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1月, 2013の投稿を表示しています

指示に従う力・教師による体罰

 今日中日新聞と東海地方のテレビニュースで、愛知県小学校、特別支援学級の担任教師が自閉症児の子供(10才)の両手を縛るというニュースが出ていました。中日新聞によると、子供が片付けする時間でない時に片付けをしてしまったので、「今は授業の準備をするときだよ」と説得したが、聞かなかったため(この子供は言葉があまり理解できなかったのですが)ビニールひもで両手首を二重に縛ったということなんです。しかもそれが明らかになったのは、教員自身が連絡帳に「たいほしました」と書いたからなんです。ちょっと感覚が信じられませんね。親が連絡帳に「人に迷惑をかけない行動をするように育てたい」と書いていたのを受けて、教員はその思いを受け止めて厳しくしようと思ったということです。ここで問題になるのが、教員の教える力、障がいのある子供への指導力です。明らかにどう教育して良いのか分かっていない。  教育委員会はぜひこの教える力の欠如を真剣に捉えて欲しいのです。学校はこの事件を機に、特別支援学級の担当を増やし、自閉症の勉強会を開く事を決めたようです。しかし、「勉強会」って実質どういうことでしょう?先生同士で勉強をしろってことでしょうか?もし本当に教員が暗中模索状態で教育している状態であれば(問題が根深いとすれば)、教員にとっても子供にとっても悲劇ですよね。どちらも辛い状態にあって、抜け出せない。専門家から正式なトレーニングを受けて、治療教育の方法を身につける必要があるかもしれません。教員の教育の技術が改善されなければ、体罰という形ではないにしても今後何かしら問題は現れ続けるのではないでしょうか?また、こういう事件があるということは、一般に教員が専門的なトレーニングを受けていないことの現れであるかもしれません(氷山の一角である可能性がある)。まあ私のような治療教育の専門家がこう言うと、「仕事を探しているんじゃないの?」と言われかねませんので、このくらいにしておきます。熱くなってしまってすみません。  では、お母さんが心配したように「人に迷惑をかけないように」人の指示に従うことを教えるにはどうしたら良いでしょう?基本は、1)先生が指示を出す、2)生徒が従う、3)先生が褒める、です。簡単に言えば、生徒が指示に従った時に必ず褒める癖を付けることです。生徒が指示に従う経験と、褒められる経験を何百回何千回と繰り返

行動範囲を広げる

 おじいちゃんの言い出しで、おじいちゃんの車を私の名義に変えました。米寿を昨年迎えたおじいちゃん、まあ年齢からすれば車を諦めても良いお年頃。ただしこれまで私のブログを色々読んで頂いた方はご存知の通り、まだまだゲンキです。まあ、あと2年くらいは車乗るんだろうなあと思っていところ、電話がありました。祖父「2月に車検もあるし、どうしようか考えとったんじゃ。お前にやる。」私「ええ?そうなの?」祖父「もうそんなに乗っ取ってもあかんからのう。やる。」私「ありがとう。」祖父「ほいでな。車検取ってからやるから。」私「はあ?何で自分で乗らんのに車検取るの?それぐらいやるよ。」祖父「そんな高い車でもないのに車検代まで出し取ったら、仕方ないやろ。」私「そんな事ないよ。車検くらいは、、、」祖父「(私の言葉を遮って)もう決めたの。じいちゃんは車検をやってからこうじに車をやる。」私「ありがとう。(おじいちゃんを知っている人なら、一度決めたら、もう何を言っても仕方ないね。)」こんな感じで決まりました。  実は私、日本に帰ってきてすぐにバイクの免許も取って、バイクを買って乗り回す予定だったのです。しかし、バイクじゃ荷物も詰めないし、カリフォルニア帰りで寒さに弱いということもあって(基本的にアメリカ帰りの人は根性無しと思って良い)、「やっぱり小回りの効く軽自動車かなあ(アメリカ帰りの人は道路の狭さ、駐車場の狭さにやられる)」と考え直していた所だったので、渡りに船ってやつですか。ただし、オートロック?(鍵を押すとピッって言って鍵が開くやつ)もついてないし、窓も手動(手でぐるぐるするやつ)、ラジオだけついていて(もちろんiPod等はつなげない)、「こんなに何もついてない車が今時あったのか?」という感じですね。しかもおじいちゃん、名義変更直前にちょっと事故って車を傷つけてきました。やっぱ運転は危ないか。「ちょっと苛ついとってのう。」と、恥ずかしそうにしていました。年とってきたら、普通はまごついて事故るよね。苛ついててぶつけるとは、理由が違うね。  まあ車って足ですよね。歩いて行けない色んな所に連れて行ってくれる。車を諦めることで足がなくなって、残念ながらおじいちゃんの行動範囲が狭まるのです。まあ私のおじいちゃんは近くにいるので色々どこかへ連れて行ってあげるとして、行動範囲の話をします。自閉症・広汎性発

