2013年3月31日日曜日

社交スキルを周り全体が教える

 名古屋でアイズサポートという療育支援の会社が、3周年記念講演を行われるという事で、昨日土曜日に参加させて頂きました。実は地元の中日新聞でも取り上げられておりまして、名古屋でも色々療育支援の会社が育ってきていて、本当に嬉しい事です。親からしたらやっぱり療育も選択肢がないと。
 金沢大学名誉教授の久野能弘先生も午後から発表されていました。失礼なこと言いますが、久野先生のインパクトに圧倒させられましたね。これが面白い、面白い。面白すぎてついお昼ご飯までついご一緒させて頂いたんです。毒舌って言うんですかね。痛烈な批判も大きな声で実名を出してガンガン言ってしまう。「あれ(ある有名なABAの療育家のサービス)やっとったら、子供がダメになるぞ。」とか、「臨床心理士のの○○知ってるか(たくさん本も執筆されている超有名な方です)?あれだけ嘘がつければそりゃ本も売れるわ。・・・あれの患者さん死んだよ。人を助けるより殺した方が多いんちゃうか。」とか、他にも次から次へと敵を作ってらっしゃる。さらに、「だから俺は不適応を起こしてクビになって・・・」なんて言われて、生徒さんから「(クビじゃなくて)退官されたんですって」と。やはりこういった他者批判から自己卑下のコメントまで含めて、久野先生ならではの会話のサービスというか、ボケと突っ込みのボケということでしょうかね。聞き手が突っ込むことが期待されている。この辺関西育ちじゃないと難しいですよね。私はぼんやりしている系なので、「そうじゃないですよ。」とか否定したり突っ込まなきゃ行けないところでも「はあ。そうですね。」なんて同意してしまったりして、聞き手スキルというか適切な社交スキルが育っていない。せっかくの会話を膨らますことができてない。「すみません。うなずく所じゃないですね。」と言うと、「日本ではうなずいとったら生きておれへんぞ。」と、ぴしゃり。やっぱり頭も切れる。先生は毎日ブログも書かれているようで、面白いので読んでみて下さい。
 アイズサポートの代表の伊藤さんの講演も大変丁寧で良かったですよ。4年目に突入ということですが、一つ一つ丁寧にケースを考えておられるようで、真摯で真面目な姿勢が印象的でした。こういった療育の場が本当に増えると良いと思います。
 ところで社交スキルと言えば、お客さんで高機能の方の就労支援、ジョブコーチをされている方からの質問で、面白いものがありました。「緊張すると笑ってしまう人がいる。会社の上司や同僚にも、障害があって笑ってしまっていることをきちんと説明しておいてあるが、頭では理解しているのと、実際にそれを経験するのは違い、笑われるとストレスが溜まってしまう。」ということでした。そうですね。日本では一般に我慢する文化というか、多少のストレスでは口に出さずに我慢してしまう良い人が多いです。逆に言えば、ストレスを徐々に溜め込んで後で切れてしまう人(健常の人)もいますよね。こういう場合には、「障害があるから、緊張すると笑ってしまうんだよ。」ということだけではなく、では笑ってしまった場合に上司や同僚としてどうやって接したら(教えたら)良いのかまで説明し、見本を見せると良いでしょう。
 具体的にはその人によって違うので、質問に出られた方にはどういった接し方が一番良いのかは分かりませんが、例えば「今笑っているの分かる?今は注意している時だから、笑っても良い時?じゃあどういう表情が適切かな?そうそう。やればできる。じゃあやり直してみよっか。」などと、上司や同僚の前で、間違いが起こった時点で、社交スキルの練習をするわけです。(人前で注意されることに敏感なクライエントさんもいるので、人前で恥をかかせないように、批判的な言い方にならないように注意してください。それから、本人との信頼関係が育っていない場合には難しいので注意してください。強化を繰り返して行く事で信頼関係は築けます。)こうやって周囲に社交スキルの教え方を(プロンプトや強化の仕方)教えることで、ストレスを我慢している上司や同僚の方には、「ああ、こうすれば良いのか。」というやり方がわかります。何度も見本をみせると良いです。
 意外ですが、上司や同僚のスキルの上達も重要なのです(他の社員の教育にも役立ったりして)。もちろん本人の社交スキルが上がる事も大切なのですが、「緊張すると笑ってしまう」という時点で、他にも社交スキルの欠如で他の人にストレスをかけている場面が色々とあるはずです。そんなに簡単に社交スキルが全般に改善することは稀なので、逆に周りがどうすれば上手くストレスを溜めずに、本人の行動を直させるか覚える事も重要です。口で「障害がある」と説明するのでは足りませんので、どうするのか具体的に見本を見せることが必要でしょう。

