2013年4月29日月曜日

基軸となる行動を教える:Executive Functioning

 また東京に行ってきました。今回のメインの目的は東京にあるABA療育の会社へのスーパビジョン兼コンサルテーションの提供です。ABAで療育を頑張っているという会社があるというだけでも私的にはかなり嬉しいんですが、さらに私のような所にも相談に呼んでくださって、本当にありがたいです。他にもABAの大学の先生と面会していただく機会を作って頂いたり、アメリカ時代からの友人と夢について語り合ったり、色々収穫の多い旅でした。
 懲りずに何度も上京していますが、方向音痴には東京内での移動が大変なんですビジネスに慣れている方は、新しい場所も結構スムーズに移動出来るんでしょうか?私は昔から待ち合わせとかダメなんですよ。皆で待ち合わせをして私だけ全然勘違いした所に行ってたりして、皆と会えずに迷惑をかけた事もあります。そう言えば、この間東京で友人のカナコさんと一緒に電車乗った時は、つい話し込んで駅を乗り越しました。(一緒に乗り過ごしたカナコさんも相当やばいですね。)誰かに「ほら、次でしょ」って言ってもらわないと(専門用語ではプロンプトという)、降りるべき駅でおりられなかったりします。よく細かい所で失敗している。今回の上京で5回人と待ち合わせだったり、直接出向いたりしたんですが、よくよく考えてみればスムーズに行けた場所は1つくらいですね。道順をすっごい丁寧に書いてもらってあっても、なぜか迷う。うーん。最近は車のナビと同様、歩きでもスマートフォンを使って地図で示してくれますよね。やっぱり時代はナビだよ、ナビ。それでもやっぱり迷ったりして・・・。
  ナビを使わない場合、新しい場所に行く時には色々と計画というか道順を調べて、それに従って行くじゃないですか。だいたい頭の中で「このホームを降りて、1番線に向かって、快速の時刻を調べて」とか色々な計画を細かく立ててから(もしくは立てながら)歩い行って、その計画を実行して行く。こういうのって、Executive Functionなんて言います。日本語では何て言うんでしょう?実行機能?まあ名前はどうであれ、頭の中で行動の順序を決めてそれを実行することです。レシピ本を使って新しい料理を作る時とかも、ピーマンを出して、野菜を先に切ってから肉を切ってとか、ある程度の順序立てを自分で組み立てて実行するので、同じ事です。
 自閉症の場合やADHDだったりすると、こういう計画立ててそれに従って動くということが難しい場合が多いのです。何か思いつくと突然計画なしに立ち上がって動こうとするため、場当たり的な突拍子もない行動になってしまう。計画って、大人だけではなく子どもでも結構使うんです。例えば、4−6才くらいからごっこ遊びをだいたい始めますが、「俺は悪者の役、お前は○○マン」、「私はこっちを作って、あなたはそっち。」みたいな感じで役割分担するじゃないですか。それもかなりの計画立てと実行する力がないとできない。ボードゲームなんかはこの計画性がないとできない。あまりに行き当たりばったりする子は、年齢が上がるにつれてやっぱり友達の輪に入れなくなってくる。遊びだけではなく、朝の学校に行く準備とか、学校での生活でも徐々に色々な事が問題になって来る。
 ですから、私はこの「計画し行動する」ということを、基軸となる行動の一つとして教えて行きます。「基軸となる」と言いましたが、行動の中でも重要で(この部分は必要で)、木で言えば幹とか大枝の部分で、末葉ではない行動ということですね。私の経験からすればこの「計画し行動する」という行動も練習で改善することができます。遊びを使ってその中で練習させのが、一番手っ取り早く効果的です。例えば遊びを決めたら、役割分担を決めて順序立てるというか、誰が最初に何を持って来て、次に何を持ってくるのか決めます。最初はホワイトボードや紙に書きだしたりもします。例えば皆で「赤ずきんちゃん」の劇をするとします。赤ずきんちゃんとなる人形、オオカミとなる人形、おばあさんになる人形、ドアやバスケットなど用意する物を書き出します。それをどこの場所から持ってくるのか順序立てて書き出して、その順序に従うようにします。これはまあ第1段階というところでしょうか?こういった丁寧な計画立てと、「計画に従ったことで、いち早く準備を済ませて、遊びがスムーズに行った」ということを体験させると良いのです。もちろん口でも説明してあげるも良いです。何度も練習するうちに、書き出さなくても指等で「1、赤ずきん、2、オオカミ、3、おばあちゃん」というように数えながら計画を立てて、その計画を実行して行く癖を付けさせて、ボード無しでも頭で考えて、しかもスムーズに行えるように練習させていきます。
 それにつけ加えれば、「人に説明してからその場を離れる」という行動も重要になってきます。人と一緒に遊んでいる時に、突然ダッシュでいなくなったら変でしょう?でも、自閉症とかADHDとかだと考える前に体が動くというか、全然人に説明せずに行動してしまうので周りを混乱させてしまう。そう言えば、英語があんまり話せなくて、"Excuse me"が口から出て来なくて、会話の途中で突然トイレに走り出した日本人学生もいました。アメリカ人から、「何だったんだ?」って思われていましたね。遊びに戻れば、「あ、ちょっと赤ずきんちゃんを忘れたから取って来る」とか、言わせる(説明する)ように癖づけさせると、スムーズな会話や遊びに役立ちます。