自閉症をウィキペディアで検索

 自閉症について、福祉のしくみについて、治療教育について、ちょくちょくウェブで検索します。まず自閉症というキーワードで検索すると、始めに出てくるのがWikipedia(ウィキペディア:インターネット上のただで使える百科事典)の自閉症ですよね。これはアメリカでは一般にも浸透しているもので、徐々に、日本でも使われるようになってきたということでしょう。この辞典では執筆や編集が世界中のボランティアによって行われるということですが、内容がどれくらい的確かは疑問視されることもよくあります。私個人の大雑把な意見としては、内容の正確さについて慎重になってさえいれば(すべて鵜呑みにしてしまわなければ)、情報が簡単に手に入って、広告や有料サービスもなく、便利なので私はよく使います。  でも英語のページと日本語のページの内容を比較してみると、ちょっと、というか大きく違うんですよね。私はてっきり、英語のページがそのまま翻訳されているのかと思いましたが、そうでもないようです。治療教育をしてきた私として自閉症のページで一番びっくりしたのは、「治療」という所です。英語バージョンで紹介されるのが、ABA、発達モデル、TEACCH、言語療法士のセラピー、ソーシャルスキルトレーニング、そして作業療法士のセラピーなどです。さらに"Autism Therapy"という題名でより詳しく色々療法がのっています。でも日本語バージョンでは、「治療」という所では、4行のみの説明で、「TEACCH」と「ソーシャルスキルトレーニング」しか紹介されていません。しかもその他にはセラピーなどのページはありません。ちょっと、ええ?それだけ?と思いました。どうしてでしょう?日本では色んな治療教育があまり手に入りづらい状況なので、「そんな日本で手入らないセラピーは紹介しなくて良し」という事なんでしょうか?日本で執筆を担当したボランティアの人が、日本で手に入る情報のみを基に、英語での研究や情報は無視して執筆したんでしょうか?疑問です。ABA(応用行動分析)で博士号を取ってる私からすれば、これまで私が勉強してきた、アメリカや日本の研究者が積み上げてきた行動分析の成果は日本では紹介されないのか?とちょっと憤りを感じます。「治癒」の投稿で話した通り、カリフォルニアでは簡単にABAの治療教育を受けられて、大きな効果も確