2013年3月26日火曜日

自閉傾向のある子「壊れたチーズバーガー」Good morning Americaより

 今朝アメリカの朝番組である「Good Morning America」で紹介されたストーリー(ヤフーのニュースを通して)を見ました。良い話なんで、ちょっと訳しておきますね。
 ユタ州の7才の自閉傾向のある女の子、チーズバーガーが大好きなんです。ある日レストランでチーズバーガーを頼み、テーブルに運ばれて来たら、全然手を付けなかったそうです。フライドポテトだけ食べてました。お姉さんがどうして食べないの?と聞くと、「欲しくない。壊れてる。直したのが欲しいの。」と言ったようです。実はチーズバーガーは半分に切られていたんです。でも半分に切っちゃ行けないなんて特別な要求って、あまり普通には聞かないですよね。お姉さんが、そういう要求は理解してもらえないと思って、半分に切られていないものをもう一つ余分に注文したらしいです。でも、お店の人がその特別な要求をしっかり受け取ってくれて、「とんでもない。お金なんて取れませんよ。」って言って子どもに謝って優しく接してくれて、「直してくれた」らしいですよね。半分に切らずに。チーズバーガーが届くと、その子「ありがとう。チーズバーガー直してくれた」って喜んでチーズバーガーに何度もキスをしたそうです。
 お姉さんがその写真を取って、レストランのサービスの良かったことをFacebookに載せた所、それが22万以上もの「like(いいね)」と10万以上のコメントにつながったらしです。レストランのマネージャーはその後Autism Speaks(自閉症をサポートする組織)の代表者からもお礼の電話があったようです。
 ちょっと良い話でしょ。

2013年3月25日月曜日

個別教育目標・IEPその1:個別性

 先日東京を訪れた時の話をしますね。大学生時代に東京に住んでいたんですが、もう10何年前の話なので、町並みが新鮮に映ります。新宿なんか凄い人数の人が歩いていて、特に朝よりも夜の方が人が多い印象でしたね。夜11時でもすごい人が流れている。名古屋とは人口が違いすぎるなあ、何でこんな人数の人が生活していて大混乱にならないんだか不思議だと思いません?あれで地震なんかあったら大混乱で人波にやられそう。昔のゴジラの映画みたいになるんだろうか。女の人がキャーって叫んで。怖い怖い。まあ名古屋の方が南海トラフ地震予想などでやばいと言われているか。てな事を考えながらついぼんやりしてしまいます。口を開けて歩いてなかっただろうか。歩く事に集中できてない。ただでさえこんなようにぼんやりしているのに、さらに地方から来るとビルの上の方にある看板広告などに視線を奪われて、何となく上向いて歩いちゃいますよね。ビルで空が狭くって、しかも色々な広告で情報過多になり、どうしてもフラフラ歩いてしまう。地方出身者か観光客であることがバレバレですよね。ふと、「このままフラフラしているとぼられるかもしれない」と、地震よりもより近未来に起こりそうな現実に引き戻されます。ただのカラオケの呼び込みの人たちにも、何となく「この人に言葉巧みに騙されるかも?」とか、東京の人がみんな私を狙っているかのような被害妄想になるので、さらに怪しい物腰になり、しかも鞄をしっかり持つので必要以上に肩が凝ります。今回は特に迷わずに帰ってこれましたが、地方の人が東京に出るとこんなに大変なんですよ。え、私だけ?
