2013年1月23日水曜日

指示に従う力・教師による体罰

 今日中日新聞と東海地方のテレビニュースで、愛知県小学校、特別支援学級の担任教師が自閉症児の子供(10才)の両手を縛るというニュースが出ていました。中日新聞によると、子供が片付けする時間でない時に片付けをしてしまったので、「今は授業の準備をするときだよ」と説得したが、聞かなかったため(この子供は言葉があまり理解できなかったのですが)ビニールひもで両手首を二重に縛ったということなんです。しかもそれが明らかになったのは、教員自身が連絡帳に「たいほしました」と書いたからなんです。ちょっと感覚が信じられませんね。親が連絡帳に「人に迷惑をかけない行動をするように育てたい」と書いていたのを受けて、教員はその思いを受け止めて厳しくしようと思ったということです。ここで問題になるのが、教員の教える力、障がいのある子供への指導力です。明らかにどう教育して良いのか分かっていない。
 教育委員会はぜひこの教える力の欠如を真剣に捉えて欲しいのです。学校はこの事件を機に、特別支援学級の担当を増やし、自閉症の勉強会を開く事を決めたようです。しかし、「勉強会」って実質どういうことでしょう?先生同士で勉強をしろってことでしょうか?もし本当に教員が暗中模索状態で教育している状態であれば(問題が根深いとすれば)、教員にとっても子供にとっても悲劇ですよね。どちらも辛い状態にあって、抜け出せない。専門家から正式なトレーニングを受けて、治療教育の方法を身につける必要があるかもしれません。教員の教育の技術が改善されなければ、体罰という形ではないにしても今後何かしら問題は現れ続けるのではないでしょうか?また、こういう事件があるということは、一般に教員が専門的なトレーニングを受けていないことの現れであるかもしれません(氷山の一角である可能性がある)。まあ私のような治療教育の専門家がこう言うと、「仕事を探しているんじゃないの?」と言われかねませんので、このくらいにしておきます。熱くなってしまってすみません。
 では、お母さんが心配したように「人に迷惑をかけないように」人の指示に従うことを教えるにはどうしたら良いでしょう?基本は、1)先生が指示を出す、2)生徒が従う、3)先生が褒める、です。簡単に言えば、生徒が指示に従った時に必ず褒める癖を付けることです。生徒が指示に従う経験と、褒められる経験を何百回何千回と繰り返すことで、指示に従える傾向が徐々についていきます。ただし、生徒が指示に始めから従えなければ先生も褒められないので、簡単な指示から始めて、徐々に難しい指示に移行して行きます。簡単な指示を出しているのに子供が指示に従わない時は(従えるけれど従う気がない場合)、どうすれば良いでしょう?基本は、1)先生が指示を出す、2)生徒が従わない、3)先生が手助け(プロンプト)をして従わせる、です。簡単に言えば、指示を出した以上は必ずやらせるということです。ただし、難しすぎる指示を与えてしまうと、子供も苦痛で反抗したりして、またこういう時に手助けを入れようとすれば失敗します。愛知県の体罰の例ではないけれど、無理強いしてしまい失敗します。だから、生徒が簡単に従えそうな指示から与え、徐々に難しくしていくことが大切なんです。これは確かに時間はかかりますが、効果的ですし、ここまでは自閉症とか広汎性発達障害とか関係無しで健常児にも使える手法です。
 自閉症の場合は、簡単に従える指示と難しい指示の区別がつきづらいので、上記の「徐々に難しくしていく」が難しくなります。まず、指示を与える時生徒の状態を注意して観察する必要があります。テレビを見ていたり、オモチャで遊んでいる時に指示を出しては、いつもは簡単に従える指示でも生徒はそれに従えません。それから、周りにたくさん人がいたり、音がうるさいというだけで、指示が耳に入らない子供もいます。言語の限られた子供には、言い方に注意する必要もあります。「ノートをロッカーから持って来て。」と指示するのに比べて、「後ろにあるあそこのロッカーから、ノートをこっちまで持って来てくれるかな?」と指示するのでは、同じ内容でも倍近く言葉が多く入っています。言葉が遅れている子供にたくさんの言葉で話すと、理解されにくいんです。言い方がちょっと変わっただけで指示に従えない子供もいます。こだわりがあって、ちょっといつもの順序と違うとパニクってしまう子供もいます。パニクっている時に指示を出しても、もちろん従ってはくれません。逆に普段は指示に従えない子供が、指示に従えるようにヒントを与えてあげることもできます。口で言った指示には従えなかった子供が、絵カード等の視覚情報を使うと比較的簡単に指示に従えるようになる場合もあります。ビデオ等で指示に従う方法を見せてやる事で、それが出来るようになる場合もあります。子供にとってどうすれば一番受け入れられやすい指示になるのか、発見してやる必要があるのです。
  例を出しますね。ある4才の自閉症と診断された女の子、4才児にしてはあまりにも大きい(40キロ以上)。言葉はほとんどなく、特殊教育のプリスクールに入りたいのですが、服が着られないので外に出られないんです。女の子なので裸で学校に行かせる訳にはいかず、私が家庭まで呼ばれました。聞くと、お父さんはもと軍隊にいたぐらいで、体格も大きくとても厳格で、無理にこの子に服を着せていました。でも、お父さんがいなくなるとすぐに服を脱いでしまうんです。この子はもう40キロ以上なので、お母さんはとてもじゃないけれど、体全体で抵抗する子供に無理矢理服を着せられません。無理に着せられた経験から、服を着せられようとするとすぐに床にどてっと寝てしまいます。もう2ヶ月以上も外に出た事がないということです。外に出そうとしても抵抗するんだそうです。突然やってきた私が、この子をどうやって指示に従わせることができるでしょう?取りあえず服を着せるよう試してみました。どれくらい反抗するのか、自分の目で見てみないとね。着替えた時のご褒美にお菓子も用意しました。服を近づけると逃げようとするのですが、手を握って、気をそらせるために歌も歌ってみました。服を近づけながらジャンプしてみました。女の子の姉達もやってきて、応援しました。シャツの袖を通すと、家族みんなで手を叩いて喜び、頭を通せばパーティー状態。女の子も「何かいつもと違う」というような表情でしたが、あれっと思う間に服を着せられてしまいました。そして、着替えた直後に「やったー」ってみんなで褒めながら、その流れで外に連れ出してしまいました。外に出た瞬間の女の子の顔は今でも忘れません。「こんな世界があったのか。」というような不思議な表情をしていました。2ヶ月も外に出た事がなかったのですから、当然と言えば当然ですかね。しばらく外を歩いて(実は裸足)、家に帰って女の子が自分から服を脱ぎだす前に、服を脱いでと言う指示を出して脱がせました。お母さんは奇跡だと言って泣いていました。この例で大切なのは、女の子の様子を観察しながら、「従いにくい指示」をいかに「従いやすい指示」に変えて行くか、それからいかに「強化」というか、皆の応援や褒め言葉、着替えた後の褒美(外に出られること)が大切かということです。ちなみに、その次の日、女の子は外に出たくて自分から服をお母さんの所に持ってきて、服を着てお母さんと一緒に散歩に出かけたそうです。 まあこういう例は珍しいにしても、教育は常に子供の様子をしっかり観察しながら、その時々の対処を変え、その子に一番あったやり方をみつけて行く必要があるのです。
 長くなりましたが、ためになりました?