クレーン現象、マンド、発語

 前回のシェイピングの投稿に関して、以下のような質問がありました。投稿として回答させていただきますね。ちなみに、知らない人から質問・返答をいただくのは初めてです。ありがとうございまーす。去年12月16日からブログを始めて1月程度ですかね、やっと友達以外の人からも見てもらえるブログになって来たと言う事でしょうか?まさにブログ、インターネットの醍醐味ですね。  以下が質問の内容です。「どうしても、クレーン表現で、ある程度すんでしまうので、言葉を話す必要性が低いため、遅れてしまった模様です(現在4語程度)。何かしら明確な条件があると楽なんですが。」知らない方に注をつけると、「クレーン表現」とは子供が親等の大人の手をつかんで、欲しい物のところまで連れて行くことです。親の手を道具のように使うことから、「クレーン」と言われます。言葉の発語がない、要求の仕方が分からない子供(大人でもある)によく見られます。質問に答えられているかは分かりませんが、手当たり次第回答しますね。数打ちゃあたるって訳でもありませんが、打たないよりは良いでしょう。   まず始めに、「クレーン表現で、ある程度すんでしまう」とありますが、そうなんですよ。お母さんはやっぱり母親だから、子供のやりたい事って結構分かってしまうんです。言葉が遅れたのは「お母さんのせい」と言うよりは、母性本能と治療教育とがうまく合致しない特別例という感じですかね。お母さん達には、「絶対何もただではやらないで。」とアドバイスします。というのは、子供の欲しい物をそのまま与えてしまったのでは、教える機会を逃してしまった事になるからです。子供が欲しい物が明らかに分かっていても、分からないふりをして、子供に要求する(専門用語ではマンドと言います)という努力をさせてからその物を与えるようにするんです。例えば、子供が私の手を引っ張っていって、オモチャの所に連れて行くとします。オモチャを見ると、電源がついていないので子供が遊ぼうとしても遊べない状態になっている事が分かります。本来からすれば、子供が私の手を引っ張るよりも、「オモチャが動かないからスイッチ入れて」と口で要求出来れば最善ですよね。ただし、そんなこと突然出来るようになれば苦労はないので、できることから徐々に強化(シェイピング)していきます。ここで選ぶ言葉は、子供が一番言いやすい言葉にします

ABA:シェイピング

 治療教育でよく使われる応用行動分析(ABA)の中に、シェイピングという手法があります。これは教えたい行動が今起こっていない時、それに近い行動を増やし、徐々に最終目的の行動に近づけるというものです。例えば、サーカスの熊や象に行動を教える時、口で説明してもダメですよね。基本的に良い行動が起こった時に、えさを与えてその行動を強化します。でも、今起こっていない行動をどうやって教えれば良いのか。それに近い行動に徐々に変えていくんです。例えば熊にぐるりと回る事を教えるには、最初はちょっと横を向いた時にえさ強化子(好子)を与える、それが出来るようになれば、もう少しだけ前より横を向いた時にだけえさを与える、さらに、後ろまで向いたときだけえさを与える、と徐々に徐々にぐるりと回ってしまうまで続けるわけです。  行動分析の創始者とも言われるスキナーは、水やえさなどの好子・強化子を使って動物に色々な行動を教えました。鳩にピンポンをするように教えたり、戦争中には鳩に目標に向かってつっつく行動を教える事で、ホーミングミサイル(目標追跡型のミサイル)の中身に鳩を使うということも提案していました(実用化はされませんでしたが)。  もちろん人間にも(大人にも子供にも、健常児でも自閉症児でも)使えるこの手法ですが、実は手法の習得が難しいんです。0.1秒強化子(好子)を与えるのが遅れるだけで、どの行動を強化したのかずれてしまうのですから、下手な人がやると必要のない行動が増えてしまって、一向に望む行動まで行き着かない。時間もかかります。ただし言葉を教える際は、どうしても無理に言葉を絞り出させる事ができないので、シェイピングを使わざるを得ないことが多いのです。例えば何も言葉を話さない子供が、何でも良いから音を出した時には褒めてやったり、遊んでやったり、おやつをあげたりして強化するんです。偶然でも音が出るようになったら、すぐに強化するんです。音をたくさん出すようになると、それを徐々に、単なる音ではなくて言葉に近づけていく訳です。時間も、忍耐力も、シェイピングの技術力(強化子を与えるタイミングの良さ)もいります。  治療教育には本当にこういう高レベルの技術を使える専門家がいると良いのですが、アメリカでもなかなかみつかりません。私も人の監督に回ることが多く、実際に子供の教育することが減っているので、大した