 知らない(久しぶりの)土地を探索するということでも、人ぞれぞれですよね。知らない場所ということですから、どの人もそれなりにストレスはあるでしょうが、特に看板なんかにとらわれない人もいれば、気を取られて他にぶつかってしまう人もいる(東京に住んでいてもそうなる人もいると思う)。私のように考え事でぼんやりしてしまっている人もいれば、ちゃんと目の前のこと(歩く事)に集中出来る人もいる。呼び込みや客引きに対応するのも気にならない人もいれば、やけに丁寧に対応してしまう人もいるでしょう。自閉症などの発達障害の治療教育では、その個別性に重点を置く事が必要となります。
 私の尊敬するアメリカの学校の校長先生がいたのですが、その校長先生の意見によると、教育目標は学ぶべき事・教える事すべてを羅列するのではなく、それぞれの子どもの強い点・弱点を理解した上で、一般の学習カリキュラム(教育課程・教育内容)の内容をその子がどうやったら学べるようになるのか、足らない部分を付け加えて支援するのが個別教育目標であるということです。例えば、色を学んだり、数を学んだり、そいうった事は3−5才の子どものカリキュラムに入っている訳です。別に個別な目標ではない。しかし、集団で勉強する上でみんなと一緒に輪になって座って先生の読むチューリップの色の本を聞いてくれなければ、それから図画工作で色んな色を使う活動に参加してくれなければ、色を学ぶ機会が極端に減ってしまい学習に支障をきたします。子どもによっては、看板に目をとられて歩いている私のように視覚情報に惑わされて、先生から言われた言葉は素通りしてしまう子どももいるかもしれない。他にも、先生の見本を真似することができないとか、その子どもなりの弱さを見つけていって、それをカバーすることを目標に入れる事で、本来のカリキュラムの学習(色・数を学ぶ、他の子どもと仲良くすることを学ぶなど)が出来るようになるのです(またはそれに近づくようになる)。地方から上京して来た人の例で言えば、人によっては徐々に看板や地理になれることにより、目的地に向かって歩く事に集中するようになれるかもしれないし、ついつい呼び込みや客寄せに丁寧に返答してしまう人にはしっかりと「No(いりません)」と言えるように練習することで、歩く事に集中できるようになるかもしれません。
 こういった本来の意味の個別の目標は、一番始めのIEPというか、まだ子どもを教え始めていない時にはできません。子どもの学び方までは1回や2回会っただけではわかりませんよね。毎日のようにしっかり療育してそれで療育する側が見つけて行くのです。 しかも療育をして行くと、「こうだな」というような見込みが裏切られることもよくあるので、目標を立てたからと言ってそれにあまり縛られずに、臨機応変に対応することも大切かもしれません。もちろん最初から予測する事を諦めろという意味ではなくて、出来る限りの予測は大切だけれど、それに縛られないということ。1年後にその子どもがどうなっているか、正確な予想はできないながらも、だいたいこれくらいは教えて行きたいという見込みが目標となるのです。1年教えていれば、その経験からある程度の指針というか見込みはつきますが、それでも指針の変更を迫られる時もありますよ。それが教育の面白さというところなので、悪いという事ではないかもしれません。
 本当に個別に対応してくれているのか、療育者を選ぶ際は個別対応に焦点をあてることが重要であると思われます。子どもの学習を見ていて、ええ?と驚くような他の子どもとの違いに気づいて、それを個別に解決して行く作業を楽しんでくれる先生、療育家が見つかると良いですね。自閉症に限らず型にはまった人生は面白くありませんから、その個別性を楽しまなければ。