2013年4月20日土曜日

受け身から自発へ

 合気道を始めてから2ヶ月くらい経ちました。完全に初心者で、しかもおじさんになってから始める人もあまり多くないでしょう。まだ受け身とかもあまりうまくできません。前受け身ってわかりますかね、前方回転するやつです。でんぐり返し最近した事ある人います?ああゆう感じなんですが、でも微妙にちょっと違う(らしい)。と言うか、回った時点で自分の体がどうなっているのかまで、わからなくない?最初はやり過ぎて(と言っても20回くらいかな)くらくらして、顔色悪くなりましたよ。フィギュアスケートの人が回る時見る方向を決めておくって言うじゃないですか。そういう感じで、回転してもすぐに(投げられた)相手に視点を集中させることで、目が回ることを防げるらしい。私には無理かな。後ろ受け身ってのもあって、後ろに倒れた後に回転しちゃったりもできるのですが、そっちはさらに難しい。何度やっても普通の後ろのでんぐり返しみたいになって、それではダメらしい。
 最近やっとちょっとだけ「投げ稽古」というのをやらしてもらえるようになりました。(こういう名前がついているかどうかは定かではない。)先生に、「投げて下さい」ってお願いして、何度も何度も投げてもらうんです。有段者がやると、受け身の人の体がきれいに空を舞う感じで、空中でくるりと回転して「バーン」と畳に投げつけられている。美しすぎる。私がやる場合、投げる先生の方も「こいつ本当に投げたら怪我をする」というのが分かってるから、かなり慎重にやってくれるんですよ。ですから見た目には、ただ「誘導者付きでんぐり返し」の練習をしている感じ。それでも何となく武道をやっている実感ができて、投げられるのが段々快感になってくるんですよ。「も、もっと投げて下さい・・・」とまでは言っていないが、ちょっとMな感じ。でも先輩方と話をしてると、皆投げられるの好きなんですよ。あれだけ美しく舞えれば違うでしょう。それは投げられたいでしょう。わかる、わかる。昨日も自分からお願いして投げられて、ちょっと肩が痛い。というのはやはり受け身が上手く取れていないせい。
 受け身と言えば、自閉症の子は自分から能動的に人との関わりを始めるというのが難しい。合気道の「受け身」とは違う意味ですね。最近読者から「むっちゃ強引に自閉症につなげる」と言われるが・・・ま、いっか。自閉症の子のは基本的に受け身に人から関わってくれるまで待つというか、たとえどんなに困っていても、自分から能動的には人に働きかけるという事はまず選択肢に入っていない。自閉症でない言語の遅れのある子どもは、言葉が出来ないなりに、近寄って来て語りかけようとしたり、指差したり、それなりに自分で伝えようという意思が伝わります。自閉症の場合は、視線も合わせないので、コミュニケーションしようという意図がないという印象です。重度の子どもは、欲しい物があってもただ泣くだけなので、相手からすると何に困っているか想像するしかない。親の視点からすると、子どものかんしゃくを防ぐために、親の方が子どもの欲しい物を先読みして与えてしまったり、子どもに合わせる事を学んでしまう。向こうから働きかけてくれないというのは普通の人間関係ではありえないことですから、「どうして良いのかわからない」というのが当然だと思います。
 療育をする場合は、「要求する」という事をまず教えますね。要求することを教えることで、自分の欲しい物・ことを伝えられる。さらに言えば、「何か欲しいの?」と親から働きかけてもらえなかったとしても、何か欲しければ(嫌な事がある時は)自分から働きかける姿勢を付け加えられれば素晴らしい。というのも、話せるけれど自分からは言えない自閉症の子ってよくいるんです。学校で課題が自分だけできなくても、「先生に質問する」「隣の子どもに聞く」ということができない。どんなに言葉が話せても、自発のない子どもは損です。親等の知っている人の間ではそれなりに合わせてもらっているために問題がないけれど、学校などの気を使ってもらえない場面ではうまく機能することができなくなってしまいます。
 PECS (Picture Exchange Communication System、ペックス)って知ってます?発語があまりない子どもに、言葉の代わりに絵カードを使って好きな物を伝える、コミュニケーションの手段の一つです。その第2段階で教えることは、自発的に本人から働きかけることです。例えばお菓子を持っている大人が、「欲しいの?」などと関わりかけずに、わざと横を向いて子どもの方を見ていない。そういう状況を意図的に作って、子どもが大人の注意を自発的に引いてから(手の中に絵カードを入れたり、肩をたたいたりして)要求することも教えます。意地悪ではないんです。毎日ちょこちょこで良いですから、わざと気づいていないふりをして(いじめているような気もしますが)、子どもが自発的に働きかけなければ行けない状態を作ってあげてください。自発的に行動することを覚えることは、本当に本人のためになります。絵カードを使わない子どもにもこの第2段階だけは教えたいぐらい。ペックスの第2段階にはこれ以外にも色々臨床上ためになることが多く盛り込まれています。
