またまた、おじいちゃんの暴走ネタでやらしてもらいます。(これだけ頻繁にネタを提供してもらってありがたいです。本人はこんなところで書かれてい るとは知りませんが、家族なのでしょうがないと思って諦めて欲しいです。)おじいちゃんはますます勢い良く暴走しています。肺炎して入院中、病院の先生に 無理に頼み込んで退院を決めたおじいちゃんですが、家族の迎えも待たずに逃げるようにタクシー退院し、その次の日の話です。朝9時に電話がありました。祖 父:「車のよう、前のところを盗られた。」こうじ:「は?何を?」
祖父:「前の車輪のところ」
こうじ:「タイヤを盗まれたの?」
祖父:「おう、タイヤはあるけどな。抜かれた。俺は分かる。15日ぐらい使ってなかったから。お前んところにみかん持っていってやろうと思って。」
こうじ「みかん?ありがとう。」
 というような会話から始まり、どうやらタイヤの空気が抜けていたようです。でも、だいたいなんで車を動かそうとしているの?無理に退院したんだから寝てなきゃいけないんじゃないの?という疑問も言えない前に、
祖父:「今来てくれ。」
こうじ:「え?」
祖父:「直してくれ。待っとる。そんじゃあ。」
こうじ:「ちょ、ちょっと待って。日本に帰ってきたばっかりで、タイヤ直すところなんて知らないよ。」
  私では助けにならないと判断した祖父は、お姉さん(祖父の娘、私の叔母に当たる)の所に電話をかけると告げ、電話を切りました。電話の後もしばらく状況が 理解できず、私はしばらくぼんやりしていました。みかん持って来るって一体どういうこと?肺炎なのに。お姉さんのところに電話してみました。お姉さん夫婦 が車でこちらに向かっているようです。もしかしたら、車で20分はかかるお姉さんを外で待っているのでは?(本当にクエスチョンマークの多い日だ。)私は 歩いても行ける距離に住んでいるので、とりあえず行ってみました。行ってみると、駐車場の出入り口近くに止まっている車の横で、予想通り自分でスペアタイ ヤに交換しようと車のトランクを全開にしています。外はまだ朝だし寒いのに。まだ退院の次の日なのに。
 あまりに理解出来ない行動に、思わ ず問いつめてしまいました。どうして外にいるの?まだ退院したばっかりなんだから家にいないと。もう小1時間ぐらい外にいるんじゃないの?代わりにお姉さ んをここで待ってるから、取りあえず家に帰って、と。まあ私も強く言ったつもりはないんですが、「困ったもんだ」という表情にはなっていたかもしれませ ん。あとでお姉さんに、「こうじにしっかり叱られた。」と悲しげな様子を見せていたようです。でも、胃がんの手術後間もなくこういった無理が原因で肺炎に なったのに、ぜんぜん懲りてない様子じゃ、こちらも言いたくもなるよ。
 その日の夕方にもう一度おじいちゃんのところに行って、次の日の外来通院に連れて行くという話をしました。しかしおじいちゃんは、頑として自分一人で行くと言って聞きません。
祖父:「もうええ。なんでも自分でしなあかん。もう、こうじ君にも言われたから、車は運転せんけどな。」
こうじ心の声:(ええ?車運転するなって話じゃないんだけど。ゆっくり休んで回復してから一人で外に出ろって話なんだけど。)
祖父:「バスもあるし、タクシーもあるし、もうそんなに迷惑かけ取ったらしょうがないから、出来るうちは一人でやる。」
こうじ心の声:(だって肺炎がまだ完全に治っていないから言っているのに。)
祖父:「自分の体は自分で一番分かるし。」
こうじ心の声:(わかってないから肺炎起こしたんだと思うけど。)
祖父:「来んでもええ。ゆっくり休んでください。」
こうじ心の声:(お前が休めよ!)
諭すように語る祖母:「せっかく連れて行くと言ってくれてるんだから、甘えときゃいいのに。」
祖父:「そんなに行きたかったらお前が行け!」
  祖母にきつくあたる様子から見ても、祖父は非常にいらいらしているようです。もしかしたら私が強く言い過ぎたので、がっくりきたのかなあと思いました。自 分ができなくなっていることがつらいんでしょうね。これ以上私が何かを言っても、あまり私のメッセージも全然伝わっていないし、議論しても無駄だなと判断 して家に帰りました。(実は次の来院の日には病院の先生から、おじいちゃんが来てないけれど大丈夫ですかと電話がありました。本当に毎日のように何かある ねえ。結局それはおじいちゃんが来院の時刻を間違えただけでした。)
 この話によく現れているのが「罰」の使い方です。行動の科学(行動分 析)の研究では「罰」の効果や副作用が明らかにされているんです。「罰」というのは、減らしたい行動の後に、何か好ましくないことが起こることによって、 将来的にその行動の頻度が減る場合を言います。確かに「罰」を使うと行動を減らす事ができるんですが、うまく使いづらいんです。たとえば私のおじいちゃん の話でも、「孫に叱られた」ということが本当にきつかったんでしょうね。私の場合別におじいちゃんに「罰」を与えようと思った訳ではないのですが、結果的にはそうなりました。た だし、おじいちゃんの「外に出る」という行動を減らしたかった(少なくとも体が回復するまでは)のですが、本人は「運転するな」というメッセージを受け 取ったようで、ちょっとずれた「運転する」という行動が減りました。ということは、減らしたい行動がピンポイントできてないですよね。しかも、次の日に迎 えに来てもらいたくないという所を考えても、私に会いたくなくなってしまっているようにも思えます(私の存在が嫌な事と一緒になってしまった)。こういう ことが、まあ副作用と言えます。
 私の二輪の運転免許の例を使ってもそうです。バイクは前ブレーキをぐっと急にかけると、車輪は止まるが車体は動いたままで道路の上を滑ってしまい、バランスが取れなくなって転んでしまうんです。ですから、40キロくらい出したところでややゆっくり目に(1 秒くらいかけて)ブレーキをかけて動きを止める練習をするんです。でも、検定で緊張している私は頭が真っ白なので、思わずずぐっと急ブレーキをかけてしま い転んでしまったんです。だいたい練習でも一度も転んだ事ないのに、全く本番弱い。一度40キロ走行で転ぶと(行動の後に痛い目に合うと)、「ブレーキを 急にぐっとかける」というと行動が減れば良いのですが、それだけではなくて運転自体やそのブレーキをかける場所が怖くなってしまったりするんです。「罰」 の使い方は難しいんです。だから、素人にはなかなかお勧めできません。
 私のおじいちゃんじゃありませんが、子供や家族の行動で、「こんな に叱ったのに、なぜまた繰り返す?」と思われることありませんか?「罰」ではなくて、「強化」というのを使わなければいけないんです。簡単に言えば、 やって欲しい行動を褒めて代わりに増やすんです。「急ブレーキ」の行動を減らすのではなく、「1秒かけてブレーキ」という行動を増やすとか、緊張しないよ うにゆっくり呼吸をする行動を増やすとか。おじいちゃんの場合は、「外に出る」という行動を減らすというよりは、30分以内の散歩を増やすとか、家の中で できることを増やすとか、発想の転換ですね。どうやったら「罰」を使わず行動を変えられるのか?それに焦点を当てましょう。
   

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