2013年3月21日木曜日

その先へー「福祉、自閉症、治療、教育」への補足

 前回、東京でのセミナー講演の話をして、アメリカの実際のところというか、夢のような国でもないよというような視点を紹介しましたが、今回はその補足です。実際の国ですから、それは夢のようなことばかりでは無いのも当然です。セミナーではあまり私の意見は言いませんでした(言っちゃっていたような気もする)が、ここは私のブログなので私の意見も継ぎ足しちゃいますね。
 私の前に講演して下さったNPO法人発達わんぱく会理事長の小田先生が、詳しく福祉の制度について説明して下さいました。(ちなみにADDSさんからの報告のブログはこちらまで。)ちょうど私の講演の部分と足らない部分を補う形になって、良かったと思います。私もずいぶん勉強になりました。
 日本の福祉・教育はどういう方向に向いたら良いのでしょうか?私は現状のシステムを徐々に改善することが一番だと思います。日本でも2012年から「児童福祉法」といった福祉の法改正から、自閉症、発達障害児への早期の治療教育が公的に援助される可能性ができているわけです。しかし、小田先生も指摘されていたように利用する企業が比較的少ない。老人ホームなんかを見てると、最近の法改正により本当に今たくさんの企業が経営に参加していますし、あの勢いとは比較にならないですよね。あくまで私の勝手な推測ですが、理由の一つとしては、福祉の法律なので当たり前ですが、どちらかと言えば福祉の関係者からの発想でできており、心理・教育の関係者との連携にまだまだ改善の余地があるからかもしれません。ちなみに小田先生も社会福祉士(ソーシャルワーカー)ですよね。治療教育を行うとすればその専門家は心理・教育の分野にいますから、社会福祉士などの福祉の専門家が、心理・教育の専門家が連携してより良いものになるものだと思います。もちろんどちら側の発想も重要です。現在児童福祉法が福祉の法律であることは確かなのですが、心理・教育側の意見もしっかりと取り入れて今後法律を改善していく余地があると思います。
 もう一つ重要なのは、治療教育の質です。現段階では、社会福祉士、保育士、臨床心理士、作業療法士、言語療法士などの専門家を雇うことが明確にされている以外には、特にサービスの質をどうやって管理し改善して行くことが法に直接書かれていない。研究の結果明らかになっている治療教育の方法を使う事を義務づけたり、国全体として研究を使って治療教育を常に改善して行くという心構えが必要だと思います。講演でも言った通り、アメリカの教育の法律であるIDEA(Individual with Disabilities Education Act)のパート4にあたるような、教育の改善、研究の推奨、研究の結果を直接活かした治療教育ということを、今後法改正する際にはしっかりと位置づける必要があるでしょう。
 私は日本に帰って来てまだ半年経っておらず、日本のシステムに対する知識は低いと言わざるを得ないので、私の意見もこれから色々勉強する事で変わってくると思います。色々と勉強して、日本のシステムの改善に貢献出来たら素晴らしいですね。