 自発性のない、受け身傾向のある子どもに色々なことを教えて行くと、やはり教える側がその過程でう使う手助けに頼ってしまいやすい。将来的に自分から使えるようになるために手助けするのだけれど、結果として手助けされるまで受け身で待つようになってしまうこともある。例えば、人に会って挨拶することを教えるとします。何を言うべきか知らないのですから、「今日は。」と見本を見せるでしょう。しかし受け身系の子どもは、いつまでたっても自分から言わずに、「今日は、って言った?」と聞かれるまで待っている。手を洗ってても、「次は何するの?」って言われなければ、蛇口をひねったままぼーっとしてしまう。
 突然手助けを止めてしまうと行動自体がなくなってしまうので、手助けを徐々に減らしていく事が必要です。色々な方法が使えますが、基本は手助けのタイプを徐々に変えて行くことです。教え始めの時は、手取り足取り手助けしなければ行けないこともあるでしょう。そのうち見本を見せるだけとか、指差してみるだけとか、口で指示するだけとか、徐々に手助けのタイプを変えていくのです。それでも自発ができなければ、「ちょい待ち」を使います。 手助けする前に、3秒とか5秒とかちょっとだけ待つのです。この際、口では言わないし、指差したりもしないけれど、じーっと見つめたりして、イメージとしては、「何かしなければいけない」というオーラを出す訳です(オーラが実際にでるわけでないので注意・・・)。子どもがこの大人の視線というか顔だけ見て、「あ、何かしなければならない」と気づくようになってくれば(完全な自発ではないけれど)、まあ上出来です。この方法は実際に研究で効果も証明されている。まあ顔をじーっと見つめる事はあまり関係ないかもしれない(オーラも研究には入っていないので注意)。子どもがこの3−5秒の間に何もしなければ、普通に手助けしてあげて良いのです。これを何度も何度も続けているうちに、子どもが手助けされる前に自分からできるようになる。徐々に待ち時間を長くして行っても良い。この「ちょい待ち」ですが、結構難しいものなんです。親トレーニングをしていると、私が3−5秒待っている間に親がだいたい「○○しなきゃだめでしょ。」とか、指差しながら「ほら」とかって、答えを言ってしまう。「自発して欲しいので、言わないで下さい。」なんて言うんですけれど、癖みたいなもんですから、なかなか直らないのも仕方がない。
 文字が読める子どもには、自分で管理させることを教えることもできる。例えばトランプなんかのゲームのルールを覚える際に、ルールを順番で書き出したメモのような物を渡しておいて、一つ一つ指差しながらゲームを遂行させていく。「ゲームが一つ出来たからどうなんだ」、「ちょっとメモを使うと言うのも自然じゃないんじゃないの?」という方もおられるかもしれませんが、やはり一つでも他の子と一緒にできる遊びがあると、他の子ともつながりができる。一緒に遊んで楽しいという経験を持たせる事ができる。私の教えていた子どもで、これがきっかけで初めて20分間続けて(大人が監督してなくても)他の子と一緒に遊べたんですよ。自然じゃないかもしれないけれど、それがきっかけになって他の子と一緒に遊べたということは、一つの成功体験じゃないでしょうか。それがきっかけとなって、近所の世話好きな女の子の家で「お泊まり」までしてきたなんて言われたのでびっくりしました。
 自分の行動を自分の手助けに使うという流れで言えば、言葉を使うのが一番自然でしょう。言葉が比較的十分に話せる子どもには、独り言を使って自分の行動を手助けする方向に変えて行っても良いでしょう。大人って色々な独り言を普段から言っているじゃないですか(頭の中で言うのは独り言とは言わずに、考えるというかもしれない)。色々行動しながら、頭の中で考えている言葉が自分なりの手助けとなって、適切な行動が出来る。例えば新しい料理を作る時なんか、「ええと、卵3個、それから塩とこしょうをいれて・・・」なんて独り言を言うじゃないですか。頭の中で言う場合もあるし、口に出す場合もあってどちらでも良いですが、これを子どもにもやってもらうようにする。挨拶することを教える際も、人に会ったら、「挨拶して」と言わずに、「ああ、○○君が来たね。人に会った時は・・・」なんてナレーションにするだけで答えは言わない。子どもにもこういうナレーション的な独り言を普段からするように教えたいので、周りの状況を色々言葉にする見本を聞かせてやる。言葉にすることで、「人に会った時は・・・ああ、挨拶。」という答えが自分で見つけ出せる。これはある程度常に言葉を使えている(ある程度の独り言ができる)子どもにしか使えない方法ですね。この方法は実際には自閉症の療育という面では研究されてはいないのですが、理論上有意義だと納得出来るので、私は使いますね。
 受け身の子どもが本当に自発に変わるというのは、実際は難しいことなので、少しずつでも自発の行動が増えて成長していってくれると良いですね。