真似

 自閉症児の治療教育などに関わっていると、普通の子供って「天才だなあ」なんて思ってしまう事が多々あります。自閉症児にはこちらが何回も何回も教えてやっと出来るようになることが、普通児は誰も教えていないのに勝手に学んでしまうんです。「表示に気づく」のブログで話したように、自閉症の子供には真似するって非常に難しいことだったりするんですが、普通の子供は本当に真似をしますね。  この間公園でトレーニングをしていました。公園のトレーニング器具を使って、腹筋背筋とか、腕立てとか、懸垂(両手でぶら下がって腕で体を持ち上げるやつ)とか。すると、小学生ぐらいの姉弟でしょうか、私のやっているのを真似ていくんです。お姉さん風の女の子が「あ、こういう風にやるんだ」なんて言いながら私のトレーニングを真似すると、男の子も最初は女の子の邪魔したりしながらも、最後には当然お姉さんの真似をします。( 私のトレーニングが真似をすべき正しいものかどうかは別として。)しばらくすると、中学生くらいの男の子が3人組が来て、真似するんです。全く同じ事をするんじゃなくて、自分たち風にアレンジしながらも、なぜか私に付いて来るように同じ器具を一つ一つ使っている。人間ってよっぽど真似をするように仕組まれているんでしょうね。

教育は勝ち取る

 現在カリフォルニア州の患者さんにも、遠隔地ながらインターネット等を通して監督役として治療教育に関与させていただいています。カリフォルニアでは健康保険で治療教育が支払われるのですが、某医療保険会社とのやり取りで本当に腹が立っています。私の場合、これまでにもその保険会社からの支払いを受けていたのですが、保険会社の都合で新しい会社に保険業務の担当が代わるということになった訳です。向こうの都合で担当が代わったにも関わらず、申し込みから何から何まで全部やり直しなんです。その書類形式一式すべて代わるので、すべてを一から学ぶことから始めなければいけないんです。しかも、どこからどう始めたらよいのかという情報自体が簡単に仕入れられないようになっているんです。  電話をかけるとこんな風になります。まず、待たされますよね。「お客様の電話は大切です」なんてメッセージが流れて(それなら電話にすぐ出ろ!)、しばらくして人につながります。それから、患者さんの名前と保険の番号、私の名前等を聞かれて、「どういったご用件でしょう」というやり取りになります。説明すると、じゃあ担当の部門に代わりますと言われて他に回され、次の担当部門にかわると留守番電話につながってしまうんです。今アメリカにいないので、Eメールで返事をお願いしますとメッセージを残しつつも、用事を早く済ませたいので、もう一回電話をかけます。(ちなみに、そこの部門からは一週間経っても留守電への返答なんてありゃしない。そんな失礼なことってありか?)もう一回かけ直して、取りあえず今の患者さんの担当に当たる方に代わってくれと頼むと、担当の人もひどいんです。「ああ、でもあなたはネットワークに入っていないから、ダメかもしれませんよ。」なんて平気で言って、でもじゃあネットワークに入るにはどうするのか、具体的な説明ゼロ。何か質問をすれば、すべて他の部門の電話番号が帰ってくるだけなんです。メールで、「質問に答えられませんか?あなた担当じゃないんですか?」なんて質問すると、返事なしです。一体どういうことだ?  電話かけるとそうやって、あっちこっちに回されて、回されるごとに待ち時間があるので、一回かけると一時間弱くらいすぐに経ってしまいます。しかもそれでも必要な情報は手に入らない。話す人ごとに違う情報を出したり、違う書類形式が回って来たりと、まさに悪戦苦闘で