福祉、自閉症、治療、教育

 先日(3月3日)自閉症の早期教育を根付かせようと頑張っておられる、NPO法人ADDSさんのセミナーに呼ばれて東京に行ってきました。今回は講演する側ということでしたが、自閉症児を持たれる親御さんや治療教育関係者など100人を超える方が参加して下さい、ありがとうございました。日本でも自閉症治療教育への関心の高まりが感じられ、はっきり言って意外でした。というのも、アメリカから帰って来てある日本の親御さんの体験談を聞くと、自閉症の診断を受けた時は「そのまま受け入れてあげて下さい」というようなことを言われ、特別にABAなどの療育についても紹介されなかったとおっしゃっていました。事務所の近所の特別支援の幼稚園では、「ええ、毎日やるんですか?ABAの先生も一度来られたけれど、ABAは月に一回とかやるものだと思っていました。」と言われました。日本では治療教育について誰もまだ知らないのではないか、という漠然とした印象を受けていました。しかし会場では明らかにかなりの知識を持たれた方からの質問が続き、あまりに対照的で新鮮でした。日本でも知っている人は知っているんですね。逆にそう言う知識を持った人の集まりが今回のセミナーであり、新しい動きの象徴であるのでしょうか、自閉症の治療教育についての知識と経験が徐々に培われつつあるんだと感じました。私の講演の内容について興味のある方は、ADDSさんがブログの方に報告してくれていますので、よろしければそれも合わせてごらん下さい。100人を超える参加者を集められたADDSさんと、それを支えられた裏方さんに感謝します。学生セラピストさんが託児までしていただいたようで、ありがとうございました。
 今回の講演については、「アメリカの事例を紹介して下さい」と依頼を受けました。アメリカに12年もいたんだから、そりゃ紹介くらいは簡単にできます。しかしスライドを作るにつれて、本当にこんな事知りたいんだろうかという疑問がわきました。みんなアメリカの進んだ療育の話はよく聞きますよねえ。親からしたら、今すぐ手に入らない物の話を聞かされても、はっきり言ってやってられないですよね。スライドを見ると、「羨ましいでしょう?20年後にこうなるかも?日本もがんばろう!」という感じになってて、そんな話セミナーで聞いて帰って、自宅で自分の子どもの療育の現実を目にして、頑張ろうというよりは逆にがっくりするんじゃないかと思いました。これを見た参加者から「やってられるか!」って、暴動が起こるかもしれないと思いました。じゃあ何が知りたいのか、日本から見た視線を知りたいと思い、やはり頼るのはインターネットですね。ちょっと色々なサイトを検索したところ「アメリカの福祉は非常に良い」という言葉を見ました。やっぱりそういう話はみんな聞いている。
 ちなみに検索にはどんなキーワードを使われますか?「自閉症、治療、教育、福祉」。日本の治療教育の現状を知りたい、公的資金の使われ方などを検索したいと思った時に、私は知らず知らずこういったキーワードを使って検索いました。しかしこの時に何となく同じことを英語で検索しようと思ったら、福祉という言葉の翻訳が私の頭の中に浮かばなかったんです。ここで気づきました。私は福祉の専門家じゃなくて、心理・教育の専門家です。12年アメリカにいた時にもほぼ福祉という言葉は仕事上使いませんでした。これまでアメリカにいた時から感じていた、日本の制度への違和感はこの福祉と教育の誤解から来ているのですね。というのも、アメリカにいて日本のことを聞いて一番驚いたのは、「日本では、障害が認められれば手当などのお金が出る。」ということです。生のお金ですよ。アメリカではあり得ないです。教育には資金が出ても、何に使ってもよいお金が直接親に与えられるなんて事は、かなりの貧困層でない限りないんです(日本でも収入制限はもちろんあるが、それほど低くはない)。もちろん電車等の優遇もない。他にも公的資金がでないのは、託児所関係。自閉症児、健常児に関わらず、幼稚園前に子どもを預けて仕事に出たかったら、自分でお金を払って託児所やベビーシッターに預けるんです。就学後の放課後デイや子どもを預かってくれるところは、ほぼ有料です。一般にアメリカは福祉という面では、日本より手薄なんです。「福祉の後進国だ」なんてテレビで言っているコメンテーターもいましたが、私は福祉が遅れているというよりも国民の選択によって、福祉よりも一人一人の責任を重要視しているからと思います。福祉の盛んなのは何と言ってもヨーロッパですよね(お金もかかるのでそれが良いかどうかは別として)。
 教育に関してもアメリカと日本はちょっと違いますよね。住む場所によって良い所と悪い所の差があまりにも大きい。日本でもまあ差はあるのですが、アメリカの差に比べたら可愛いものです。差が激しいと言う事は、自分の子どもの教育も低い方に流れる可能性が常にあるということですので、アメリカでは一市民として自分の子どもの教育の権利は自分で勝ち取るのです。与えられるものを頂くという受動的な態度ではなく、一人一人の親が常に頑張って子どもの教育を良いものにします。教育業界にはAvocateっていう人たちがいるんです。この人たちは特定の資格のある人ではなく、自分たち自身が障害を持つ子どもを持っていたり、療育に携わった経験から、お母さん達の応援役として学校との交渉に加担してくれる人たちです。日本から来た親御さんですと、「ええ?Advocateですか?そこまではちょっと。」と言われる方が多いです。学校と対等に交渉して少しでもよい教育にしていこうという意識や経験もないでしょうし、もちろん日本では事を荒たげないことが重要視される場合もあります。
 ということで講演の内容も「アメリカでこんな良い療育があるよ。」というものから、「アメリカのウソ・ホント」というスライドに書き直し、「本当の所はどうなの、アメリカ?」という感じで進めました。この方が聞く方もまだ力が湧いてくると思ったんですが、どうでしたでしょうか?