行動範囲を広げる

 おじいちゃんの言い出しで、おじいちゃんの車を私の名義に変えました。米寿を昨年迎えたおじいちゃん、まあ年齢からすれば車を諦めても良いお年頃。ただしこれまで私のブログを色々読んで頂いた方はご存知の通り、まだまだゲンキです。まあ、あと2年くらいは車乗るんだろうなあと思っていところ、電話がありました。祖父「2月に車検もあるし、どうしようか考えとったんじゃ。お前にやる。」私「ええ?そうなの?」祖父「もうそんなに乗っ取ってもあかんからのう。やる。」私「ありがとう。」祖父「ほいでな。車検取ってからやるから。」私「はあ?何で自分で乗らんのに車検取るの?それぐらいやるよ。」祖父「そんな高い車でもないのに車検代まで出し取ったら、仕方ないやろ。」私「そんな事ないよ。車検くらいは、、、」祖父「(私の言葉を遮って)もう決めたの。じいちゃんは車検をやってからこうじに車をやる。」私「ありがとう。(おじいちゃんを知っている人なら、一度決めたら、もう何を言っても仕方ないね。)」こんな感じで決まりました。
 実は私、日本に帰ってきてすぐにバイクの免許も取って、バイクを買って乗り回す予定だったのです。しかし、バイクじゃ荷物も詰めないし、カリフォルニア帰りで寒さに弱いということもあって(基本的にアメリカ帰りの人は根性無しと思って良い)、「やっぱり小回りの効く軽自動車かなあ(アメリカ帰りの人は道路の狭さ、駐車場の狭さにやられる)」と考え直していた所だったので、渡りに船ってやつですか。ただし、オートロック?(鍵を押すとピッって言って鍵が開くやつ)もついてないし、窓も手動(手でぐるぐるするやつ)、ラジオだけついていて(もちろんiPod等はつなげない)、「こんなに何もついてない車が今時あったのか?」という感じですね。しかもおじいちゃん、名義変更直前にちょっと事故って車を傷つけてきました。やっぱ運転は危ないか。「ちょっと苛ついとってのう。」と、恥ずかしそうにしていました。年とってきたら、普通はまごついて事故るよね。苛ついててぶつけるとは、理由が違うね。
 まあ車って足ですよね。歩いて行けない色んな所に連れて行ってくれる。車を諦めることで足がなくなって、残念ながらおじいちゃんの行動範囲が狭まるのです。まあ私のおじいちゃんは近くにいるので色々どこかへ連れて行ってあげるとして、行動範囲の話をします。自閉症・広汎性発達障害があると、なかなか行動範囲が広がらない。というのも、問題行動や、社交性の欠如、意思疎通の力の乏しさ、指示やルールに従えないことで、集団が基本となる公園、プール、スーパー、電車の乗り降り、色んな所に行く事が難しくなります。例えばいつも通りの順序が変わるとパニクったり、突然道路に走り出してしまったり、列に並べなかったり、大人の指示に従えなかったりすると、「親の躾が悪い」なんて非難されたりしてなかなか外に出づらい。逆に言えば、社交性をある程度つけてやって、いつも通りの順序を変えてもパニクらないようになって、意思疎通の力を延ばしてやって、指示やルールに従うことを教えてやれば、それが「足」となって行動範囲を広げてあげることができるのです。
 私が治療教育をする際は、そういった所を目標に入れます。行動範囲が広がるということは、その子の将来の可能性を増やす事になります。特に発達に障がいがあると、色んな事が出来ないという前提に立ってしまう事が多く、親が面倒をみすぎてしまう場合がありますよね。自閉症の子は特に顔が美しい場合が多くて(私の個人的な意見です)、可愛いんです。普通の人なら、可愛さに負けて色々世話を焼いてしまいます(それはそれで一つの生きる力かもしれない)。やっぱり教えるよりもやってあげた方が、何事も早く済みますよね。でも、全部やってしまってあげては、子供の「足」が育たないんです。行動範囲が広まらないんです。例えば、何か子供が欲しい物があれば「欲しい」という気持ちを伝えるという意思疎通を教えるんです(口で言ったり、指差ししたり)。ちょっとでも順序が変わるとパニクるのであれば、毎日少しずつ順序を変えて、変わる事に慣れさせるんです。少しずつ親の指示に従うこと(本当に簡単な事から)を教えて、指示に従う力を積み重ねるんです。道路に飛び出してしまわないように、親の手を掴んで一緒に歩く事を教えるんです。いつも抱きかかえたり、ベビーカーにのせていては、一緒に歩く事は勝手に学んではくれません。毎日の教育で、本当に将来の行動範囲というか「可能性」が広がるので、気をつけてみてください。

