ダンボール箱のなかにいっぱい小動物の足跡、抜け毛、排泄物が落ちていていました。今想像しただけでもぞっとしますね。よく見るとお菓子の個別包装の袋に丸く穴があいて、その中からお菓子を出して食べていたようなんです。まさかプラスチック包装やアルミニウムっぽい包装も食い破るなんて、その時点で私の想像をはるかに超えています。「こ、これは・・・。ネズミってもしかして病気をもたらす?ネズミが触った所を消毒しないと、教室の子どもが二次感染するかも?」それから3時間くらいかけて掃除、消毒、掃除の繰り返しでしたね。こういう時一人の商売って、嫌ですね。誰にも話せずに黙々と掃除なんて、「くやしー。」としか言いようがない。
 少ししてさらに思いついたのが、「も、もしかして・・・。またやって来るかもしれない?」ホームセンターへダッシュしましたね。ネズミ駆除関係商品コーナー直行です。ネズミの嫌いな臭いのするものや、ねずみ取りのマットも。でも、これはゴキブリホイホイのでかいバージョンみたいな粘着版です。「でもこれって、ネズミが捕れたらどうするの(見たくねー)?しかも、ネズミが一匹捕れたからと言って、一匹見たら何十匹もいるんじゃないの(それって、ゴキブリ?恐怖の大量ネズミの想像図)?」そう考えたら、駆除するよりも食べ物をなくす方法にしました。取りあえず食べられそうなものは、固いタッパーウェア系の入れ物に入れる。食べ物とそのにおいさえしなければ、ネズミが来る意味がない。来ても長居しない。結局の所それから何ヶ月かネズミは帰って来ていません。でも月曜日になって教室を見ると、ちょっと怖くなります。時々古民家の土壁から落ちた土を床に見つけると、「まさか!」とねずみ取りと食べ物の場所をチェックしに行きます。もうトラウマになってる。
 すっかり前置きが長くなりましたが、ネズミが来るというのは強化子となる食べ物があるから。それをなくすことによってネズミの訪れる行動を下げるというのを、消去と言います。前にも問題行動のところで話しましたね。実はこの消去、行動を下げるという他に、もう一つの効果があるんです。行動のバリエーションを増やすんです。これまで行動の後にもらえていた強化子が、突然貰えなくなる。こうなると、その行動を逆に何度も繰り返したり、徐々に行動が少なくなる事は比較的良く知られている。しかし、これまで取らなかった行動というか、新しい行動が増えることも観察されているんです。自動販売機でお金を入れてボタンをおしてもジュースが出て来ないとすると、「馬鹿野郎ー」って言ったり、自動販売機を揺すったりしますよね(新しい行動)。そういうイメージです。
 療育ではこれを逆に利用するのが望ましい。例えば、子どもが何か欲しいとして、親が「ちょうだい」と言って要求する事を教えます。でも、次には手伝って欲しい時にも、「ちょうだい」と言ってしまう。「ちょうだいじゃなくて、手伝って、でしょ。」などとプロンプトします。子どもは「手伝って」とその時言ってくれるとします。そうすると次に手伝って欲しい時はどうなるか?次にも、「ちょうだい」って言ってしまうんです。「ちょうだい」→(親が何か言ってくれる)→(それを繰り返す)の一連の動作が強化されてしまうからです。私が療育をやる場合は、「ちょうだい」と言って手伝って欲しいものを手渡されたら、「 どうぞ」と言ってそれの物を返します。言葉通りの結果をあげるのです。正しいことを言えば、すぐに手伝ってもらえるが、そうでない限りは強化子がすぐに来ない。すぐに「手伝って」などと答えをあげてはいけないのです。これは専門的に言うと、「分化強化」とも言いますが、正しい行動を強化して正しくない行動を消去させる方法です。消去が入っているので、色んな行動が出ます。それが良いのです。その中の一つは正しい行動かもしれません。逆に問題行動もでるかもしれません。でも、この「上手く言わなければ、欲しいものがもらえない」という状況がなければ(すぐに答えを与えてしまっていては)、正しい行動を自発する事は教えられません。
 わたしの所に療育に来ると、かなり「じらせる」ことが多いのです。初めて来る子どもは「今までお母さんでは通じていたコミュニケーションが通じない」ということですから、びっくりでしょうね。いつもすぐに答えを貰っている子どもは、すぐ分かりますね。自発が少ない。欲しいものが貰えなくても、何も言わずに待っている。そしてしばらくするとイライラする。でも、このイライラが必要なんです。ここで、正しい答えを自分から見つけ出す傾向を育てないと。自分から問題解決する傾向を育てる必要がある。問題がある時どうします?「こうすれば良い?ああすれば?」って色々試してみないと、ただ待っていても解決しないじゃないですか。お金を入れても出て来ない自動販売機があるとして、揺すったり「バカヤロー」って言っても出て来ないかもしれないけれど、何もしないよりはジュースが貰える可能性が高いですよね。色々トライしてみる傾向を育てることが重要になります。