2013年3月12日火曜日

学び方それぞれ

 おじいちゃんと一緒にモーニングを食べに行ってきました。「モーニング」ってご存知ですか?名古屋地方で喫茶店に行くと、「モーニングサービス」と称して、コーヒーや紅茶を頼むと、簡単な朝ご飯がサービス(=ただ)でつくんです。良いでしょ?今回は喫茶店ではなくって、コーヒーも飲める喫茶室付きのパン屋さんだったんですが、320円で、コーヒーと160円までの調理パン(種類は色々)が2つ選べるんです。しかも小さなクロワッサンに生クリームが入ったものは、勝手についてきました。すごいでしょ?おじいちゃんは、胃がん手術後順調に月に1キロ体重を増やし、すでに全回復に見えます。さすが。朝ご飯を食べてからでかけたのに関わらず、大きなパンとクロワッサンも普通に食べて、甘いものは「別腹」と言い切っていました。手術で胃を3分の2切り取ったはずなんだけれど・・・。「食べれるようになったね。」と言うと、「まあ、最初の頃は口に手を突っ込んで戻しとったけどな。」と語っていました。やっぱり無理していたか。でも、普通手術後そんなに無理して食べるか?
 春の陽気の暖かさに、車いすのおばあちゃんと歩いて行きました。やっぱり車いすを押して移動するって、やってみないと不便さは分かりませんね。道路も普通に歩ければば何ともないのだけれど、微妙にちょっとした傾斜がかかっていたり、歩道に入るところに段差があったり、車いすを押すからこそ色々なこ とが目 に見えるようになる。というか、ちょっと歩くだけでかなり疲れる。私が疲れるくらいだから、これはおじいちゃんが車いすを押して歩いて行けないはずだ。喫 茶店でも、入り口の片方はドアの所の段差が気になるし、出口はスロープがあるが自転車が止められていて自転車を動かさなければ出られない。障害者がどんなところで問題に突き当たるのか、どんな所が難しいのか、本当にみんな体験してみなければ分からない。
  自閉症の療育は、結構「やってみなければわからない」所が多いと思います。自閉症なんて一概にひとくくりにされているけれど、本当に色んな症状があるんです。ですからそれぞれの問題もかなり異なっていて、車いすのように皆が同じような問題にぶつかるとは言い難い。一般に自閉症の人は、ビジュアルというか視覚を使った教え方が有効であるとよく言われます。これは、耳で聴覚から聞いた言葉はそのまますり抜けてしまうけれど、視覚で指示された事には反応してくれやすいということです。例えば、「じゃあ今から机に戻って」と言われても無視するけれど、机の写真を見せると机に座ってくれることがあります。ただし、実際にやってみると視覚重視というのも微妙に人それぞれなので、そうは簡単に行かないんです。写真をむやみやたらと撮って使えばそれで良いかというと、そうでもない。それぞれに合わせて学習の壁にぶつかった時に、じゃあどうすれば良いのか真剣に考えてくれる人がいることが、療育の重要な所です。
 私も10年以上療育についているので、よく「○○でなかなか先へ進みません。どうしたらよいでしょうか?」と聞かれます。「ドラえもん」のように簡単な解決策のポケットがあって、「じゃあこれ使ってみる?」なんて言えれば良いんですが、残念ながらそんな簡単に解決策はないんです。もちろん出来る限り研究等で使われている方法や、これまでに他の子どもに成功した方法を試したりするのですが、結局の所その子なりの学び方をじっくり観察して、色々試してみる課程でその子特有の解決策を見つけて行くことが、やっぱり一番の方法なんです。ぶっちゃけ色々な問題を可決する便利な解決策のポケットなんて持ち合わせていないんですよ。私だって今になってもそれぞれの子どもの学び方を学ぶというか、「ああしたら良いか、こうしたら良いか」って色々試してそれで徐々に進んで行くという作業を続けています。
 私も療育を始めた頃は、有名な先生は色んなことを知っていて魔法のように問題が解決されるような、有名なABAの会社に勤めればそういうノウハウを学べるような、ABAの経験・これまで積み上げられてきた研究の歴史に、漠然とですが現実離れした期待感を持っていました。まあ、実際にすごい知識を持たれる先生もおられます。例えば、現在のアメリカ行動分析認定協会の会長のドクターCarrは、臨床の問題を持ちかけると、「ああそれは、20○○年の誰々の論文の○○という方法を試せば?」というように、これまでの学術研究雑誌の目次がそのまま頭に入っているような人です。初めて彼に監督してもらった時は、はっきり言ってびびりましたね。それから10年は経ってますが、私は残念ながらそうはなれませんね。一つ一つケースを見て、一緒に解決策を探すだけです。ただし、人離れした能力を持つ人は世の中にそう何人もいないし、実際に療育に普段からそういう天才系の人が一緒にいて手取り足取り指導してくれる必要はないかなと思います。時間をかけてもしっかり解決して行けば良いのです。その問題解決が積み重なって、長期間で大きな違いになってくるのではないでしょうか。