2013年1月22日火曜日

自閉症をウィキペディアで検索

 自閉症について、福祉のしくみについて、治療教育について、ちょくちょくウェブで検索します。まず自閉症というキーワードで検索すると、始めに出てくるのがWikipedia(ウィキペディア:インターネット上のただで使える百科事典)の自閉症ですよね。これはアメリカでは一般にも浸透しているもので、徐々に、日本でも使われるようになってきたということでしょう。この辞典では執筆や編集が世界中のボランティアによって行われるということですが、内容がどれくらい的確かは疑問視されることもよくあります。私個人の大雑把な意見としては、内容の正確さについて慎重になってさえいれば(すべて鵜呑みにしてしまわなければ)、情報が簡単に手に入って、広告や有料サービスもなく、便利なので私はよく使います。
 でも英語のページと日本語のページの内容を比較してみると、ちょっと、というか大きく違うんですよね。私はてっきり、英語のページがそのまま翻訳されているのかと思いましたが、そうでもないようです。治療教育をしてきた私として自閉症のページで一番びっくりしたのは、「治療」という所です。英語バージョンで紹介されるのが、ABA、発達モデル、TEACCH、言語療法士のセラピー、ソーシャルスキルトレーニング、そして作業療法士のセラピーなどです。さらに"Autism Therapy"という題名でより詳しく色々療法がのっています。でも日本語バージョンでは、「治療」という所では、4行のみの説明で、「TEACCH」と「ソーシャルスキルトレーニング」しか紹介されていません。しかもその他にはセラピーなどのページはありません。ちょっと、ええ?それだけ?と思いました。どうしてでしょう?日本では色んな治療教育があまり手に入りづらい状況なので、「そんな日本で手入らないセラピーは紹介しなくて良し」という事なんでしょうか?日本で執筆を担当したボランティアの人が、日本で手に入る情報のみを基に、英語での研究や情報は無視して執筆したんでしょうか?疑問です。ABA(応用行動分析)で博士号を取ってる私からすれば、これまで私が勉強してきた、アメリカや日本の研究者が積み上げてきた行動分析の成果は日本では紹介されないのか?とちょっと憤りを感じます。「治癒」の投稿で話した通り、カリフォルニアでは簡単にABAの治療教育を受けられて、大きな効果も確認されているというのに、そういった情報が日本の教育者や自閉症や他の広汎性発達障害の子供を持つ親に伝わらないですよね。
 そう言えば今思ったんですが、日本でウェブサイトで自閉症を検索すると、あまりABA(応用行動分析)って出てきませんよね。自閉症という関連では、必ずしも知られていないということですかね。意外に思われるかもしれませんが、実は日本の行動分析学会ってかなり大きいんです。自閉症関連の研究も多く出てます。慶応大学を含む多くの有名大学でも教えられているんですよ。応用行動分析を使える学生は密かに育っているんです。ただし現状からすると、大学で応用行動分析を勉強しても治療教育で飯を食って行くことが難しいので、心理学の研究者になってしまうんです。日本の福祉から治療教育に対する金銭的支援が本当に少ないので、こういう状態になっているのですが、こんなもったいない話はないです。日本の自閉症・広汎性発達障害の子供に早く色んな療育が手に入るような状態になって欲しいです。そして、ウィカペディアでも色んな療法が列挙されるように。私もがんばります。
 忘れておりました。ちなみに私のウェブサイトにも色んな療法を紹介していますので、良かったら見てください。www.kojitakeshima.com/自閉症について/治療・療育の選択肢