2013年4月18日木曜日

標的行動を選ぶ

 この間名古屋地方の治療教育の方達と飲み会をしました。いるんですねえ、名古屋にも。治療教育の専門家が。しかもABAやってる人もいるんです。「頑張ってくださーい」、とエールを送りたくなってしまう(「お前が頑張れよ」こうじ心の声)。せっかく地元の人たちが集まっているので、今度から一緒に(できれば定期的に)勉強会を開く事にしました。しかしこれがこの結論に達するまで時間がかかったんですよ。皆なんとなく、「これから定例会のような物を開きたいな」という気持ちはどこかであったんでしょうけれど、でまあ初めて会うような人ばかりですから、何となく口に出しにくかったんでしょうね。結局そういう話になるまでに、夜中の1時半までかかりましたよ。飲み会も最後までいなきゃダメな時もありますね。さすがに深夜を過ぎるとみんな頭働いてなくて、「勉強会何する?」「さあ・・・。」「じゃあ場所だけでも決めて・・・。」というような生産性の低い会話になっていました。まあ東京だけではなく、地方でも色んな活動(飲みじゃなくって、定例会の方ね。まあ飲みでも良いけど。)が活発になってくると日本も面白いですね。将来は色々な地方の人を呼べるような大きな活動も計画出来るようになると良いですね。
 話の中で「やっぱり標的行動を選ぶのが一番大変だ」という事が出ました。標的行動とは、私はターゲットと言いますが、焦点を当てて変えたい行動です。行動分析とかABAは問題がある場合、どんな行動を増やしたり減らしたりすれば、その人(子ども大人でも、ペットでも良い)の持つ問題が解決される方向につながるのか考えます。ちなみに一般の心理では行動を改善させるために、その背景にあるトラウマや認知などの心の問題を解決しようとします。いずれにせよ、問題の中核となること(行動でも心的問題でも)を特定して行くということは時間と労力のかかるものなんです。
 比較的単純な例でいくと(治療が簡単ということではなくて、分析が比較的単純という意味)、場面緘黙(かんもく)症って聞いた事あります?ある場面(家庭など)では喋れる子どもが、ある場面(学校等)では一言も喋れないなどです。当然喋れないことから、色々問題が出てきます。いじめられることもあるかもしれません。それでも喋れないんです。だから問題です。これに認知行動療法を使えば、認知の仕方を変えようとします。例えば、十分な証拠無しで断定したり、悪い面だけを見たり、すべて自分の責任だと考えたりするような考え方を標的にして改善して行きます。サイコダイナミックス(心理力動、精神分析系)は親への敵対心だったり、知らない人への恐怖心だったり、心に潜在している(無意識の)深い部分の問題を見つけ出して解決することに焦点を置きます。これに対して行動分析・ABAでは、不安状態を弛緩(リラックス)させる方法を学んで徐々に色々な場面でリラックスできるようにしたり、会話につながるようなジェスチャーや視線合わせから徐々に、他の場面で喋っている自分をビデオにとって見せたり、ロールプレイ(練習)をしたりして増やしていく(強化する)等の方法を使います。この場合標的行動としては、「弛緩訓練(リラックスする行動)」「会話」「会話につながるような行動」などですよね。これだけ説明しても、何となく行動系は比較的焦点を当てるもの(行動)が簡単にみつかりやすいような印象を受けませんか?緘黙症の場合「話さない」ことが症状なので、「話す」ことを増やして行く。不安があるなら、リラックスさせることで話しやすくする。単刀直入。こういった事から、何となく解決策が簡単に見つけられる(そのために表面的である)セラピーのような勘違いをしてしまいがちです。「スキルを教えるだけ」というような理解の方も多いのではないのでしょうか?
 世の中の色々な問題がそうであれば良いのですが、残念ながら、当たり前と言えば当たり前ですが、問題と行動は必ずしも直結しない。問題解決に出来るだけ直接つながる行動を見つけて標的としたい、その行動の起こる・起こらない理由を分析したいと考えるのが、行動分析/ABAの名前に「分析(analysis)」がついている理由です。行動系の人たちは、意外かもしれませんが標的となる行動を特定するために大きな労力を費やします。簡単な選び方って実はそれ程ないんです。その人に重要な一般的な行動を特定することはそれ程難しくないのかもしれませんが、現実的には行動を変えるのにかかる時間やその人のいる状況、その人の能力の限界なども考慮しなければいけませんから、一番短距離でその人に最も理にかなった標的行動を見つけるのは一苦労で、現実的にはそれが簡単にはできないから途中で方針転換を迫られることもよくあるのです。私の教わった先生も言っていましたが、適切な標的行動を見つけられれば、問題はもう半分解決したようなもんなんです。臨床家は一生かかってそれを学ぶことになりますが、患者さん(生徒さん)それぞれが違うのですから、結局標的行動もそれぞれ違って来てしまうのです。私が自閉症の療育を始める場合よく言うのが、「私が色々教えて試行錯誤する過程を見て頂いて、それを見本に自分で解決策(標的行動とそれに一番あった教え方)を見つけることを学んで下さい。」と申し上げます。コンサルタントの所まで行って、「なんや、解決策ないんかい!」と思われるかもしれませんが、事実だから仕方ない。
 自閉症の場合「言葉が(うまく)話せない」とかといった大きな問題があります。明らかに複雑な言語の行動ですから、3つ4つの行動を増やすのではなく、何百何千の行動を増やさなければ行けないでしょう。これは言わば、「富士山に登る」というような大目標なので、とりあえずそういった大目標につながるような身近な目標から立てることになります。「富士山に登る」であれば、人によっては基礎トレーニングやストレッチから始めなければ行けないでしょう。大きな目標を立てると大変なのは、「進歩しているのやら、していないのやら段々わからなくなってくる」です。登山でもそうでしょう。段々どれぐらい登っているのやらわからなくなる。時には大きな岩や通りにくい場所を避けるために、一度下におりなければ上には向かえない場合もあるでしょう。そう言う時に、やはりコンサルタントのような人が近くにいて、「がんばれー。」「よくやっている。」「そっちの方向で大丈夫。」と言ってくれれば、辛い路も楽になるかもしれません。
 また、問題とその解決の鍵をにぎる行動との関係が簡単には見い出せないこともあります。「言葉が話せない」の場合、人の言葉を真似したり、単純な指示に従ったり、ということを教えるのは誰でも想像がつくでしょう。マッチング(同じ物同士を一緒に合わせる)などは、一見なんの関わりもないようですが、言葉でいう「リンゴ」と物のリンゴが同じ(マッチする)ということを将来的に教えるのですから、言語の基礎になる重要なスキルです。登山で言えば基礎筋肉のトレーニングのようなものでしょうか。子どもによっては、ある程度の基礎を教えれば自分から勝手に学んでいってくれる子もいますが、マッチングのような基礎がなかなか身に付かずに足止めをくらう場合もあります。同じ例を使えば、筋力トレーニングで筋肉があまりにつかないために、なかなか登山出発にいきつかないという感じでしょうか?その場合、いつまでも筋トレのような療育を続けるわけにもいかないでしょう。這ってでも良いから登れるところまで登った方が良いのかもしれません。そういった判断も簡単にはいかないでしょう。
 「友達ができない」というのはもっと難しいですね。富士山じゃなくてエベレストかもしれない。行動の背景にある「友達を作りたい」という動機がついてこなければ、意味がない。全然友達に興味関心のない子どもに、例えば「一緒に遊ぼ!」と誘う行動だけを教えても、一緒に遊びたくないんだから使うわけがない。「一緒に遊ぼって言え!」って言えば言えるようになるかもしれないが、その意味はない。興味関心を変えて行かなければいかない。とりあえず、他の友達と一緒のオモチャを使って同じ場所で遊んでいても良い(人を嫌がらない)ぐらいの目標から始める必要があるかもしれない。「友達を作る」ということには色々な行動があって、さらにそれがなぜ行動一つ一つがなぜ起こるのかまで分析して行かなければいけません。
 これだから、人から「こういう問題があるのですが、行き詰まったんですが、どうすれば良いんですか?」という質問をされると、困ってしまうんです。だって、その人にあった行動を選ばなければいけないから、解決策をいい加減には言えないでしょう?簡単に解決策がホイホイ出てくるコンサルタントもちょっと怪しいかもしれない。