療育家として残したいもの

 実は先日私の10年来の友人が亡くなりました。ほぼ同年代でしたので、初めに知らせを聞いたときはそんな事があるとは全然想像さえしていなかったので、文字通り「は?」と聞き返してしまいました。その後少し慌てました。
 友人はまだABAなどという言葉は知られておらず、自閉症への教育なんてあまり話されていなかった10年以上も前から療育の仕事を立ち上げられた方で、立ち上げに際して私がいたウェスタンミシガン大学へしばらく来て療育を見てもらったり、アメリカで一緒にワークショップに参加して私が通訳したりしました。「大きな会社にするつもりはないが、療育する側が生活を成り立たせるだけのしっかりとした収入のある、質の高い信頼のある会社に仕上げたい。」と言っていたのを覚えています。日本に帰って来て会いに行くたびに、会社が徐々にうまい方向へいっているのが目に見えました。
 通夜に行って友人のお母さんから初めて急性のがんで亡くなられた事を知りました。入院して10日という事です。あまりに事が早かったので、連絡する機会もなかったのでしょう。友人等の若い人の葬儀には初めて参加するので 、戸惑いました。親に相談して喪服や数珠等は用意できたけれど、すっかりハンカチを忘れていて、涙をうまく拭えませんでした。通夜では療育を受けた自閉症の子ども達も大きくなっていて、「生き返って来てね。」などと話しかけていました。帰りの電車で、一緒に葬儀に参加したであろう親御さん達の話が聞くともなく耳に入ってきました。「学校でのトラブルで本当に困って相談してみたんだけど、わざわざ学校にまで行ってくれたんだよ。先生と色々と一緒に話してくれて、一発で問題が解決したよ。あの人はカリスマ性もあったし。」本当に、生徒さん達やお母さん達の人生に大きな影響を与えていたのですね。こういった伝説は語り継がれていくでしょう。
 帰りの新幹線で私と友人に対してビールを一本ずつ買いました(結局私が2本飲んだという事ですね)。最後にもう一回でも一緒に飲めたら・・・。仏壇に食べ物を添えるのは、こういうことなんだなあと思いました。自分のためにするんだなあ、と。人生いつ何があるか分からないですね。小さくても良いから、質の高い、信頼のある会社。お母さん達からその療育の成果が語り継がれるような仕事。実際ところは本当に一握りの生徒さんや親御さんを満足させられれば、十分ですね。友人から学ぶ事が本当に多かったと思います。初心を忘れないように、友人の分まで真剣な療育をするつもりで、これからも頑張らなければ行けませんね。