2013年1月21日月曜日

クレーン現象、マンド、発語

 前回のシェイピングの投稿に関して、以下のような質問がありました。投稿として回答させていただきますね。ちなみに、知らない人から質問・返答をいただくのは初めてです。ありがとうございまーす。去年12月16日からブログを始めて1月程度ですかね、やっと友達以外の人からも見てもらえるブログになって来たと言う事でしょうか?まさにブログ、インターネットの醍醐味ですね。
 以下が質問の内容です。「どうしても、クレーン表現で、ある程度すんでしまうので、言葉を話す必要性が低いため、遅れてしまった模様です(現在4語程度)。何かしら明確な条件があると楽なんですが。」知らない方に注をつけると、「クレーン表現」とは子供が親等の大人の手をつかんで、欲しい物のところまで連れて行くことです。親の手を道具のように使うことから、「クレーン」と言われます。言葉の発語がない、要求の仕方が分からない子供(大人でもある)によく見られます。質問に答えられているかは分かりませんが、手当たり次第回答しますね。数打ちゃあたるって訳でもありませんが、打たないよりは良いでしょう。
  まず始めに、「クレーン表現で、ある程度すんでしまう」とありますが、そうなんですよ。お母さんはやっぱり母親だから、子供のやりたい事って結構分かってしまうんです。言葉が遅れたのは「お母さんのせい」と言うよりは、母性本能と治療教育とがうまく合致しない特別例という感じですかね。お母さん達には、「絶対何もただではやらないで。」とアドバイスします。というのは、子供の欲しい物をそのまま与えてしまったのでは、教える機会を逃してしまった事になるからです。子供が欲しい物が明らかに分かっていても、分からないふりをして、子供に要求する(専門用語ではマンドと言います)という努力をさせてからその物を与えるようにするんです。例えば、子供が私の手を引っ張っていって、オモチャの所に連れて行くとします。オモチャを見ると、電源がついていないので子供が遊ぼうとしても遊べない状態になっている事が分かります。本来からすれば、子供が私の手を引っ張るよりも、「オモチャが動かないからスイッチ入れて」と口で要求出来れば最善ですよね。ただし、そんなこと突然出来るようになれば苦労はないので、できることから徐々に強化(シェイピング)していきます。ここで選ぶ言葉は、子供が一番言いやすい言葉にします。「オ」の音がもう言える子供だったら、「(スイッチ)オン」でも良いです。結構色々言える子供だったら、「オモチャ動かして」でも良いです。全然言葉が言えない子供なら、まず視線を合わせることから初めても良いです。取りあえず子供が出来そうな事をやらせてから、「オンにして欲しいの?オン、良く言えたね。」とか、「よくお母さんが見れたね。」とか言いながらその直後にオモチャを動かしてあげると良いのです。これを繰り返すうちに、子供も徐々に何か欲しい時は手を引っ張るだけでなく口で何か言ったり、視線を合わせたりするようになってきます。
 選ぶ言葉は、言葉が4語しかない場合はどうしましょう?どんな行動を子供にさせるか選択するのが、実は一番難しいんです。ターゲット(目標)と言いますが、目標を高く設定しすぎると、子供が諦めて興味を失ってしまいやすいんです。目標が低すぎれば当然成長が遅いですが、高すぎるのよりは良いのです。4語発語があるにしても、色んな音を日常的に出している子供の場合、偶然単語に近い音になる場合があるじゃないですか。そう言う場合は比較的やりやすい。とりあえず待っていれば、偶然近い音になった時に強化(上の例を使えば、オモチャをオンにする)すれば良いのです。ただし、実生活を見ると、これが偶然近い音には中々ならないんですよ。子供も(親も)すぐ苛立って来ちゃうし。発語自体が少ない時は、まず偶然に近い音が出るとか、発語がある事自体も稀なので強化しにくい。この場合、手話、絵カード、指差し、ジェスチャー等を使います。指差し等のターゲットの行動ができたら、「良く言えたね。」とオモチャのスイッチを入れてあげます。実際は指差しなので言えてはいないのですが、意思の疎通が出来たという意味です。指差しやジェスチャーは欲しい事がより指定出来るだけ、コミュニケーション・意思疎通という意味ではクレーンよりもずいぶんレベルが高いですよね。
 発語ではなくジェスチャーなどの身体行動をする場合、シェイピングだけではなくて、身体プロンプト(手で子供の行動を作ってあげて手助けすること)が使えます。例えば指差しの場合、クレーンで握っている手をお母さんの手で指差しの形に変えてあげて(身体プロンプト)、それから「良く言えたね。」とオモチャのスイッチを入れてあげるのです。だから、偶然行動が起こる事を待たなくても良いのです。ただし、身体プロンプトの難点としては、子供によってはお母さんのプロンプトを受動的に待ってしまう子供もいます。ですから、自発性を教えなければいけません。まず子供がお母さんのプロンプトを期待する(手を差し出す)ようになってきたら、プロンプトをする前に、3秒間待ってやるんです。子供に、「あれ?」と考える時間を与えるんです。3秒待ったら、プロンプとしてしまって構いません。もちろんお母さんを待たずに自分で指差しできたら、それだけ早く子供の欲しい物が手に入るようにします。それをしばらく続けたら、5秒にします。徐々に時間を延ばす事で、子供が自発的に指差しをする方が子供に取って得(早くもらえる)になるので、自発性を増やす事ができます。どうして発語とシェイピングの話が、ジェスチャーと身体プロンプトの話になったかというと、それだけシェイピングが難しいということです。治療教育を始めて1−2年ではまず習得は無理でしょう。しかし、シェイピングを使えなくても、子供の意思疎通の力を次のレベルに持って行くことができるということです。
 お母さん達からたまに、「ジェスチャー、絵カード、手話などのを使うって言う事は、発語を諦めたことになるんじゃないの?」という質問を受けます。実は、その逆なんです。絵カード(この場合ペックスという絵カードを使った意思疎通法)を使って要求する事を教えると、教えていない発音全般(声を出す事)が増えたという研究も出ています。意外でしょ?声を出すようになれば、それだけ強化できる機会が増えるということです。発語だけにとらわれず、意思の疎通を出来るだけ教えることで、発語を含めた意思疎通につなげて行きましょう。ちなみに、お母さんの指差す方向を見る、お母さんのやることを真似するという事を教えても、次に色々な行動が教えやすくなります。
 もうちょっと突っ込んでシェイピングだけを使って発語を教えたい場合、こういう事もできます。おやつに食べる事の好きな子供なら、色んな食べ物を用意しておきます。色々食べ物があることで、ターゲットとなる言葉の数を増やせます。例えば、チョコレート、イチゴ、バナナ、ジュース、ポテトチップスがある場合、子供が声を出してチョコレートの「チョ」や「ト」に近い音、イチゴの「い」とか「ご」に近い音、バナナの「バ」や「ナ」に近い音、ポテトの「ポ」に近い音、「(袋を)開ける」の「あ」に近い音など、「もっと欲しい」の「も」の音など、どれでも近い音が出た瞬間に、「い、いちごが食べたいね。」「も、もっと欲しい」と等と言いながら子供の口の中に関連した食べ物を放り入れます。こうやって食べ物の種類を増やす事で色んな音が強化出来るようになるので、声を出す事自体が断然増やせます。オモチャの例でいけば、「オン」の他にも、「動かして」「やって」「欲しい」「これ」など、ターゲットをたくさん用意しておけば、偶然どれかに近い音が出る確率はあがりますよね。ちなみに「食べ物を口に放り入れる」と言いましたが、子供の発音が次の発音に移ってしまわないうちに強化してしまわなければ行けないからです。言葉が話せない子供が発音している時って、「イーアーエー」とかって、色んな音をだしますよね。一音だけではない。だから、その瞬間を逃さないということが必要になります。この瞬間的な強化ができないと、言葉に近い音にはなっていかないのです。ちなみに、声を出す事を教えると、残念ながら、「うるさくなった」と言われます。これは仕方のない事です。親側のわがままという事ですね。
 色々話しましたが、質問に答えられたら幸いです。