2013年4月13日土曜日

予測のつきやすい生活に変える

 今朝早くから大地震の警報がありましたね。日本に帰って来て携帯があんな音を立てたのは初めてで、寝ている所をたたき起こされた私も「あれ?アメリカとのミーティング忘れていた?でも携帯からの着信音の種類が電話やFaceTime、アラームとも違うし・・・」と、なんだか分からないなりにも尋常でない着信音にちょっとビビりました。でも「大地震だから注意」と言われても、何も出来ないですよね。「えっ?地震?」ってぼんやり頭で思いながら何もすることが思いつかない。一応テレビだけつけてみました。淡路島で最高震度になっていて、前回の阪神淡路島の地震を経験した人はさぞかし怖かったでしょう。私は大地震を経験していないのでこんなにぼんやりしていられますが、過去に経験された人はその時の気持ちを鮮明の思い出したのではないでしょうか。地震ってこう考えると本当に予測がつきづらいだけあって、怖いですよね。台風などはテレビ等で徐々に発達する様子がわかるけれど、地震だけはいつ起こるかわからない。今回のように寝ている時に来る場合もある。
 自閉症の子どもたちって、見ていると本当に「いつ何が起こるかわからない。」生活をしていると思います。というのも、もちろん人によって違いはあるのですが、以前「当たり前の表示に気づく」で紹介したとおり、見なければ行けない所に目が向いていないために、起こりそうな事故を予測できない事が多い。例えばすぐ隣や後ろに人がいる状況だと、人がいると普通気づきますよね。自閉症の子は「人がいる」という認識がないままになってしまうのです。ですから直接ぶつからないにしても、突然その人の前を横切ってしまったり、リュックを背負ったまま振り返ってリュックで相手をこすったり、相手からすれば「おっとっと。何だこの子は。」となるのが当然です。子どもも突然注意されるので、びっくりしてしまう。でも、その人の存在すらに気づいていないのだから、本人からは予測しようがない。
 言葉による説明も基本的に難しいことが多い。もちろん言葉が話せいない子は、これから何が起こるかが口で説明してあげられないため、常にその子にとっては将来何が起こるかわからない状態にあると思います。考えるだけでも不安な生活だ。ただしアスペルガーや高機能の自閉症の子で言葉が話せたとしても、口での説明だけではなかなか意味が汲み取れなかったりします。道順を教えてもらう際に、地図を頭に思い浮かべると分かりやすい場合があるじゃないですか。私は道路や交差点の名前だけを言われても全然覚えられないし、言っている言葉は分かっても道順はわからない。東京に行った時に、「ケイヒン線に乗って・・・」と説明されて「???」という顔をしていたら、「東京の京と横浜の浜で京浜(ケイヒン)」って言われて初めて、「ああ、東京と横浜を結ぶ線か。」と地図を頭に思い浮かべて納得した記憶があります。ちなみに今でも道順を説明されると、「ケイヒン線」のように言葉だけが頭の中をするっと流れて行ってしまって分からないことが多いので、適当に笑って分かったふりをします。だって何度も質問するのは恥ずかしいし、同じ説明を繰り返されても分からないんだから仕方ないですよ。不安なまま適当に他の人をみたりしながら道順をみつける他ないのです。本当にナビやグーグルマップがある時代で良かった。地図のような視覚じゃないとわからないんですよ、言葉で説明されても。アスペの子もそういった状況かなと、想像します。例えば学校で先生が口頭で説明しても、言葉だけが頭を通り過ぎる。普通の子は説明が分からない時も他の子を見ながら真似をしたりして何とか課題を達成できるけれど、他の人を観察できない子は本当に取り残されてしまい、後で先生に一人だけ問題児扱いされてしまう。後から「だから言ったでしょ。」「先生の言う事聞かない。」といつも言われるのは本当につらいでしょう。
 こういった予測のつかない、突然いつ人から叱られるかわからない状況で毎日生活していれば、パニックに陥りやすいとか、人との付き合い自体に不信を感じたりしてしまったり、学習自体を嫌がってしまったりするのも、理解しやすいかもしれません。療育をする際には、なるべく視覚情報を使ったり、同じ事を何度も何度も繰り返したりして予測しやすい状況を作り上げます。そうすると、子どもの雰囲気が変わってきます。例えば、予定表のような物を見せて視覚情報と一緒に毎日予定を確認させるやると、何が起こるのか予測しやすくなって落ち着いてきます。
 人からオモチャやお菓子を奪い取ってしまう子どもに、「取っちゃダメ」って口で説明しても行動は改善されません。毎日予測がつかない状況で生活している子どもにとっては、今食べなければいつ食べられるのか分からないから奪わなければいけない。毎日ちゃんと要求したものが貰えることを経験させてあげる事で、お菓子やオモチャは焦らなくてもちゃんと自分の所に来るという経験が積めれば、急いで奪い取ろうとしたり、棚によじ上ってお菓子を奪取したりする行動が減って、ゆったりと行動するようになります。もちろんお菓子は要求されるといつも与えるというわけにはいかないので、いつ貰えていつ貰えないのか予測しやすい状態を作りあげる(毎日の習慣にする)と良いでしょう。「取っちゃダメ」が理解できたのではなくて、「奪い取る、盗み取る必要がなくなった」という方向性です。言葉が簡単に理解出来る、周りの状況が見えている大人からすればすぐに予測ができる状況でも、その子どもからすれば予測ができない状況になってしまっている場合が多いのです。かんしゃくやパニックの多い子どもは、基本的に生活において「こうなれば、こうなる」「この時間にはこうする」という予測がつかない状況になっている場合が多く、日常生活において予測ができるということの重要さが伺えます。