2013年6月15日土曜日

考えるという言語行動

 毎年5月の終わりには、アメリカで行動分析学会があるんです。5月の終わりはどこで開催されても気持ちの良い季節ですね。今回は入国でいじめられました。「職業は?」と言われていつもこまります。「自閉症の子どもを教えています。」なんて言うんですけど、世の中には自閉症って知らない人もいますよね。 「では教員か?」と言われると教員免許持っていないのに教員だとは言えない。「サイコロジスト(心理士)か?」と言われると心理士の免許も取らなかったのでそうとも言えない。かと言ってBCBA(認定行動分析家)なんて言っても、自閉症療育の関係意外はまだ一般には知られていないので、一から説明する気にもなれない。にこやかに、「発達障害の子どもを教えています。」といっているのに、「職業を聞いてるんだ職業を!」「そこへ立て。」「お前は俺の質問をしっかり聞いていないんだ!」「そんな微笑みなんていらないんだ!」「お前がちゃんと答えないから、後で待っている人の時間を取るんだ!」なんて次から次へと言われました。お前がちゃんと聞いていないんじゃないか。明らかに自分の力関係を誇示したいタイプなんでしょうね。入国早々いきなりこれじゃあねえ。ああ、アメリカに帰って来たなあ。丁寧に扱ってもらえる日本が遠い・・・。
 今年はポスター発表しました。今回はアメリカにいた時にした、ちょっとした基礎実験を発表しました。私は臨床にいるので基礎実験なんてしたことないんですが、今回は人の言語行動についての興味を楽しんで追求してみました。私は人の言語行動って、見えない部分が多いと思うんです。つまり頭の中で考えるということです。私は一日中色々な事を考えていますし、そうすることで得になることが多い(何らかの強化がされている)から考えているんだと思います。思考というものも、一つの行動として捉えることができると思うんです。ただ、見えないからあまり研究されていない(笑)。行動主義というと、見える物に焦点を置くような印象があると思うんですが、見えないことを無視せず、むしろ積極的に分析する人たちをラディカルな行動分析家と言います。今回の学会でも、そういった見えない部分に目を当てた研究の発表がいくつかありました。
 認知心理学の人なんかは、人の認知を行動の説明として利用します。例えば、自己認識が「私は太っている」だから、実際には痩せていても拒食をしてしまう。拒食という行動を認識で説明した訳です。でも、実際には認識が行動の原因なのかという因果関係は、そう簡単には証明できない。私は行動分析的な視点から、頭の中のプロセスがどうやって行動に結びつくのか、その因果関係を証明したかったのです。
 今回やったのは、「単純な質問に答える」ということにも、頭の中の色んな行動があるからこそ「答えられる」ということを実験で示しました。実験では、10枚の写真を見せて(トマト、机、Tシャツ等)、20秒待って、その後、「では見せた写真を思い出せるだけ思い出してください。」と聞く訳です。過去に見た物を言うという単純なことですが、 見た写真の名前を繰り返したりといった頭の中のプロセス(行動)がないと、この質問には答えられない(思い出せない)とにらんだ訳です。まあ、頭の中での行動は見えないので、頭の中での思考を口に出して語ってもらうようにしました。結果は?色んなことを頭の中で考えていましたね。実は頭の中で写真の名前を繰り返すのではなく、食べ物とか洋服とか種類に分類したり、写真を使って物語を作ったり、色んなことをしていました。そして、この頭の中での行動を完全に起こらないように、計算問題等をやらせると、質問に答えられなくなるのです。さらに言えば、こういった頭のなかの行動がまだ自然に起こらない5才の子どもに、分類していく作業(大人が頭の中でやっている作業)をやらせると、大人のようにたくさん覚えていられるようになるんです。
 どうやって単純な質問に答えられるのか、過去のことを思い出せるのか?その答えは、(頭の中の)「色んな行動を通して」です。知らず知らずのうちに、質問に答えるという課題を(問題を)解決するために言語行動が頭の中で起こっているのです。逆に言えば、言語の遅れのある子どもには(言語を自然に学びにくい)、こういった頭の中の行動を教えて行かないと、将来大人のような行動ができないということもあるかもしれません。私が、「独り言は大切な基軸になる行動だ」というのは、こういうことです。頭の中での行動を言語を教える際にはしっかりと捉える事が必要だと思います。
 世の中にはまだABAで解決できないことがたくさんあります。しかしこういう単純な実験等から、行動の科学は先へ進んでいくのです。