2013年1月17日木曜日

ABA:シェイピング

 治療教育でよく使われる応用行動分析(ABA)の中に、シェイピングという手法があります。これは教えたい行動が今起こっていない時、それに近い行動を増やし、徐々に最終目的の行動に近づけるというものです。例えば、サーカスの熊や象に行動を教える時、口で説明してもダメですよね。基本的に良い行動が起こった時に、えさを与えてその行動を強化します。でも、今起こっていない行動をどうやって教えれば良いのか。それに近い行動に徐々に変えていくんです。例えば熊にぐるりと回る事を教えるには、最初はちょっと横を向いた時にえさ強化子(好子)を与える、それが出来るようになれば、もう少しだけ前より横を向いた時にだけえさを与える、さらに、後ろまで向いたときだけえさを与える、と徐々に徐々にぐるりと回ってしまうまで続けるわけです。
 行動分析の創始者とも言われるスキナーは、水やえさなどの好子・強化子を使って動物に色々な行動を教えました。鳩にピンポンをするように教えたり、戦争中には鳩に目標に向かってつっつく行動を教える事で、ホーミングミサイル(目標追跡型のミサイル)の中身に鳩を使うということも提案していました(実用化はされませんでしたが)。
 もちろん人間にも(大人にも子供にも、健常児でも自閉症児でも)使えるこの手法ですが、実は手法の習得が難しいんです。0.1秒強化子(好子)を与えるのが遅れるだけで、どの行動を強化したのかずれてしまうのですから、下手な人がやると必要のない行動が増えてしまって、一向に望む行動まで行き着かない。時間もかかります。ただし言葉を教える際は、どうしても無理に言葉を絞り出させる事ができないので、シェイピングを使わざるを得ないことが多いのです。例えば何も言葉を話さない子供が、何でも良いから音を出した時には褒めてやったり、遊んでやったり、おやつをあげたりして強化するんです。偶然でも音が出るようになったら、すぐに強化するんです。音をたくさん出すようになると、それを徐々に、単なる音ではなくて言葉に近づけていく訳です。時間も、忍耐力も、シェイピングの技術力(強化子を与えるタイミングの良さ)もいります。
 治療教育には本当にこういう高レベルの技術を使える専門家がいると良いのですが、アメリカでもなかなかみつかりません。私も人の監督に回ることが多く、実際に子供の教育することが減っているので、大した事ないでしょう。ちなみに、カリフォルニアで今監督しているセラピストさんの一人は、行動分析の正式なトレーニングを受けていないにも関わらず、これが本当に上手いんです。自閉症の子供で、1年間他の治療教育の機関で治療教育を受けて来たにも関わらず、言葉はほとんどなしの子供がいました。3歳でそのセラピストさんの所に来ました。そのセラピストさんと治療教育を始めて3ヶ月くらいですかね、そのセラピストさんといる時は明らかに音をたくさん出すようになりました。しかも、よーく聞くと、「もっと(more)」とか、 「もう一回(again)」とか、 「食べる(eat)」とか、 「ナナ(バナナ)」とか、言葉に近い音がたくさん出てるんです。徐々にシェイピングされています。今6ヶ月くらいで、「緑(green)」とか「(バ)ナナ食べる(eat nana)」とか、もっともっと色んな音が明らかに正しい場面で出てくるようになっています。残念ながらこちらが思った時ににいつも言葉を話す訳ではないのですが、一時間で40から50くらいの発語が見られるようにまでなっています。他の治療教育の専門家が1年かかってほとんど成長がなかった子供に、これだけ教えられるようになるのは、本当に腕というか技術のある人にしかできない。感心しました。治療教育の腕が本当に良い専門家が増えると良いですね。

真似

 自閉症児の治療教育などに関わっていると、普通の子供って「天才だなあ」なんて思ってしまう事が多々あります。自閉症児にはこちらが何回も何回も教えてやっと出来るようになることが、普通児は誰も教えていないのに勝手に学んでしまうんです。「表示に気づく」のブログで話したように、自閉症の子供には真似するって非常に難しいことだったりするんですが、普通の子供は本当に真似をしますね。
 この間公園でトレーニングをしていました。公園のトレーニング器具を使って、腹筋背筋とか、腕立てとか、懸垂(両手でぶら下がって腕で体を持ち上げるやつ)とか。すると、小学生ぐらいの姉弟でしょうか、私のやっているのを真似ていくんです。お姉さん風の女の子が「あ、こういう風にやるんだ」なんて言いながら私のトレーニングを真似すると、男の子も最初は女の子の邪魔したりしながらも、最後には当然お姉さんの真似をします。( 私のトレーニングが真似をすべき正しいものかどうかは別として。)しばらくすると、中学生くらいの男の子が3人組が来て、真似するんです。全く同じ事をするんじゃなくて、自分たち風にアレンジしながらも、なぜか私に付いて来るように同じ器具を一つ一つ使っている。人間ってよっぽど真似をするように仕組まれているんでしょうね。