2013年4月10日水曜日

アメリカ自閉症教育における訴訟、倫理、システム改善

 日本のTPP交渉参加を受けて、その中でもISD条項といって参加する国の企業が(日本や他の参加国の)政府や自治体を訴訟できるようになる制度のことが話題に上がりました。今後TPPに参加するとなれば、海外の企業から日本国家が訴訟され、大変な債務を負うようなことになる可能性が懸念されています。アメリカでは訴訟が多いということを良く耳にするんじゃないでしょうか?訴訟をやりまくっている国なので、経験という意味ではアメリカが有利になるかもしれません。被害者の立場を自分で守るという姿勢自体は良いのですが、あまりに信じられないような訴訟の話も聞きますよね。アメリカの訴訟で一番信じられない話として聞いたのは、マクドナルドでホットコーヒーを注文して、お客さんが自分でそれをこぼして火傷して、マクドナルドを訴えたという話です。自分でホットコーヒー頼んでおいて、自分でこぼしたんだから、火傷するなんて当たり前じゃないの。訴えるか?しかもオカしいのは、これが訴えた側の勝訴に終わって、それからマクドナルドは「熱いので注意」とコーヒーのコップに書かなければいけなくなったとか。まったく常識を外れることにもお金と労力をかけていますが、基本は被害を受けたと思えば恥ずかしがらなくても訴えられるというのが鍵です。訴える側はそうする権利があるのです。しかもこの訴訟がいくつも行われることによって、アメリカでは自分たちの法律や社会のシステムまでも徐々に変えていく感もあります。
 カリフォルニアで働いていた頃は、特に自閉症の教育において生徒の親が学校側を訴える訴訟や訴訟になりそうなケースをよく見かけました。 小さな市であるにも関わらず、その時だけで6件も平行して訴訟を抱えていました。カリフォルニアの学校区(市の職員)として働き始めて3ヶ月もしなかったんじゃない頃ですかね。私の入る前にあった出来事をめぐって学校側が自閉症児(生徒)の親から訴えられており、私も学校の仕事の一環として訴訟に巻き込まれました。
 アメリカのABAで超有名な先生が親側の専門家の証人として呼ばれいて、私の運営するセンターにも(その生徒が過去に在学したということで)見学に来ました。親側の証人ですから、当然相手の弁護士から私のセンターの悪い所を見つけるように指示されて来たのでしょう。私も先生の本を持っており、できればこんな状況じゃない時に先生に会いたかった。その時は主に家庭訪問のサービスをしていたので、先生を私の小さなカローラに乗せて生徒の家まで行きました。私の生徒ですが、泣きましたね。特別問題行動の多くない子を選んだのですが、初めての訪問者を凝視して(自閉症なのに意外に視線合わせ上手いじゃん)1時間以上ほぼ泣き通しでした。当然ながら普段している教育なんかを見せられることもなく、訪問も終わりました。普段泣く事なんて全然なかったから選んだのに・・・。法廷で私のセンターについてどんな報告をされたんでしょうかね?帰りに先生がカローラの中で、「学校で働いているのか?良い経験になるよ。」と言ってくれたのが印象に残っています。
 私も有名ではありませんが博士号まで持っているので、学校側の専門家の証人として呼ばれました。私が訴えられているのではないのは分かりますが、それでも本当に緊張しますよね。証言台ってやつですかね、そこで何と3時間も学校側の弁護士と親側の弁護士から質問を受けました。さすがにぐったりしましたね。弁護士に証言の前に言われた事があります。「あなたは学校側の証人です。もちろんウソをついてはいけませんが、相手の(親側の)弁護士の質問、特に学校に不利になることを答える必要はないのです。答える前にとりあえず3秒待って下さい。学校に不利になる質問には私が意義を唱えますので(”Objection!"ってやつ)時間を下さい。」という内容でした。頭のどこかで私が困ったら「Objection!って言ってくれる!カッコいい!」と思いつつ、一方で、学校に不利になるからって答えなくて良いんだろうか?という疑問が浮かびました。不利とか不利じゃないというんじゃなくて、正しい判決が下されれば良いんじゃないの?(そうは言いませんでしたが。)まあ結局はあまりに緊張していたのでそんな事は頭から飛んでしまい、学校側の弁護士に3秒与えることなくすべての質問に即答してしまい(意外に雄弁でしたね)、後で学校側の弁護士に叱られました。言っちゃダメって言われても事実だから仕方ないよ。だからアメリカでは、弁護士は倫理観のない職業の一位に選ばれているんだ!と思いましたね。
 ちなみに弁護士はその訴訟のために毎日夜遅くまで働いているようでしたが、彼らは時給で働いています。働いた時間はすべて100%支払われるそうです。それを考えたらこの件だけでも凄い値段をかせいでいましたよ。まあ弁護士が悪い人たちって訳でもないんですけどね。良い人もたくさんいます。
 こういった訴訟を通じて、親側の声というのが本当に学校側に届くのです。訴訟の結果を通じてどれぐらいの教育を学校側が提供しなければ行けないのかの相場というか標準が定まってきます。その相場に不満があれば、さらに法律を変えようかという話も出て来る訳です。ちなみにこの件で学校側を訴えていた親は、後にカリフォルニアで健康保険を使ってABAを含む自閉症の療育が支払われるという法律が成立した際に、積極的に運動に参加して大きく貢献していました。アメリカではこうやって一歩一歩、親が声を出して社会のシステムを変えて行くんだなあと実感いたしました。
 さらにちなみにですが、 ミシガン州の特殊教育では最近10年で訴訟は10件以内だと言う事です。ええ?カリフォルニアではあんなに小さな市でも一度に6件訴訟があったのに・・・。州によってそんなに違うんですね。確かにミシガンでは自閉症早期療育の導入はかなり遅れましたが、最近やっと健康保険の導入が認められました。やはり親があまり声を上げない所では、システムの改善も遅れるんでしょうね。