当たり前の表示に気づく

 この間アメリカ時代からの友達のカナコさんが名古屋に寄ってくれました。同じ療育業界の方なので、せっかく名古屋に寄ったついでに事務所まで遊びに来てくれる事になりました。せっかく東京から来てくれているのだから、電車ぐらいスムーズに案内したいところ。しかし!電車に乗るのって意外に難しいんです。名古屋名鉄線のホームにおりても「岐阜行き」とか「犬山行き」とか、行き先からして色々種類がありすぎる。そして、準急は止まるけれど急行は止まらないとか、同じホームにいても、乗れる電車と乗れない電車がある。ホームをウロウロして、時刻表をまず確かめて、「ああ、次の電車に乗れば大丈夫」と安心して待っていたところ、次の電車はピューっと私たちの前を走り抜けてしまいました。「ええ?名古屋駅なんだから通過ってことはないでしょ?」と、周りを見渡してもどうして電車に通過されたのか全然分かりません。騙されたかなあと名鉄を恨みつつ、仕方がないので駅員さんに聞きました。「あの、二ツ杁の駅まで行きたいんですけど。待ってたんですけど、通り過ぎちゃったみたいで。」こんな恥ずかしい質問ないですよね。電車ぐらい普通乗れるでしょう?年取るとどうしてこう、面白いキャラになってくるんでしょうね。しかもせっかく友人が事務所まで来てくれるって言うのに。駅員さんによると、実は同じホームでも待つ場所が違ったらしいんです。よく見ると、「車両はここまで」なんて小さく表示されているんです。そんな小さな表示でわかるか!ですよね。これはあくまで私の責任ではない。表示が悪い。断言してやった。まいったか、名鉄。  自閉症の人の経験って、これと似てるんじゃないでしょうか。世の中にはこういった「表示」がたくさんある訳です。これに従えないと損をしてしまう。表示に気づけない人からすると、言って見れば、「なんで自分だけ電車にいつも乗り遅れてしまうのか」分からない。自閉症の人は、他の人から明らかに見える表示が、見えないんです。正確に言えば、見えないんではなくて、眼中に入ってはいても気づけないんです。例えば学校で他の子供がさーっと教室からいなくなったら、一人静かな教室で遊び続けます?自閉症の子は遊び続けちゃうんです。みんながいなくなったということは、何か先生から指示があったとか、他に楽しい事があったとか、災害があったとか、普通からすれば「何か重大な事があった」

兄弟両方自閉症

 ちょっと深刻な話をしますね。子供が一人自閉症だと診断されたとしますね、次の子供を産んだ時に次の子供も自閉症と診断される確率って、どれくらいだと思います?  普通に自閉症と診断されるよりも格段に大きいんです。本当に残念だと思います。私は診断の専門家ではないので詳しいところは分かりませんが、治療教育をしていて兄弟両方とも診断を受けるという家庭は結構ありました。ただし、親の方も二人目の子供は始めから自閉症の可能性を疑ってかかる事が多いので、一人目の子供よりも格段に準備ができている事が多いのです。例えば早いうちから医者等とこまめに足を運んだり、公共の福祉をなるべく利用したり、療育を比較的早期から取り入れたり、ということです。ちなみに私の経験からすれば(あくまで経験からですが)、こういった親の準備の違いによって、二人目の方が将来的にも社会適応が良いように思われます。早期教育が半く開始できるとすれば、結果に大きな違いが出るのも当然でしょう。  例えば、二人とも症状が比較的軽い場合(一般に高機能と言われる場合です)、両方とも普通学級入学を考慮するが、お兄さんの方は問題行動が多すぎて普通学級に入れないが弟は入れるということもあります。二人とも症状が比較的重い場合には、学校が終わってお母さんが迎えに来ると、弟はにっこり笑ってお母さんに向かうのに、お姉さんは視線を合わせずに手だけを出して一緒に歩き出す(お母さんが分からないということではないが、喜びを表現出来ない)、という違いですかね。もちろん持って生まれた可能性まで同じという事ではないので、療育を早く始めたに関わらず二人目の方が圧倒的に症状が重いような例外もあります。  「もう一人が自閉症に診断されただけで十分だから」、 といって子供を作るのを止めようとする両親もあります。これは仕方がないでしょう。つい最近だと思いますが、父親の年齢が高いと子供が自閉症になる確率も増えるという報告もありましたよね(他の病気のリスクも当然高いのですが)。あまり確率を気にしすぎるのもなんだと思いますが。診断があろうとも確率が高かろうとも、ばんばん産んで、悩みを持ちながらも生活を楽しんでいるような家庭もたくさんあります。人生それぞれですね。