教育は勝ち取る

 現在カリフォルニア州の患者さんにも、遠隔地ながらインターネット等を通して監督役として治療教育に関与させていただいています。カリフォルニアでは健康保険で治療教育が支払われるのですが、某医療保険会社とのやり取りで本当に腹が立っています。私の場合、これまでにもその保険会社からの支払いを受けていたのですが、保険会社の都合で新しい会社に保険業務の担当が代わるということになった訳です。向こうの都合で担当が代わったにも関わらず、申し込みから何から何まで全部やり直しなんです。その書類形式一式すべて代わるので、すべてを一から学ぶことから始めなければいけないんです。しかも、どこからどう始めたらよいのかという情報自体が簡単に仕入れられないようになっているんです。
 電話をかけるとこんな風になります。まず、待たされますよね。「お客様の電話は大切です」なんてメッセージが流れて(それなら電話にすぐ出ろ!)、しばらくして人につながります。それから、患者さんの名前と保険の番号、私の名前等を聞かれて、「どういったご用件でしょう」というやり取りになります。説明すると、じゃあ担当の部門に代わりますと言われて他に回され、次の担当部門にかわると留守番電話につながってしまうんです。今アメリカにいないので、Eメールで返事をお願いしますとメッセージを残しつつも、用事を早く済ませたいので、もう一回電話をかけます。(ちなみに、そこの部門からは一週間経っても留守電への返答なんてありゃしない。そんな失礼なことってありか?)もう一回かけ直して、取りあえず今の患者さんの担当に当たる方に代わってくれと頼むと、担当の人もひどいんです。「ああ、でもあなたはネットワークに入っていないから、ダメかもしれませんよ。」なんて平気で言って、でもじゃあネットワークに入るにはどうするのか、具体的な説明ゼロ。何か質問をすれば、すべて他の部門の電話番号が帰ってくるだけなんです。メールで、「質問に答えられませんか?あなた担当じゃないんですか?」なんて質問すると、返事なしです。一体どういうことだ?
 電話かけるとそうやって、あっちこっちに回されて、回されるごとに待ち時間があるので、一回かけると一時間弱くらいすぐに経ってしまいます。しかもそれでも必要な情報は手に入らない。話す人ごとに違う情報を出したり、違う書類形式が回って来たりと、まさに悪戦苦闘です。そのくせ電話の最後には、「他にご用件は?」なんて聞かれて本当に腹が立ちます。お前が何も答えられないくせに、そんなこと言うな!電話を切った後、「日本に帰って間もないのに、こんなに英語がしゃべれなくなったのか?」「私の英語の訛りのせいで冷たくあしらわれたのか」と愕然としましたが、よく考えれば英語の問題でもないですよね。話し相手のやる気の問題です。向こうはお金を支払いたくないですから、こうなる訳です。こんなに苛ついたのは久しぶりだなあ、そう言えば前もこれぐらい苛立った事もあったなあと、ふと考えてみると他の保険会社に電話をかけた時でした。(アメリカでは健康保険は国ではなく民営なので、色んな保険会社が乱立している。)そう言えば前にも苦労したっけ、と思い返しました。
  アメリカの治療教育の福祉が良いなんて言っても、これじゃあなかなかサービスを得るまでによっぽど力を注がないといけないですよね。ちなみに、アメリカでは福祉系のサービスや、教育系のサービスなど、勝手に与えられると言うよりも基本的に自分で勝ち取るものと考えた方が良いのです。私も州立の学校区で働いていましたが、同じ法律のもとで仕事をしているにも関わらず、本当に学校区によってもらえる教育も様々。住民(親)の知識や教育関心レベルの低い地域の学校区では、相手が文句を言わないことを良い事に、法律で認められている教育すら受けられない場合もあるようです。ちなみに私のいた学校区では反対で、教育熱心な親が多いアジア系の住民が多いので、何か学校教育で間違いがあればすぐに訴えられてしまうので、親から常に弁護付きで監視されているようなものです。職員も法律には気を使って仕事します。学校の教育も親の働きかけによって変わるのです。言い方を変えれば、学校の言うままになっていてはいけないのです。日本でも基本的には同じ事が言えると思います。学校に問題があるとすれば、学校の先生だけが悪いのではなく、住民(親)の働きかけが足らないのです。最近モンスターピアレント(お化けたいに問題な親)なんて言葉で、学校に文句の多い親が増えているそうですが、不満や問題があれば問題が大きくなる前に、誰かが口に出してコミュニケーションをしないといけません。学校も法律にのっとった正しい教育をしていれば、別に教育熱心な親を怖がる必要はないのです。確かに人とのコミュニケーションは疲れますが、それに懲りずに「教育は勝ち取る」という姿勢を身につけたいものです。

2013年1月10日木曜日

当たり前の表示に気づく

 この間アメリカ時代からの友達のカナコさんが名古屋に寄ってくれました。同じ療育業界の方なので、せっかく名古屋に寄ったついでに事務所まで遊びに来てくれる事になりました。せっかく東京から来てくれているのだから、電車ぐらいスムーズに案内したいところ。しかし!電車に乗るのって意外に難しいんです。名古屋名鉄線のホームにおりても「岐阜行き」とか「犬山行き」とか、行き先からして色々種類がありすぎる。そして、準急は止まるけれど急行は止まらないとか、同じホームにいても、乗れる電車と乗れない電車がある。ホームをウロウロして、時刻表をまず確かめて、「ああ、次の電車に乗れば大丈夫」と安心して待っていたところ、次の電車はピューっと私たちの前を走り抜けてしまいました。「ええ?名古屋駅なんだから通過ってことはないでしょ?」と、周りを見渡してもどうして電車に通過されたのか全然分かりません。騙されたかなあと名鉄を恨みつつ、仕方がないので駅員さんに聞きました。「あの、二ツ杁の駅まで行きたいんですけど。待ってたんですけど、通り過ぎちゃったみたいで。」こんな恥ずかしい質問ないですよね。電車ぐらい普通乗れるでしょう?年取るとどうしてこう、面白いキャラになってくるんでしょうね。しかもせっかく友人が事務所まで来てくれるって言うのに。駅員さんによると、実は同じホームでも待つ場所が違ったらしいんです。よく見ると、「車両はここまで」なんて小さく表示されているんです。そんな小さな表示でわかるか!ですよね。これはあくまで私の責任ではない。表示が悪い。断言してやった。まいったか、名鉄。
 自閉症の人の経験って、これと似てるんじゃないでしょうか。世の中にはこういった「表示」がたくさんある訳です。これに従えないと損をしてしまう。表示に気づけない人からすると、言って見れば、「なんで自分だけ電車にいつも乗り遅れてしまうのか」分からない。自閉症の人は、他の人から明らかに見える表示が、見えないんです。正確に言えば、見えないんではなくて、眼中に入ってはいても気づけないんです。例えば学校で他の子供がさーっと教室からいなくなったら、一人静かな教室で遊び続けます?自閉症の子は遊び続けちゃうんです。みんながいなくなったということは、何か先生から指示があったとか、他に楽しい事があったとか、災害があったとか、普通からすれば「何か重大な事があった」という、言わば「表示」なんです。自閉症の子ってそういう表示に気づけないんです。見えていてもそれがどういう意味なのか、どう行動すれば自分にとって得になるのか気づかないんです。
 小さな子供、比較的重度の子供の話をすると、まず人の真似をしない。人がある行動を取って大きく笑っていたりすると、普通の人からするとそれは「何か面白い事がある」という表示なんです。教えられていなくても、真似したくなっちゃうもんなんです。何のためにかは知らないけれど取りあえず列に並んでしまう人もいますよね。でも、自閉症の子は、他の人を真似すると面白かったり、得するということに気づけないんです。だから、他の人の行動が目には映ってはいるけれど、その意味はわからない。だから、真似をする事を教えるんです。真似するようになれば、将来自分で色んな事を学ぶかもしれないじゃないですか。
 実は私の教えた子供で、教えた事によって本当に真似する事が面白くなっちゃった子供がいたんです。大人の行動も、他の子供の行動も、しょっちゅう真似して喜んでいる。それだけ見れば良い結果ですよね。でも、自閉症の奥は深い。その子は「真似」だけが面白くなって、その効果に気づけなかったんです。例えば、みんなで水遊びをしているとします。他の子供が大人に水を飛ばすと、大人は「やめろよー。」なんて逃げながらも、笑っているとしますよね。水を飛ばす事ではなく、大人に水をかける事が面白いんです。それを見た自閉症の子が、真似をして水を飛ばすんだけれど、大人にかけることが面白いという意味が分からなかったんでしょうね。ただ一人で水を飛ばしていました。もう一つ例を出すと、他の子供が遊び場に座っている時に、私がその周りをくるっと回って、「いないいないバー」をしました。そしたら、その自閉症の子がやってきて、座った子供がいなくなった場所で(もう子供がいないのに)、周りをくるっと回って「いないいないバー」を真似しました。誰もいない場所に「いないいないバー」してしまったんです。
 じゃあどうすれば良いの?一つ一つ教えていくしかないんです。水かけを真似した後で、水を飛ばすだけでなく大人に水をかけることをその場でやらせて、大人からどういう反応が出るのか経験させてあげるんです。「いないいないバー」の真似をした時も、その直後に他の子供に対しても「いないいないバー」をやらせて、他の子供からどういう反応が出るのかも、経験させてあげるんです。その場その場でなければ教えられないことなんです。英語で言うと、「cause and effect」なんて言いますが、何かをやってそれがどういう結果を生むのかを体験させてあげるんです。体験した事が楽しければ、その経験によって今後真似をするだけでなく、どういう所に注目すれば自分に取って得になるのか、「注目する(表示に気づく)」事を学びます。
 自閉症の療育って、どれぐらい普通の人が当たり前に気づいている表示に気づかせてあげるか、が勝負なんです。