2013年4月4日木曜日

Joint Attention: シグナルが強化子となる

 私の住んでいる名古屋の北区から出てちょっと車で行ったところになんですが、安くて新鮮なスーパーがあるんです。両親につれられて行ったのですが、値段が安いから「安物」を売っているかと思えば、客の数が多いので品物の回転が速いためか鮮度もかなり良い。良い商売してますね。ただ、客の数が多いんですよ。スーパーの大きさというか、中の通路の幅なんかは普通のスーパーかそれよりやや大きい程度なんですが、客が5倍いると考えてください。凄い人で満員電車状態。品物を見ていたら後ろからカートでおばさんに突っ込まれて、アキレス腱あたりにカートが強くあたって、「痛っ!」と声に出しました。しかし突っ込んで来たおばさん私の顔も見ずにいなくなりました。ええ?ぶつかられて声に出して痛がっても、視線すら合わせてもらえない?ありえないでしょ。周りを見わたしても皆自分の買い物の事に気を取られて、人がちょっとぶつかったぐらいでは見向きもしない。「い、いたい・・・。」ちょっとショックで私はその場で呆然と立ちすくんでしまいました。
 ちょっと変わった事があった時って、何となく周りを見渡して他の人の承諾を探しませんか?そう言えば何十年も前の学生時代東京で電車に乗っていたら、隣の人(男性)が近くによって隣に座ったんです。隣じゃなくても場所があるのに。何故かと思ったら、突然耳をなめられたんです。は?と思いません?ちょっと起こった事が理解できなくて、耳を触ったら、ぬれていたんです。おえ。食事中だったらごめんなさい。でも、その人を見たら、何事も無かったように普通に前向いて、こちらの方も見ていない。今のは本当に起こったのだろうか?こういう突拍子もないことが起こった時も、周りに承諾を求めましたね。「皆見てた?今、この人、私の耳なめた?それとも何かの拍子に倒れて口がぶつかっただけ(それでよだれも垂れた・・・)?」と口に出しては言わなかったけれど、他の人も驚いて見ていないかを確認しました。でも、皆見ていなかったのか、しれーっとしてました。何となく状況が飲み込めなくて、電車を降りましたね。
 視線合わせといえば、自閉症は一番できませんよね。視線を合わせる事自体が強化子になっていないから、その大事さが理解出来ない。こういうのって、Joint Attentionって英語では言われるんですけど、上の例をそのまま使えば、私がなめた人の方と傍観者の方に視線を行ったり来たりさせることです。子どもの例を使えば、子どもが何か好きな物を見つけた時に、お母さんとその物へ視線を行ったり来たりさせることです。人の目を見る。人の視線を追う。これは一番自閉症の子供が苦手であり、さらに教えるのも本当に難しいことの一つです。
 従来のABAでは、これをスキルとして普通に教えようとしたのです。例えば、子供が欲しい物を見つけた時に、親と視線を合わさせてからその物を与えます。新しい物を置いておいて、その子が親の視線を見ることができれば、その物を与えて強化する。しかし最近の研究者の中では、その相手から見てもらえることやお母さんのうなずきなど(社会的なこと)が強化子になっていなければならないと指摘しています。行動ができるか、できないかよりも、したいか、したくないか(行動の機能)が重要なんです。私だって視線を追って時折承諾をもらえることがあるから視線を追っているのでしょう。私にとって周りからの承諾は強化子であり、それを探すために視線を追うわけです。
 強化子でないものを強化子にする方法として、この間からペアリングについては書きました。研究者のイサケセンとホルツさんは、ペアリングではないことを紹介しています。親の笑顔やうなずいていることがシグナルとなって、自分の欲しい物が得られる。親がうなずいていない、得がいでない時は、自分の欲しい物は得られないという状況にします。まあ、信号みたいなものですかね。交差点に入ると、信号を探すでしょ?交差点という状況で信号が見たいのは、青信号なら安全に渡れるし赤信号なら危険だからです。子どもの例では、何か知らない物、新しい物がある状況で、お母さんの笑顔が安全のシグナルになりお母さんも怖がっていれば危険のシグナルになるのです。だから子どもは新しい、知らない物を見つけた状況では、お母さんの顔を見る。欲しい物があった時も、お母さんの顔を見て笑顔ならもらって良い、そうでないなら取ってはダメというトレーニングをすることで、適切な場面で視線を追うことを教えられる(お母さんの笑顔が強化子になる)。「あれ取って来て」と指示しておいて(あれを指定しない)、お母さんの顔を見てその「あれ」をみつける練習をさせることもトレーニングとして紹介されています。ただこれだと、何か自分の好きな事を見つけた時に、「お母さんにも見てもらいたい。」というトレーニングになっているのかな?良い方向に進んでいるのは間違いないと思うけれど、私もイマイチ最後まですっきりしないんです。
 これはねえ、理論や学説研究などもまだ確立していなところ。はっきり言ってABAの最先端でもまだまだ研究がこれから必要な分野だと思います。研究がどんどん進んで、色んな方法が試されて、簡単に読んだ人が真似できるマニュアルができるようになるといいですね。私もまだ勉強中ですので、一番良い方法等は紹介できません。ちなみに研究論文を読んでみたいという強者の方は、出典は以下の通りです(両方ともオンラインでただで手に入ります)。下記のように慶応大学の山本淳一先生も研究されてるんですけど、私の読んだ論文は英語で書かれていましたので悪しからず。日本語で山本先生Joint Attentionについて書かれた本出されているかな?どなたか知ってたら教えて下さい。