2013年6月6日木曜日

時間をかけて培うスキル

 しばらくぶりにブログ再開です。2週間以上ですね。アメリカであったABAの学会に参加していたのと、私事ですが心痛いことがありました。この事に関してはまた他の機会にブログで紹介させて頂きますね。これからは、またちょこちょこずつ情報を紹介して行きますので、よろしくお願いします。
 昨日奥田健次先生がまた朝のテレビで紹介されていましたね。今回は15分くらいかけて、しっかりと奥田先生のことを追われていて良かったと思います。「ABAって一体なんなんでしょう?」というような問いかけと回答がされていて、本当にこういった機会で徐々にABAのことが紹介されるようになると嬉しいです。ABAは自閉症関係以外一般的な知名度はまだあまりないですから、奥田先生のような先生の出られるテレビをきっかけに、一般的な興味が増えると良いなあ。ちなみに奥田先生とはアメリカのABAの学会では飲み会の席でご一緒させて頂きました。実はそこで昨日のテレビ放映についてを教えて頂いたんです。気がついたら以前一緒にテレビに出ておられた杉山尚子先生も一緒に席にいて、有名どころに囲まれておりました。特に杉山先生とは毎年学会でお世話になっていますが、お二人とも別にテレビに出られたからと言って変わりなく、「だからどうなんだ?」という感じでしたかね。でも何となくテレビって、ウキウキしません?ちょびっとウキウキ(ちょびウキ?)でテンション上がったのか、調子に乗ってお二人の証拠写真まで撮ってしまい、よく考えれば迷惑でしたね・・・。
 テレビではどうしても華やかなことやドラマチックなことがが取り上げられる傾向があるので、何となくすべての問題が速やかに解決されてしまうような印象になってしまいますよね。テレビで紹介されていたお母さんは、「トイレトレーニングの相談をして他の専門家の方は様子を見ましょうというような事ばかり言われるのに、奥田先生は具体的なアドバイスを言ってくれて、そのアドバイスに従ったらすぐに問題が解決した。こんな事を言ってくれた専門家の方は一人もいなかった。」ということを言っていました。まさにドラマチックな解決です。「問題がある」→「専門家に相談する」→「専門家がアドバイスする」→「アドバイスに従う」→「問題が解決する」というようなイメージでしょうか。まあ基本的にはそういうことなのかもしれません。私もアドバイスをして、同じ内容のことを言われた事もありました。このようにアドバイスだけで問題が解決に向かうことも結構あると言えばあります。
 でも、そう単純にも行かない事の方が実際にはたくさんあるんです。特に私のやっているような療育では「専門家がアドバイスする」→「アドバイスに従う」という部分にかなり時間がかかる場合があります。どういう事ことかと言うと、口でアドバイスされたり説明されて頭では納得できるけれど、実際には簡単に出来るようにならない、時間をかけて体で身に付けてもらわなければ行けない、という事がたくさんあります。例えばテレビで紹介されていた例を取ると、「ただ親が褒めたつもりではいけない。子どもがしっかり褒められたと感じられなければいけない。」というような言われていました。 子どもが指示に従ってくれないというのは、必ずと言っていい程、この「褒める」ということがしっかり出来ていないことが多いのです。しかも、「しっかりと褒められてないです」って言われて嬉しい人なんていませんよね。むしろ「しっかりと褒めている」と勘違いしていることが多いのです。「褒める」ということ一つをとっても、普段から一日中色々な場面で使うような生活習慣の一部と言えるかもしれません。簡単には変えられないんです。自分がどんな褒め方してるか、どれだけの頻度褒めているか、本当に適切な行動の後に褒められているか、実際の所第三者から見てもらってしっかりフィードバックというか指摘してもらわなければ、自覚しにくいんですよ。しかも、一回指摘してもらったところで簡単に改善出来ることではないんですよ。毎日のようにやってみて、指摘を何度も受けたり見本を何度も見せてもらって練習することで徐々に改善して行くタイプのものなんです。自分でやるとどうしても、「私の褒め方って良いの?」「やってみたけど、これって不自然じゃないの?」「やってみたけど別に効果が感じられない」ということが色々あると思うんです。そこで適切なガイダンスができるのが専門家の役目になります。
 人間というものは即席の解決策が欲しいものです。実を言うと、私もその一人です。でも、生活習慣を変えるというような「じっくり型」のも結構面白いんですよ。ゆっくりと親と子どもの関係が改善して行く。問題解決に対してアドバイスしていくというよりは、「育む」、「培う」というイメージです。私は療育でむしろこの方を大切にして行きたいんです。例えば書道を習いに行って、上手な先生から上手なアドバイスされるのも良いですが、それで突然書道が上手くなったりしないでしょ?毎日やって徐々に上手くなるものです。療育の仕方も徐々に上手くなるタイプのものなんです。私の所に相談に来て頂くお客さんも、月に一回だけとか、週に一回だけと言うのを希望される方も多いのですが、実は本当の良い所、じっくり育てる部分は残念ながら味わえないのかなと思います。私が「出来るだけたくさん来て欲しい」というのはこういう事です。