兄弟両方自閉症

 ちょっと深刻な話をしますね。子供が一人自閉症だと診断されたとしますね、次の子供を産んだ時に次の子供も自閉症と診断される確率って、どれくらいだと思います?
 普通に自閉症と診断されるよりも格段に大きいんです。本当に残念だと思います。私は診断の専門家ではないので詳しいところは分かりませんが、治療教育をしていて兄弟両方とも診断を受けるという家庭は結構ありました。ただし、親の方も二人目の子供は始めから自閉症の可能性を疑ってかかる事が多いので、一人目の子供よりも格段に準備ができている事が多いのです。例えば早いうちから医者等とこまめに足を運んだり、公共の福祉をなるべく利用したり、療育を比較的早期から取り入れたり、ということです。ちなみに私の経験からすれば(あくまで経験からですが)、こういった親の準備の違いによって、二人目の方が将来的にも社会適応が良いように思われます。早期教育が半く開始できるとすれば、結果に大きな違いが出るのも当然でしょう。
 例えば、二人とも症状が比較的軽い場合(一般に高機能と言われる場合です)、両方とも普通学級入学を考慮するが、お兄さんの方は問題行動が多すぎて普通学級に入れないが弟は入れるということもあります。二人とも症状が比較的重い場合には、学校が終わってお母さんが迎えに来ると、弟はにっこり笑ってお母さんに向かうのに、お姉さんは視線を合わせずに手だけを出して一緒に歩き出す(お母さんが分からないということではないが、喜びを表現出来ない)、という違いですかね。もちろん持って生まれた可能性まで同じという事ではないので、療育を早く始めたに関わらず二人目の方が圧倒的に症状が重いような例外もあります。
 「もう一人が自閉症に診断されただけで十分だから」、 といって子供を作るのを止めようとする両親もあります。これは仕方がないでしょう。つい最近だと思いますが、父親の年齢が高いと子供が自閉症になる確率も増えるという報告もありましたよね(他の病気のリスクも当然高いのですが)。あまり確率を気にしすぎるのもなんだと思いますが。診断があろうとも確率が高かろうとも、ばんばん産んで、悩みを持ちながらも生活を楽しんでいるような家庭もたくさんあります。人生それぞれですね。

2013年1月3日木曜日

診断の少なさ理解の薄さ

 日本に帰って来て「どんな仕事してるの?」なんて聞かれ、よく自閉症や治療教育の話をします。ちょっとずつ感じられることですが、一般の人がほとんど自閉症のことを知らないという事実です。比較的新しく知られるようになった障害ですから、知らない人が多いというのは当然だと思います。ただし、知らない人の割合が大きすぎだと思います。ほとんどの人が言葉ぐらいは聞いたことあるとかテレビ等で見た事がある・聞いた事がある程度です。まあ、ぶっちゃけ「他人事」ですかね。「ああ、私の知り合いのー」とか、「そうなんだよ、教員やってるあの人のクラスにー」なんていう実際の話をきくことがあまりに少ない。もしかしたら、日本では(アメリカと比べて)本当に診断数が少ないんじゃないかと思い始めました。
 アメリカでは疾病予防管理センターが88人に一人という情報を出して社会的問題として取り上げられるようになりました。最近になっての急増です。88人に一人って、すごい数ですよ。ダウン症なんてレベルではないです。テレビで見たということではなくて、インフルエンザにかかるくらい本当に「普通に色んなところでよく見かける人たち」なのです。 日本では国のレベルでの統計データがまだ出てないんですかね。1000人に一人(アメリカの10分の1)とかアメリカ並みだとか、色んなところで色んな数字を見かけますが。私が人と話して得た印象からすれば、アメリカ並みっていうことはないように思われます。でも、診断数が少ないというのは、本当に自閉症が少ないということでは必ずしもありません。
 診断数には色々な要素が影響します。本来からすれば行動を観察して客観的に診断を出すのですが、診断があることから来る悪影響を考えて、診断を出し惜しむ傾向もあるかもしれません。発達に遅れがあるというのと、自閉症という診断があるというのとでは重みが違いますよね。差別なんかもあるかもしれません。親やその子供の将来を考えると、それだけの重みを家族の肩に乗せるだけの理由がなければ、診断を出さずに曖昧にしておく方がいいと考える医者もいるかもしれません。私は医者ではないのであくまで勝手な推測ですが。診断を出す一番の利点はその治療を行えるということです。治療教育は医者がよく目を通す医学系の研究ではなく心理系・教育系の研究雑誌にその効果が出ているので、医者からすればあまり馴染みのないものかもしれません。医者の立場から積極的に推薦するには、治療教育の効果を目の当たりにする必要があるかもしれません。さらに、福祉から治療教育が援助されない現状では、治療教育を推薦しても親がお金を出せないことも多いでしょう。診断する一番の利点に確実につながらないということであれば、じゃあ診断して何の得になったの?ということになってしまうかも知れないという事です。医者が診断を出さない、社会的な認知が広まらない、治療教育の必要性が広まらない、専門家が育たない、という悪循環になってしまっていると思います。自閉症の診断がないからと言って、問題がなくなった訳ではないんですけどね。積極的に診断して問題を直視する必要があると私は思います。治療教育の効果も私はよく知っていますしね。
 そいうった悪循環を変えるために、日本に治療教育の効果を知ってもらうために、私も日本に帰って来たわけです。ちなみに、実は日本で健康保険を使ってABAの治療教育が出来る所があるって知ってます?沖縄等のアメリカ軍の基地内です(法律上アメリカ?)。軍の人の使う健康保険を使って治療教育できるんです。同じ所に住んでいながら、親からすれば本当に必要なものが日本人は手には入らないって寂しいじゃないですか。まあ焦って何とかなる問題でもないので、地道にぼちぼちやらせていただきます。