2013年3月11日月曜日

療育中の気持ちの浮き沈み

 今日で3・11から2年目になりますね。昨日・今日はテレビや新聞等でも特集が組まれていますが、本当にゆっくりとしか復興が進んでいなくて「将来が見えない」ということに不安を募らせている被災者の方も多いようです。また、最近は「忘れられてきている」と感じている被災者の方が多いような報道を見ます。私も地震があってすぐは募金などをしたんですが、最近は気になっていつつも何もしていないです。全国にも「気になってはいつつも・・・」という方も結構多いと思います。気持ちだけでは伝わりませんから、何か行動にして、形にして気持ちを伝えなければいけませんが、なんだかぼやぼやしている間に時間が過ぎてしまう。ブログに書くだけでも、何もしないよりはましですかね・・・(勝手なことを)。どうか復興に向けて頑張って欲しいです。名古屋地方の中日新聞では特に3・11などの記念でない日にも一面に、「犠牲の灯り、第2部 飯館 女たちの哀歌」のシリーズとして被災者一人一人のストーリーが綴られています。本当にものすごいドラマが展開されていて読み応えがありますが、こういった現実を語り継いで、忘れないようにしなければいけませんね。ちなみに、中日新聞のこのシリーズに興味のある方は、ウェブサイト上で簡単に読めますので検索してみてください。
  思えば自閉症の診断も、地震のようなものかもしれません。人口の何パーセントかは必ず診断されるものということですから、確立で言えばどの家庭にも起こる可能性はある。しかもどういう生活習慣や食べ物、環境要因を避ければその確立を下げられるのかも分かっていないのですから、防ぎようもない。(そう言えば、半年くらい前ですがアメリカの新聞記事で、父親の年齢が高いと自閉症診断の確立も増えると出てましたかね。まあ父親の年齢が高ければ他の病気のすべての確立も高いのですが。)診断されれば、普通に思い描いていた人生計画というか、子どもに期待していた予想図を完全に崩されて、療育や特別支援教育などといった新しい道筋を建てることを余儀なくされる。多くの親から、「診断された日はもう二日間泣いた。それからどうしようか考え始めた。」と聞きます。こういう人生の大きな局面で色々なドラマがあります。
 早期教育をしていると、親の悩みや感情の浮き沈みのドラマに常にさらされているような感じですね。子どもの成長が目に見える時は、「もしかして健常児の教室にいけるかも」と期待で親の胸もいっぱいになりドキドキし、顔を見ただけでもその嬉しさが感じられる。でも、あまり成長が実感出来ない時には、「ああ、やっぱり無理だったか」なんて沈んでしまいます。時には、「ABAはダメかな。他の解決策はないのだろうか?検索してみようか?え・・と、GFCFダイエットって何だ?」と、色々な方向に手を出そうとします。(ちなみにGFCFとは、食事の中からグルテンなどの小麦や乳製品中のタンパク質を除去すること。グルテン等にアレルギーのある人には効果大。自閉症に効果があるとは特に報告は出ていないが、効果があったという体験談は聞かれる。)療育に携わる立場からは、「その場だけの成長度合いで一喜一憂せずに、長い目で見て療育を続けて下さい」とお伝えしますが、こういった感情の浮き沈みはどうしても仕方がないと思います。逆に言えば、こういった親の浮き沈みをどうやって支えて、どうやって前向きに持って行けるか(親のサポート)が療育家にとっては大切であるとも思います。
 どの子どもも成長は直線ではなく、時に大きく成長したり時には横ばいだったり、下がって見えたりするのです。上り下がりを繰り返しても大きな目で見て徐々に成長している限り、特に問題はない。だから今横ばいだからといって、そこで気持ちを沈めたり、療育を変えたり止めたりする必要は必ずしもないのです。私の経験からすると療育を始めた頃は、特に早期で始めた場合は子どもの行動に大きな変化があることが多いので、特に問題がない。ただし半年くらい経って来ると、「最近は前程成長がないし・・・」なんて親から言われることが時折あります。面白いのは、「最近前程成長がない」と言う親の子どもを見ると、療育する側からすると「ええ?こんなに成長しているのに・・・(ええ?同じ子の話をしている?)」と思える事が多いんです。私が子どもを見ると、明らかに前に出来なかった事ができるようになってて、実生活でも使えるようになってきていて、他の子にも興味を示し始めている。指摘すると親も「ああ、そうだね」と喜ぶけれど、それでも「成長してる」と実感できない。これは、私が親に「小さな変化に気づく目とそれを喜ぶこと」を伝授できなかったからかもしれません。
 だいたいどの子どもの療育をしていても、親に「小さな成長に気づいて行く目」を育てる必要があります。療育というのは、健常児が普通なら何もしなくても勝手に学んで行くことを、手を変え品を変えというか、色んな方法を試しながら子どもに合わせて教えて行く課程なのです。健常の子どもと比べれば本当に小さな成長であったとしても、自閉症の子どもが同じ事を学ぶには、背景に教育の時間だけでなく教材を変えたり、教え方を考えたり、ご褒美や面白くなるような遊びを考えたりといった裏方の時間が何十時間もかかっている場合が多いのです。療育の専門家からすれば、逆に本当に小さな課題を達成しても、「よっしゃー」って大声で応援して行かないとやってられない。しかし、やっぱり親からすれば、すぐにでも変化が欲しい。特に同じくらいの年齢の健常児と接する機会の多い家庭(例えば親戚の子どもとか、近所の子どもとか)だと、もちろん良い意味での刺激もすごく多いのですが、反面無意識のうちに比較してしまいやすい。また、「就学までに健常児の学級に入れる。」といった、具体的にどうすれば良いのか分からない目標をたててしまうと、成長をどう評価して良いかも分からずに、目標に近づいていないような焦りだけが先走りしてしまうこともある。
 書いていて、これは普通の教育と同じだなあと思いました。「東大に入る」なんて目標だけたてても、実際に一つ一つの数学や英語の問題ができるようにならなければ、しかも問題が解けるようになったことを一つ一つ喜んで前向きにやる気を出して行かなければ、勉強も長続きしないです。ちなみに私も受験の時は、「アルファー波を出す音楽を聴きながら、寝ている間に日本史を覚える」なんて都合の良いことをうたい文句にしている教材を買ってみた事もありました。当然効果がある訳がない!?今考えれば、熟睡してアルファー波なんて出てたのかな?自閉症などという大きな課題を目の前にしたら、それは安易な考えにも走りますよ。簡単な解決策があれば良いのにね。これは自閉症に限らずですけどね。目の前にある課題を一つ一つクリアしてくしか、先はないんです。長い道のりだけに、焦りは禁物です。クリアできた課題一つ一つを喜んでいかないと途中でばててしまいます。逆にその課題解決の一つ一つを楽しんでいきませんか?