診断の少なさ理解の薄さ

 日本に帰って来て「どんな仕事してるの?」なんて聞かれ、よく自閉症や治療教育の話をします。ちょっとずつ感じられることですが、一般の人がほとんど自閉症のことを知らないという事実です。比較的新しく知られるようになった障害ですから、知らない人が多いというのは当然だと思います。ただし、知らない人の割合が大きすぎだと思います。ほとんどの人が言葉ぐらいは聞いたことあるとかテレビ等で見た事がある・聞いた事がある程度です。まあ、ぶっちゃけ「他人事」ですかね。「ああ、私の知り合いのー」とか、「そうなんだよ、教員やってるあの人のクラスにー」なんていう実際の話をきくことがあまりに少ない。もしかしたら、日本では(アメリカと比べて)本当に診断数が少ないんじゃないかと思い始めました。  アメリカでは疾病予防管理センターが88人に一人という情報を出して社会的問題として取り上げられるようになりました。最近になっての急増です。88人に一人って、すごい数ですよ。ダウン症なんてレベルではないです。テレビで見たということではなくて、インフルエンザにかかるくらい本当に「普通に色んなところでよく見かける人たち」なのです。 日本では国のレベルでの統計データがまだ出てないんですかね。1000人に一人(アメリカの10分の1)とかアメリカ並みだとか、色んなところで色んな数字を見かけますが。私が人と話して得た印象からすれば、アメリカ並みっていうことはないように思われます。でも、診断数が少ないというのは、本当に自閉症が少ないということでは必ずしもありません。  診断数には色々な要素が影響します。本来からすれば行動を観察して客観的に診断を出すのですが、診断があることから来る悪影響を考えて、診断を出し惜しむ傾向もあるかもしれません。発達に遅れがあるというのと、自閉症という診断があるというのとでは重みが違いますよね。差別なんかもあるかもしれません。親やその子供の将来を考えると、それだけの重みを家族の肩に乗せるだけの理由がなければ、診断を出さずに曖昧にしておく方がいいと考える医者もいるかもしれません。私は医者ではないのであくまで勝手な推測ですが。診断を出す一番の利点はその治療を行えるということです。治療教育は医者がよく目を通す医学系の研究ではなく心理系・教育系の研究雑誌にその効果が出ているので、医者からすればあまり馴染みのな

感覚のずれ

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今年も新春明けた早々初詣に行って参りました。夜は寒いですよね。身も引き締まる思いです。  カリフォルニアで甘やかされてしまった私、実は日本に帰って来てから寒くて、寒くて。セントラルヒーティングって知ってます?家中すべてが暖かいんです。これに慣れてしまうと、日本の一部屋ずつ暖めるやり方が本当に辛くなってしまうんです。どんなに居間が暖かくても、廊下とかトイレって寒いじゃないですか。特に木造は家の中で吐く息が白かったりするじゃないですか。もう耐えられないです。灯油ストーブの灯油の交換?とんでもないです。根性なんてまるっきり無しです。どうして日本人はこんなに耐えられるのか分からないというか、どうして耐えるのか意味が分からないです。資源がないからか。  いずれにせよ感覚というか、感じ方は人それぞれじゃないですか。他の人からは他の人がどう感じているかは想像するしかない。外が寒いと、自分が寒いから他の人も寒いのではないかと想像するだけで、他の人が本当に寒いかどうかは感じられない。自閉症の人って、ある種の感覚(視覚、聴覚、触覚など)が非常に鋭かったり、あるいは非常に鈍かったり、バランスが崩れている人が多いんです。そうすると他の人から気持ちが想像しにくいんです。よくある例としては、あまり痛みを感じない子供がいます。例えば転んでがーんと頭を打っても平気な顔してそのまま遊び続けたり(だから親も知らない青あざとかが多い)、寒い冬でも雨の中でも放っておいたらそのまま平気で薄着で外にいたり、というのは良く見かけます。これは感覚が鈍い方ですね。逆に鋭い方では、偏食というか、少ない種類の同じような物だけしか食べられないとか、食感や味に異常に敏感で色々な物が受け付けられないなどという人もいます。洋服でも肌触りにとても敏感で色々な物が着られないという人もいます。うるさい音には耳を塞ぐ子供もいます。これは自閉症だから必ずというわけではないんですが、そういう人が多いのです。しかも人それぞれなので、こういうのがあれば自閉症と言うわけでもない。  感じ方が違うということ自体は基本的に問題ではないのですが、他の人の理解が得られないという意味で二次的に問題になってきます。自閉症をあまり知らない人からすれば「どうしてこんな小さな事が、こんなに嫌なの