Isaksen J. Holth, P. (2009). An Operant Approach to Teaching Joint Attention Skills to Children with Autism. Behavioral Interventions, 24, 215-236.

Naoi, N., Tsuchiya, R., Yamamoto, J., & Nakamura, K. (2008). Functional training for initiating joint attention in children with Autism. Research in Developmental Disabilities, 29, 595-609.

2013年4月1日月曜日

ABA: Momentum勢いに乗る

 先日おじいちゃんと花見に行ってきました。お昼に名古屋地方では有名なCoco一番のカレーを食べました。「ここに来るときはいつもこれ。」と言うので、皆でヒレカツカレーを頼みました。おじいちゃん夫婦を見たお店の人から、「ごはん多いですけれど、良いですか?」と聞かれましたが、「ええ。」と自信満々に答えていたので、そのまま普通どおりを注文しました。ヒレカツが2枚ものっていて、サラダまで頼んだ私はお店の人の言う通り、ごはん全部食べきれませんでしたが、おじいちゃんは完食してました。去年の11月に胃がんの手術で3分の2切除したばかりの88才とは思えない。しかし車に乗って花見に向かうと、突然喋らなくなりました。単純に食べ過ぎで苦しかったんですね。食い過ぎてしまったおじいちゃんは公園についても階段で座って、じっとしたまま動けなくなってしまいました。やはり3分の1残っていない胃で、あのカレーとかつの量は無理かな。一人でぽつんと座り込む姿に哀愁が漂う。反省タイム?ちょっと一人でそっとしておいてあげたんですが、突然いなくなっているのでどうしたのかと思えば、公衆便所で戻していたそうです。「すっきりした。」とゲンキ満々で戻ってきました。反省しただろうか?いや、してないな。これからもきっと食べ過ぎを続けるに違いない。
 手術後私に車を譲り運転も諦めてしまっていたため、ちょくちょく外に連れて出かけるようにしているのですが、最初のうちは「いつでもええ。」「何にもいらん。」とかって遠慮して、私の誘いも結構断っていたんですよね。でも出かけ出したら結構連れて行ってもらうことが楽になったみたい。最近は勢いがついちゃって向こうから電話結構かかってくる。毎週のように出かけるのを楽しみにするようになっています。「毎週というのもつらいかも・・・」とも思うけれど、まあアメリカにいてずっと会ってなかったし、連れて行けるうちは連れて行こうかと考えています。
  行動全般についても言えることですが、勢いにのるということが大切です。Behavioral Momentumっていう専門用語もあるくらいです。意外かもしれませんが、研究によってその効果も証明されている。どういうことかと言うと、起こりづらい行動があるとすれば、起こりやすい行動を何度か起こしてその合間合間に起こりづらい行動を挟むことにします。例えば、数字の課題が難しいとするじゃないですか。数字の課題を見ただけでも「ええー。やりたくない。」と嫌悪反応が起こる。それに対してひらがなの課題は比較的簡単に出来るとします。そうすると、ひらがなの課題をいくつかやって、「できたー。えらい!」とかって褒めながら、その合間合間にこっそり数字の課題を1課題だけ混ぜちゃうんです。「これから数字をやるぞ!」って力入れて繰り返しやるんじゃなくて、ひらがなをやってたと思ったら知らないうちに数字がちょっとだけ混ざってた状態にするのです。こうすることで、「ええー。やだー。やりたくなーい。」から、「あれ?数字の課題なんかやったっけ?」という事になる。
 自閉症の療育ではディスクリートトライアルをやる時なんかは、これをよく使いますね。普通だったら特に嫌がらずに課題をする子どもでも、新米のセラピストにまかしておいてちょっと目を離すと、子どもがべとっと床に寝ちゃってしまったりして全然やる気無し。新米セラピストに「どうしたら良いんでしょうか?」なんて質問されますが、こっちも、「どうやったら子どもをそんな状態にできたんだろう?」と不思議に思います。こういう時はMomentumを使います、というか勢いにのせます。子どものやりたいことや、本当に簡単にできることから徐々に導入して、できたらすっごい褒めてやる。これでやる気なしから、「おっ、勉強楽しいかも?」と思ってもらうわけです。やっぱり成功体験は強いですよ。簡単な課題や好きなことが指示を出してできるようになったら、様子を見ながら徐々に難しい課題も挿入する。押せれば押すし、その日やその時は押せなさそうなら、押さない。この「様子を見ながら押しつ押されつ」というところが、経験で学ぶしかないかな。