2013年3月9日土曜日

ABA:シンプルな行動の理由

 最近合気道を始めました。私実は武道一切やった事無いんです。もちろん義務教育中の体育の授業でやらされる柔道とか剣道を除きます。私子どもの頃はそう言うの絶対嫌いでしたね。でも、大人になってやってみたくなる事もあるでしょう。でも人にこのことを話すと、まず「ええ?」と驚かれ、その次に「何で?」「どうして合気道?」「やったことあるの?」なんて聞かれます。私は時折こういったあまり脈絡のない行動に出ます。昔髪の毛を坊主刈りにした時も色々聞かれました。私からすると「別にやってみたかったから」とか「格好良さそうだから」「体に良さそうだから」程度の理由で始めたことだし、深い意味はないので、聞かれると答えづらい。あんまり人から聞かれるものだから最近は、「日本に帰って来て、日本らしいものを始めたかったから。」とか、「合気道は試合がないから、怪我が少なさそうだ。」とか、人が納得しそうな理由を探し始めました。はっきり言って面倒くさい。どうして皆「理由」を求めるのでしょうね。何か理由が無ければ行動を始めて行けないのだろうか。
  その点行動分析学は私には最高に合っている。行動が起こる理由というのをシンプルに分析する。というか、あまりにもシンプルすぎて逆に一般受けしづらい傾向がある。心理学のその正反対にあるのは、精神分析だと思います。行動が起こる理由を深〜く分析する。同じように逆に深すぎて一般受けしない。私は頭が比較的シンプルなのか、行動分析を学び始めたときは、「これだ」と思いましたね。行動を増やす強化とか減らす消去とか、とりあえず確実に分かる事、証明されている事を使って行動を分析しようとしたり、行動を変えようとするやり方が行動分析学(ABA)なんです。もちろん行動の科学で行動すべてが解明されている訳ではないし、これまでの研究の成果がが新たな研究の成果によって覆されることもあるのですが、それが科学というものです。少なくとも「専門家」の勝手な推測や理論によって振り回される可能性が少ない。
 昔自閉症の子どもは、「親が冷蔵庫みたいに冷たいから子どもが心を閉ざしてしまった」と分析されたりしたのご存知ですか?「専門家」にそう言って言われた親って、ただでさえ学習が困難な子どもを抱えいるのに、さらにその問題の原因とされてしまっていた親って、どうやって過ごしていたんでしょうか?絶望的ですよね。行動分析(ABA)では、自閉症という複雑な問題にも、行動の原理というシンプルな基本に従って分析します。例えば、「健常の子どもには強化子となるものが、自閉症の子どもには強化子でない」とか、「適切な行動が強化されていない」などと分析します。一般の人に分かる言葉で言い替えますね。普通子どもって褒められるとうれしくなって、何度も褒められた行動を繰り返したりしますよね。自閉症の子どもは、褒められても別になんともない場合も多いんです。誰かが「すごーい。」って笑顔で言っても、目をそらしたまま反応もない。人の行動なども見ていませんから、健常児が普通にする行動である「模倣」をすることもない。そうすると、健常の子どもが人の真似をしながら、人の顔を見ながら、一日中どんどん学んで行いっているのに、どんどん遅れが出てしまう。ですから、「褒められる」ことを、「うれしい」と思ってもらえるように変えたり、模倣する行動を教えたりすることで、その自閉症の症状を改善させよう。こういう風に考えるのです。
 行動分析で100%自閉症が治るということはありません。これは研究を見ても明らかに分かっていることです。ですが時折、「ABAで自閉症が治らないから、フロアタイムをやる」という事を聞きます。フロアタイムがABAとは違って、「親密さと暖かさ」「人と関わること」を育てて行くことに焦点を置いていることはご存知でしょう。では、ABAを使って行ける所まで行ったら、もしくはABAと同時にフロアタイムなどの療法をお勧めするでしょうか?私はしませんね。フロアタイムがダメとか言うつもりはさらさらありませんが、考え方が違いすぎて私からすると意味が分からないし(意味も分かっていない療法を紹介出来ない)、研究でも証明されていない(効果があるという証拠がない)療法を勧めるわけにも行きません。もちろんABAですべてを改善できないことは分かった上で、できること、分かっている事(効果があるという証拠のあるもの)をお勧めします。
 ちょっと掘り下げると、「私には(フロアタイムの)意味が分からない」と言いましたが、私は行動分析学を学んでいるので、それに合わない論理構成に納得できないということです。行動分析学の教科書には良く出てくる例で説明しますね。「人と関わることができない」「親密さと暖かさが確立されていない」というのは、どうやって分かるのでしょう?例えば視線が合わないとか、ハグなどの人の愛着表現を無視するとか、そういった行動を観察してですよね。では、「人と関わることができない」「親密さと暖かさが確立されていない」ということが原因となって、視線が合わせられなかったり、ハグを無視したりするんでしょうか?逆だと思います。視線が合わないとか、ハグを無視したりするので、「人と関わることができない」「親密さと暖かさが確立されていない」と名前を付けられただけです。ですから、視線を合わせられて、ハグがうれしそうにできて、というそれぞれ一つずつの行動が改善されて始めて、「親密さと暖かさを確立された」と言えるけれど、「親密さと暖かさを確立した」ことが原因となって、一つずつの行動が改善されたというのは、原因と結果が混乱してしまっていると思います。行動分析が行動に焦点を当てるのは、見えないもの(親密さ、関わり等)を無視しているからではなく、行動が改善されなければそういった見えないものも変わらないと考えるからです。もうこれは考え方の違いなので、あまり深く議論しても仕方の無い事かもしれません。
 こういった基本の考え方は、どんな複雑な事象を分析する時にも基本的に変わりません。行動分析学を学ぶと、すべての人間の(そして動物の)行動をこれまで分かっている(証明されている)行動の原理に従って考えます。これは「世界は行動の原理ですべて説明出来る」という哲学というか、考え方です。ちょっと今回難しかったかな?