2013年1月2日水曜日

感覚のずれ

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今年も新春明けた早々初詣に行って参りました。夜は寒いですよね。身も引き締まる思いです。
 カリフォルニアで甘やかされてしまった私、実は日本に帰って来てから寒くて、寒くて。セントラルヒーティングって知ってます?家中すべてが暖かいんです。これに慣れてしまうと、日本の一部屋ずつ暖めるやり方が本当に辛くなってしまうんです。どんなに居間が暖かくても、廊下とかトイレって寒いじゃないですか。特に木造は家の中で吐く息が白かったりするじゃないですか。もう耐えられないです。灯油ストーブの灯油の交換?とんでもないです。根性なんてまるっきり無しです。どうして日本人はこんなに耐えられるのか分からないというか、どうして耐えるのか意味が分からないです。資源がないからか。
 いずれにせよ感覚というか、感じ方は人それぞれじゃないですか。他の人からは他の人がどう感じているかは想像するしかない。外が寒いと、自分が寒いから他の人も寒いのではないかと想像するだけで、他の人が本当に寒いかどうかは感じられない。自閉症の人って、ある種の感覚(視覚、聴覚、触覚など)が非常に鋭かったり、あるいは非常に鈍かったり、バランスが崩れている人が多いんです。そうすると他の人から気持ちが想像しにくいんです。よくある例としては、あまり痛みを感じない子供がいます。例えば転んでがーんと頭を打っても平気な顔してそのまま遊び続けたり(だから親も知らない青あざとかが多い)、寒い冬でも雨の中でも放っておいたらそのまま平気で薄着で外にいたり、というのは良く見かけます。これは感覚が鈍い方ですね。逆に鋭い方では、偏食というか、少ない種類の同じような物だけしか食べられないとか、食感や味に異常に敏感で色々な物が受け付けられないなどという人もいます。洋服でも肌触りにとても敏感で色々な物が着られないという人もいます。うるさい音には耳を塞ぐ子供もいます。これは自閉症だから必ずというわけではないんですが、そういう人が多いのです。しかも人それぞれなので、こういうのがあれば自閉症と言うわけでもない。
 感じ方が違うということ自体は基本的に問題ではないのですが、他の人の理解が得られないという意味で二次的に問題になってきます。自閉症をあまり知らない人からすれば「どうしてこんな小さな事が、こんなに嫌なのか」理解に苦しみます。理解できなければわがままと勘違いして、無理強いをさせてしまうこともあるでしょう。例えば、肌触りがとても敏感な人に嫌な服を無理に着せてしまったり。偏食の子供に無理に食べさせようとしたり。本当に嫌だったとしたら、無理強いが原因となって一生心に残る悪い思い出を作ってしまうかもしれません。ある程度周囲からの理解が必要なのです。ではそのまま放っておけば良いのでしょうか?子供というのは可塑性に富むものです。可塑性とは、一度変わったらそのまま変わったままになると言う事です。紹介されたような感覚が他の人の感じ方に近づけば、人生もっと楽になりますよね。鈍感な場合は怪我が多いとか、体を冷やしてしまうとか、親が気をつけてあげればなんとかなる場合が多いので、問題になる場合が少ないです。しかし敏感すぎる際は、偏食が続けば栄養不足になってしまい、音のうるさい場所にいけないとか行動範囲を狭めたり、将来の学校生活でも問題になってきます。できれば変えていきたい。
 ちなみに蛍光灯に見とれてしまう子供って多いんです。前に働いていた学校ではそのためにわざわざ蛍光灯の光が直接子供の目に入らないように間接照明にしている所もありました。蛍光灯のチカチカが気になって(ある種の刺激に敏感すぎて)勉強に集中出来なかったりするからです。
 私が療育を行う際は、敏感な人に対して徐々に敏感さを減らすように、嫌いな刺激に徐々に慣らす訓練をします。前にも言ったかとおもいますが(こだわりの所だったかな)「チクチクいじめるように」と紹介します。例えば嫌いな食べ物があれば、見るのも嫌ですよね。嫌がらせが目的ではないんですが、食べなくてもいいからおテーブルの上に嫌いな物をのせちゃうんです。別に気にならなくなるまで続けます。そして、徐々に本人との距離を近づけていくんです。来週はお皿の上にのってるかもしれません。次の週は好きな物の隣にあるかもしれません。隣の子供に食べさせて見本を見せるかもしれません。食べられたら、口に近づけたら本当に喜んで褒めてやるんです。慣れるまで続けなければいけません。かなり時間がかかる方法ですが、効果はあります。あまり急に嫌な物を近づけると逆に本当に嫌になってしまう可能性もあるので、子供の反応を見つつ、行けそうだったらちょっと余分に押し、ダメそうだったらちょっと引くという感じですかね。この反応を見ながらやり方を微妙に変えるというところが専門家の「うまさ」につながる訳です。下手な人は子供の反応をよく観察でして対応を変えていないので、無理強いして余計に嫌にしてしまったり時間がかかりすぎてしまったり。即効性はなく結構難しいのが難点ですが、自閉症でなくても効果はあるので嫌いな物のある人は試してみても良いかもしれません。
  今年も自閉症の色々な話題に対して意見し議論していきますので、よろしくお願いします。